飛騨の山猿マーベリック新聞

💛専守防衛💛れいわ新選組💛立憲民主党💛日本共産党💛社民党
💛気晴らしには演歌が一番💛別館 山猿の部屋

◎れいわ新選組 代表 山本太郎 作成中マニフェスト・スライド披露 2021.8.7

2021年08月09日 18時14分24秒 | ●YAMACHANの雑記帳

れいわ新選組 代表 山本太郎 作成中マニフェスト・スライド披露 2021.8.7

チャンネル登録者数 7120人
2021年8月7日に、現時点の作成中マニフェストのダイジェスト版が披露されました。 当日の大石あきこ総決起集会の全体は、見逃し配信を限定公開していますので、ご覧になりたい方はこちらから。
https://www.oishiakiko.net/ayumukai/
 
ーーーPRーーー 大石あきこは、れいわ新選組大阪5区(大阪市東淀川区、淀川区、西淀川区、此花区)で活動しています。 比例近畿ブロック、次期衆院選公認予定者です。 大石あきこチャンネル、登録をお願いします。 https://www.youtube.com/channel/UC7WT...
SNS Twitter https://twitter.com/oishiakiko
 
facebook https://www.facebook.com/oishiakiko.net
 
Instagram https://www.instagram.com/oishiakiko....
 
Blog  https://www.oishiakiko.net/blog/2021年...
 
「99%のための経済学: コービンが率いた英国労働党の戦略」 朴勝俊教授らが率いる翻訳チームに参加し、以下の2つの章を大石あきこが翻訳しました。一握りの者たちから経済を奪還して、多数の人々が豊かに生きるための処方箋となる書籍。お手に取ってください。 【第8章】分断を超えて――国の繁栄のための権限移譲 グレース・ブレイクリー/ルーク・レイクス 【第15章】ソーシャルインフラへの公共投資で、生産的で持続可能な配慮型経済をつくる オズレム・オナラン ↓Amazon購入サイト!https://www.amazon.co.jp/dp/490923756...
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被爆76年 未来へつなげ ~長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典~

2021年08月09日 16時30分09秒 | ●YAMACHANの雑記帳

被爆76年 未来へつなげ ~長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典~

チャンネル登録者数 2.27万人
長崎市の平和公園から「被爆76周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の模様をライブ配信。 核なき世界に向けて、長崎から世界に平和を発信します。 ◇日時(予定)  2021年8月9日(月) 10時45分~11時45分 ◇場所  長崎市平和公園 ◇式次第(予定)※ 長崎市発表  午前10時45分 開式  午前10時46分 原爆死没者名奉安  午前10時48分 式辞  午前10時52分 献水  午前10時54分 献花  午前11時 2分 黙とう  午前11時 3分 長崎平和宣言  午前11時12分 平和への誓い  午前11時19分 児童合唱  午前11時24分 来賓挨拶  午前11時40分 合唱 千羽鶴  午前11時45分 閉式 ◇動画チャプター  0:00 静止画  3:07 配信開始  5:02 開式  6:32 原爆死没者名奉安  8:21 式辞  13:27 献水  15:04 献花  21:38 黙祷  23:14 長崎平和宣言  33:50 平和への誓い  43:15 児童合唱(子らのみ魂よ)  49:01 来賓挨拶:菅義偉 内閣総理大臣  56:19 来賓挨拶:中満泉 国連事務次長 兼 軍縮担当上級代表  1:02:07 来賓挨拶:中村法道 長崎県知事  1:07:29 合唱(千羽鶴)  1:12:51 閉式 #被爆76周年#長崎#平和祈念式典#長崎放送#平和#NBC長崎#NBC#Peace#Ceremony
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆芙蓉部隊(特攻拒否の異色集団)~戦争と平和

2021年08月09日 16時09分47秒 | ●YAMACHANの雑記帳

芙蓉部隊(特攻拒否の異色集団)~戦争と平和

チャンネル登録者数 117人
芙蓉部隊の特集。太平洋戦争末期、断固特攻作戦を拒否し、正攻法のみで攻撃し続けつた部隊。

特攻拒んだ芙蓉部隊指揮官 遺族に「遺言」

飛行服姿の美濃部正氏=遺族提供

飛行服姿の美濃部正氏=遺族提供

若い部下を犬死にさせるだけだ−。太平洋戦争末期、旧海軍航空隊「芙蓉(ふよう)部隊」指揮官の美濃部正(みのべただし)少佐(当時)=一九九七年に八十一歳で死去=は旧日本軍が決めた航空機による全軍特攻を拒み、部隊は沖縄の米軍に対し、死を前提としない夜間攻撃を重ねた。遺族には「ばかな戦争」を繰り返すなと言い残した。関係者の証言や自伝から、少佐の横顔や夜襲で戦果を狙った背景を追った。「十重二十重の防御網を突破するのは不可能。特攻の掛け声ばかりでは勝てない」。四五年二月、当時二十九歳の美濃部少佐は連合艦隊司令部の作戦会議で独り、特攻に反論した。少佐の実績を評価する上層部もおり、司令部は後に芙蓉部隊を特攻から外す異例の判断をした。部隊は会議に先立つ一月、静岡県の藤枝基地で発足し、現地から望む富士山の別名「芙蓉峰」から命名。七百人以上が所属し、戦闘機と爆撃機を終戦時に計百機以上擁していたという。司令部に「指導訓練の創意工夫が足りない」とも訴えた美濃部少佐。日中の航空攻撃では、圧倒的戦力を誇る連合国軍に壊滅させられると熟知していた。「突撃ラッパに踊らされては、若い部下を犬死にさせるだけだ」
 芙蓉部隊はパイロットや機体、燃料すら不足する中、高度な技術が必要な夜間攻撃を習得するための独自訓練を始めた。昼夜逆転の生活で夜目を鍛える「猫日課」、立体模型を使った図上演習、戦術を学ぶ座学−。主力は最新鋭の水冷エンジンを積む艦上爆撃機「彗星(すいせい)」。整備が難しく他部隊は敬遠したが、整備兵は製造元に学び、格納庫に寝泊まりした。「夜間訓練は苦しく命がけだが、無駄に死なせないとの思いが伝わった」。彗星の元無線兵渋谷一男さん(94)=島田市=は美濃部少佐の狙いを説明。少年らを極力出撃させないといった配慮もあり、人柄を慕う部下は多かったという。
 沖縄戦が始まった三月下旬以降、部隊は鹿児島県の鹿屋、岩川両基地に相次ぎ展開。延べ七百八十六機が出撃して米軍に打撃を与えたが、百人超が戦死したとされる。特攻目的の出撃はなかったとされる部隊だが、渋谷さんは「美濃部少佐は特攻を完全に否定していたわけではない」。連合国軍が鹿児島に上陸した際は「全機突入」を想定していたとも明かす。戦後、メディアは部隊の反骨精神をたたえたが、美濃部少佐は家族にもほとんど話さなかった。長女中野桂子さん(75)=浜松市=は「軍人として命令に逆らうのは許されない。後ろめたさがあったのでは」と回顧。「ばかな戦争は二度としてはいけない」。三女竹内聡子(ふさこ)さん(68)=埼玉県狭山市=は少佐の言葉を「空気にあらがう難しさがあっても、大切なものは逆らってでも守れ」と解釈している。

 美濃部 正氏(みのべ・ただし)1915年、愛知県豊田市(旧高岡村)生まれ。37年、旧海軍兵学校卒。水上機搭乗員などとして日中戦争と太平洋戦争に出征し45年に芙蓉部隊指揮官となった。戦後、朝日新聞社への就職が内定したが公職追放で取り消しに。行商や農業を経て54年に航空自衛隊入隊。空自幹部候補生学校長などを歴任し、70年に空将となり退官。97年81歳で死去した

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆アメリカからみた【日本の歴史教科書には記述されない部分】第二次世界大戦

2021年08月09日 11時25分39秒 | ●YAMACHANの雑記帳

アメリカからみた【日本の歴史教科書には記述されない部分】第二次世界大戦

チャンネル登録者数 6590人
特攻用戦闘機5000機以上 特攻用人間魚雷約1300機 特攻用ロケット式人間爆弾 九州上陸作戦の概要 日本の少年兵による米軍戦車破壊訓練 (自爆攻撃) 特攻用戦闘機5000機以上 日本の一般人による竹やり(竹槍)訓練 空爆
+++++
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆大会から学ぶべきこと 東京五輪が閉会

2021年08月09日 07時23分22秒 | ●YAMACHANの雑記帳

五十七年ぶりの日本での夏季大会となった東京五輪が閉会した。競技に挑んだ選手やコーチ、運営に尽力した関係者の努力はたたえたいが、招致の在り方から感染症が拡大する中での大会開催まで、私たちが学ぶべき教訓は多い。
 一八九六年にギリシャのアテネで始まった近代五輪は国際情勢の影響を強く受けてきた。世界大戦で三度中止され、今回の東京大会は新型コロナウイルスの感染拡大で、初めて一年延期した大会として五輪史に名を刻む。
 会場のほとんどは無観客となり日本国民の大多数はテレビで観戦した。選手やコーチ、大会関係者は「バブル方式」という、外部との接触を遮断された「泡」の中で過ごし、感染すれば排除され、観光で外出すれば指弾される。
 こんな状況を目の当たりにすれば、コロナ禍の日本で今、開催する意味が本当にあったのか、との思いを抱くのは当然だろう。

復興五輪掛け声倒れ

 一九六四年に続く二度目の東京大会は、開催そのものが目的のような大会だった。
 戦災復興を掲げた前回に倣い、二〇一三年の招致当時、東日本大震災からの「復興五輪」をうたった。当時の安倍晋三首相は原発事故の影響を懸念する国際社会に対し「アンダーコントロール(管理下にある)」とアピールしたが、事故の影響はいまだ続き、特に福島復興は道半ばだ。
 「復興五輪」の掛け声も、感染拡大とともに「人類がウイルスに打ち勝った証しとなる大会」「世界の団結の象徴として実現する」へと簡単に変転していく。
 大会経費を節減するため、会場を都心に集約する「コンパクト五輪」を構想したが、炎暑の大会に選手への影響が懸念されると、マラソンや競歩を札幌=写真=に移転するなど、会場は拡散した。
 一三年の招致立候補時は七千三百四十億円とされた大会経費はすでに、少なくとも倍以上の一兆六千億円以上に膨れ上がっている。
 新型コロナの感染拡大で想定が大きく外れたにせよ、当初掲げた理念は、いずれも破綻は明白だ。
 そもそも復興五輪だのコンパクト五輪だのということ自体が、招致のための方便だったのではないか。招致のロビー活動に買収疑惑が持たれたことも、理念なき五輪を強く印象づけてしまった。
 無観客でスポーツ大会の巨大な集合体と化した五輪を、感染の危険を冒してまで開催する必然性があったのだろうか。
 感染拡大下での開催強行には国際オリンピック委員会(IOC)の意向があったのだろう。一度決めれば、軌道修正が難しいのは、組織の弊害そのものだ。最古参のIOC委員が「予見できないアルマゲドン(世界最終戦争)でもない限り実施できる」と言い放ち、日本国内の開催中止論を一蹴したことを忘れるわけにはいかない。
 収入の七割以上に当たる巨額の放映権料を米国のテレビ局などから得ることでIOCの組織は肥大化し、商業化も過度に進む。
 かつての東京大会は十月のさわやかな青空の下で開かれたが、巨大マネーは夏季五輪を、米国内のプロスポーツ中継に影響がない夏の時期に固定してしまった。

巨大マネーで炎暑に

 日本の七、八月は炎暑にもかかわらず「温暖」「理想的な気候」という虚偽の表現でしか、招致できない現実が迫る。地球温暖化が進めば、北半球での夏季五輪開催は困難になるに違いない。
 国連機関でも何でもないIOCの硬直的で、国家主権をも顧みない独善的な体質に、私たちはもっと早く気付き、学ぶべきだった。
 もちろん五輪混乱の原因はIOCだけには帰せない。歩調を合わせて五輪と感染拡大との関係を否定し続ける菅義偉首相をはじめ日本政府の責任は、特に重い。
 首相は中止論を一顧だにせず、楽観的なメッセージを発信し続けた。そのことは五輪開催中、日本全国を祝祭空間に変え、感染を急速に拡大させた。国民にとどまらず、選手や大会関係者らの命と健康を危機にさらしている。
 首相は一体、どう責任を取るつもりなのか。
 平和への希求や人間の尊厳など五輪が掲げる理念は、今後も最大限尊重されるべきだ。ただ、IOCや、今大会では日本政府が、それらを実践するにふさわしい存在でないことも、感染拡大下での大会強行が浮き彫りにした。
 そのことに気付けたことがせめてもの救いであろうか。それにしても私たち日本国民は、巨額の代償を支払うことになったが…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◆機能的財政論へ146 私たちが闘っているもの 2021年8月8日

2021年08月09日 00時00分19秒 | ●YAMACHANの雑記帳

機能的財政論へ146 私たちが闘っているもの 2021年8月8日

チャンネル登録者数 9490人
+++++
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする