つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ベルリンの少女たち。 ~ クリスチーネとエリス。

2017年08月17日 05時55分15秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、今回は2本立て。

まず、第五十三弾は、壁を背にした「クリスチーネ」。

『家にいるときの私には「デビッド・ボウイ」のメロディーだけが安らぎだった。
 彼の曲を聴いているとき、私は”普通の女の子”に戻れた。
 その「ボウイ」のベルリンでのコンサートに出かけた。
 ”STATION TO STATION”を唄う「ボウイ」に、私は酔った。
 その帰り、私は初めてヘロインを経験した。』
(※「かなしみのクリスチアーネ」(クリスチアーネ・F著/小林さとる訳)より抜粋)

かつて、世界が2つに分かれて睨み合い、局地的に、あるいは水面下で、
小競り合いを繰り返していた頃の「ベルリン」は、奇妙な都市だった。
半分が、社会主義陣営に属する「東ドイツ」の首都であり、「ソ連」の占領地。
半分が、資本主義陣営の「米・英・仏」が統治する占領地。
整然として、しかし無機質な灰色の東。
賑やかだが、爛熟した退廃が漂う西。
同じ言葉を操る同じ民族が、壁を隔てて、違う価値観で暮らしていた。
人と時代が創った、一種のパラレルワールド。
…昭和56年(1981年)に製作された西ドイツ映画
「クリスチーネ・F」の主人公は、そんな「西ベルリン」に暮らす少女である。

作中では、主人公が、あどけなく可愛い顔に濃いメイクを施し、夜遊びを始め、
ドラッグでボロボロになっていく姿を、ドキュメンタリータッチで描いている。
13才にして麻薬中毒、しかも娼婦。
公開当時は、多くの観客から衝撃を以て迎えられた。
また、ロックスターの出演も話題を呼んだ。
役は「自分自身」。
ライブシーンは、珠玉の出来栄えである。
(※作注:原作表記は「クリスチアーネ」、映画は「クリスチーネ」となった。)

そして、第五十四弾「舞姫・エリス」。

『今この処を過ぎんとするとき、
 鎖(とざ)したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。 
 年は十六七なるべし。
 被りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、
 着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。
 我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、
 余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。
 この青く清らにて物問ひたげに愁(うれい)を含める目(まみ)の、
 半ば露を宿せる長き睫毛に掩(おお)はれたるは、
 何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。』
(※「舞姫」(森鴎外著)より抜粋)

…僕(りくすけ)が、初めて知った「ベルリン」は、漢字で「伯林」と書く。
明治の文豪が著した、いかつく美麗な文語体の名作「舞姫」の舞台だった。

その主人公「エリス」は、バレエ劇場「ビクトリア座」のトップダンサー。
当時は、踊り子が上客に春をひさぐ一面もあったと聞く。
舞台は置屋の張見世であり、舞姫は白拍子にもなり得た訳だ。
輝くプラチナブロンド、愁いを湛えたブルーアイズの美少女は、
活気に溢れた華々しい19世紀末の都で、光の及ばない闇に生きる夜の蝶だった。
やがて彼女は、極東から来た留学生と恋に落ち、悲しい最期を遂げるのである。
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賭けたり、競ったり、旅したり2017夏。~湖国遠征記・番外編。

2017年08月15日 14時09分18秒 | 旅行
前々回、前回と投稿した滋賀県への1泊2日旅行の主目的はボートレースだったが、
宿泊地の「東近江市・八日市」が、存外に面白かった。

まずは、今回、草鞋を抜いだ「ホテルルートイン東近江八日市駅前」の外観。
今年3月にオープンしたばかりで、新しくキレイ。
スペースの広いシングルルームには、一人掛けソファとテーブルが設置され、
パソコン作業や飲食などの折、大変重宝する。
ルートイン定番の大浴場、無料朝食バイキングもあり、快適だった。

名前にあるとおり、近江鉄道「八日市駅」に隣接。
初めて訪れた場所なのに、何故かこの三角屋根の駅舎には見覚えがあった。
理由を思い出せないまま、内部に一歩足を踏み入れて納得。
「キミスイ」だ。

映画「君の膵臓をたべたい。」のロケ地になったと紹介するパネルが展示されていた。
「八日市駅」は、主人公の男女が初デートの待ち合わせをしたシーンに登場。
僕の記憶は、スクリーンの中のそれだったのである。
ちなみに主演女優の「浜辺美波さん」は、わが津幡町出身。
東宝シンデレラオーディション受賞を切っ掛けに芸能界入り。
ますますのご発展をお祈りしております。

…さて、話を戻そう。
八日市には、なかなか猥雑で素敵な一面がある。

ホテルの目の前に風俗店。

八日市・本町商店街アーケードも情感がたっぷり。

<左上:アーケード内部の様子。提灯型の照明がいい感じ。 
 右上:いかにも昭和の食堂らしい「食事処カツ」。夕方5時から朝3時半まで営業。
 左下:線路下に店を構えたアメカジファッションとアンティークミシンの店。
 右下:脇に入った路地には、黒板なまこ壁の長屋。>

こうした風情が漂うのも無理はない。
ここは俗に「延命新地」と呼ばれ、
かつては娼館やカフェー、映画館などが建ち並ぶ花街だったと、旅を終えてから知る。
明治から昭和にかけては、同じ滋賀県内の大津や彦根と並ぶ規模を誇ったそうな。
往時の名残が香るのだ。

また、八日市には、複数の古墳も点在。
下の写真は、前々回の投稿にある「阿賀神社」から撮影したもの。
「雪野山古墳」と思われる。

古代人の痕跡。
国盗り合戦の舞台になった戦国期。
近江商人が活躍した江戸。
近代日本の息吹。
改めて“歴史の町”滋賀県・東近江市八日市をじっくりと巡ってみたくなった。
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賭けたり、競ったり、旅したり2017夏。~続・湖国遠征記。

2017年08月15日 09時37分30秒 | 旅行
前回の続編・・・琵琶湖競艇場で過ごした2日目の様子を掲載したい。

琵琶湖競艇場は、国内にある24場の中で唯一、施行者が都道府県(滋賀県)。
昭和27年(1952年)7月、3番目のボートレース場としてオープンし、
先頃、64周年を迎えた古株である。
これまでに1兆3,000億円以上を売り上げ、900億円の一般会計繰出を行った。
しかし、売上は平成2年度をピークに減少に転じている。
単年度の収支は黒字を維持しているが、なかなか厳しいのが現状なのだ。
微力ながら、売り上げに貢献している身としては頑張って継続して欲しい。
そして、タマには高配当を!(笑)

8月14日の競走水面は、きのうと違って曇天の下。
準優勝戦への乗艇を目指す白熱の戦いが繰り広げられた。
僕も全レースに張った。
前日の傾向、新聞の印、展示走行(本番前のお披露目走り)の雰囲気などを参考にしながら、
番組(レースの組み合わせ)による展開を予想。
スクラップ&ビルドの末に出した結論で舟券を買い、結果に一喜一憂。
…楽しいが、少々疲れを覚える瞬間がある。
レースの合間を縫って、リフレッシュにと場内散策にも出かけた。

場内の一角に滋賀支部所属のレーサーパネルがズラリ。
今節オールレディースに出場している顔もある。
準優勝へ舳先を進めたのは、「茶谷 桜」「水口 由紀」「遠藤エミ」「香川 素子」の4選手。
いずれも荒波を乗り越えて辿り着いた。

この画像は、本番前の練習走行の様子。
たとえ優勝への望みが断たれたとしても、
選手は次の目標、次の勝利、更なる高みを目指して努力を重ねているのだ。

腹ごしらえは、場内3階の「レストラン ボートママ」にて「かき揚げ丼」をいただく。

揚げたての天ぷらをツユにくぐらせたらしくサクサクの食感。
味付けは程よい甘辛。
なかなかのビッグサイズ、これで650円。
うまかった。

現在のメインスタンドのとなりに、今は使われていない観覧席を見つけた。
ご覧の通り、薄汚れ、ゴミが散乱し、鉄骨には錆が浮いている。
だが、何故か、スピーカーは生きていた。
誰もいない取り壊しを待つ、時の止まった廃墟にBGMや場内アナウンスが流れているのは、
面妖な感じがした。

…さて、この日、僕の的中率は悪くなかった。
全12レースで、7勝5敗。
収支はプラスながら、幾つか悔いの残る張り方があった。

戦い終えた帰り道、以前から気になっていた施設、
コンクリートでできた「天守閣みたいな建物」を訪問。
が、現在休館中との事で入場は叶わず。
「滋賀県立 琵琶湖文化館」は、かつて近代美術や淡水魚などを展示していたが、
老朽化や入館者の減少により2008年から、門は閉じたまま。
ここにも、時の止まった廃墟があった。
周辺は、大津市民憩いの水辺。

バス釣りに興じるフィッシャーマン。

涼風に吹かれならが談笑する男女。

同じ湖面なのに、先ほどまで身を置いていた場内とは全く違う。
穏やかな空気が流れているなと感じたのも束の間。
対岸に「琵琶湖競艇場」のメインスタンドを認めた僕は、
翌日の「ミニボート津幡」での延長戦へと思いを馳せていた(笑)。

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賭けたり、競ったり、旅したり2017夏。~湖国遠征記

2017年08月13日 23時59分51秒 | 旅行
世間は夏休み期間中、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
僕はといえば、1泊旅行で滋賀県に滞在中。
東近江市のルートインホテルでキーボードを叩いています。
目的はもちろん「旅打ち」。
現在「びわこ競艇」にて、開催中の
「G3 オールレディース ビーナスちゃんカップ」で勝負するためやって来ました。

朝7時前に津幡町を出発し、北陸道~名神を飛ばして大津まで。
インターを降りたら、琵琶湖沿いを国道161号線を走り、10時10分前に到着。
勝手知ったる場への道。
もはやナビなし、ペース配分も効率よく辿り着けるようになりました。

開門前からファンの列。
お盆とあって、ファミリーやカップルも見受けられる。

中に入ると、また列ができていた。

どうやら、選手のお出迎えらしい。
福井支部「今井美亜」、広島支部「村上奈穂」、山口支部「山本宝姫」。
3人とも小柄で可愛らしい。
みな、ご贔屓と会話を交わしたりサインをもらったりしていた。
女子戦らしく、華やかな雰囲気である。

…いやぁ~やっぱり何度来ても本場はいい!
夏空の下でモーターの爆音が轟き、レースコースの外を客船が往く。
非日常の空間だ。
誰一人顔見知りのいない場所で、ひたすら推理に明け暮れるのは楽しい。
で、肝心の収支だが、ややマイナス。
今節の流れは、きのうは荒れ気味、今日は本命決着が多かった。
小波乱を期待して張るも、少々ズレる。
しかし、まだ小手調べ。
生き残りを賭けて選手たちがシャカリキになる明日、予選最終日が勝負。
高配当を的中して、一気に挽回だ(笑)。

・・・ということで、宿への道すがら、東近江市の岩山に建つ「阿賀神社」に立ち寄る。

何しろここは、勝運授福の神・・・
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀る。
息を切らして、急勾配の長い石段を登り本殿へ詣で、手を合わせた。



どうか、我が身に幸運と閃きがあらんことを!
二礼二拍一例の作法に従い祈願を終えて振り返ると、そこには美しい風景が広がっていた。

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過日の夏の面影。

2017年08月12日 09時15分20秒 | これは昭和と言えるだろう。
今から40数年前の夏。
僕は、額から顎へと滴り落ちる汗に構わずここに立っていた。

津幡川沿いに建つ「弘願寺」。
元々は、山間部の「津幡町笠谷地区・鳥越」にあって、
一向一揆が北陸を席巻していた13世紀後半には、その拠点の1つだったと伝え聞く。
天正8年(1580年)、勇猛で知られる織田家臣「佐久間盛政」によって焼き払われ、
現在の場所に移転した。
津幡が宿場町として賑わった江戸時代。
金沢を出立した加賀藩・前田家の大名行列が立ち寄った折、
殿様は本陣で、家来たちは「弘願寺」で草鞋を脱いだ。
つまり脇本陣としての役割も担ってきたのである。

少年だった僕は、用もないのに、機会を見つけてはここへ足を運んだ記憶がある。
きっと、降り積もった歴史に見惚れていたのに違いない。
長い星霜を耐えてきた本堂を眺めながら、400年前の情景を想像していた。

そんな過去に思いが至ったのは、やはり、季節が夏だからだろう。
天から降り注ぐ、刺すような陽の光。
黒光りする甍の大屋根。
ねっとりとまとわりつく暑熱。
辺りは蝉時雨。
幾つかの条件が揃い、遠い夏の日が大脳皮質の奥から蘇ってきたのだ。

またもう一つ。
「スガイ書店」の店頭に掲示されたポスターも、昭和の夏を想起させた。

「第63回 青少年読書感想文全国コンクール」と
「第33回 北國夏の読書感想文・感想画コンクール2017」の課題図書ポスターだ。
後者は歴史が浅く縁がない。
前者には、学校を通じて参加した。
…何を題材にしたのだろう?
…思い出した、「モチモチの木」だ!

「滝平 二郎」氏の切り絵は迫力十分。
個人的には、左程、好みではなかったが、
その出来栄えの素晴らしさと緻密さは、小学生にも理解できた。

夏の空気は、強い日差しのせいか無色透明に思え、
吹く風も熱気を含んであっという間に通り過ぎてしまう気がする。
しかし、何故だか妙に印象深い。
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