イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

まず自分が満たされ癒されないと

2025年01月07日 02時33分48秒 | 想い
スマホの待ち受け画面、昨年の夏までは
半年毎に届くあるプレゼント画像にしていたのですが、
ふと思い立ち 秋から自身の大好きな作品「GAIA」に変えました。
昨年からより地球に思いを馳せ
感謝し祈ることが増えました。
スマホを見る度 鮮やかなブルーメインの「GAIA」が現れ
「わぁ❣️」と心満たされテンションあがります(笑)
GAIAはプロのカメラマンが撮って下さったので
発色も素晴らしく大満足です。

時々、ファイリングしてある数百枚の作品を眺めるのですが
見終わったあとは毎回「あぁ~ 癒されるゥ~」となり(笑)
作品たちからパワーを貰い元気になります。
私は自分の描くものが好きで愛しく思います。
雑貨などを含め 売られている物を見た時、
ハートをノックする色やフォルムなどに出会うと
「わぁ~素敵」と感動し 次にクリエイター視点で
「いい仕事されてるなぁ」とリスペクトの思いが沸き上がります。
その逆に(絵画も含め)「さぁ、どうだ。凄いだろ」みたいな
自惚れEnergyが全面にバババーンと出ちゃっている物には
全く持って惹かれませんが。
(文字も書も(失礼ながら)悪筆で独特でただクセが強いだけなのに
美しい文字とはどういうものかを知らない周りから
そう言われているからなのか?妙に自身は上手い、と
自信満々な勘違いさんもいらっしゃいますが)

「この作品は○○の思いで作りました」のような
キャプションがなくても
「手に取った人がこれを持つことで幸せ(豊か)な
思いになったり元気になったり笑顔になったらいいなぁ」
のような作家の、相手を思うような声なき声
温かな波動が伝わるもの(作品)は
自惚れとは似て非なる
「自信=自分を認め信じる力」が溢れているので
「美しいなぁ」と心満たされます。

そして思うのは、自分を認め 自分を好きな人は
後者と重なることが往々にしてあり
おおらかな人が多いように感じます。
そうした方は素直なので
友人や知人の素敵に触れた時 躊躇なく
「わぁ~いいね」等の言葉がけをされますが、
自分を卑下したり 相手を勝手にライバル視していたり
自信がない人は 近しい人の
そうした場面にふれた時
「ふん、むかつく ほめてなるものか」みたいに
気づかないふりをするのも見てきましたが
その度に人の心の複雑さを感じます。

親しくしている人と自分の真の関係が浮き彫りになるのは
互いに喜ばしいことがあった時 またその逆の時、
それぞれが それぞれにかける言葉や態度でわかると感じます。

もし、
あなたの心にゆとりがあって 
相手の思いに気づいたのなら
後悔しない為に
あなたが大事と思うその人に
あたたかな言葉を贈ったり
励ましたり
 ねぎらったりのひとことは
その人の心を温め
あかりを灯すと感じます。
きっと
あなたの言葉で救われる人はいる筈
言葉の贈り物(エール)は
形として残らなくても贈るほどに
あなたもまた満たされ
柔らかな気持ちになり
益々豊かになると感じます
人間だけが与えられている言葉
出し惜しみは勿体ないから。
自分ばかりを見て、
ほめて、
認めて
評価して
とか
意地悪
とか
じゃない
寄り添う側であり続けたいと
改めて思いました✨





意識が変わった新年

2025年01月04日 15時51分45秒 | 想い
「風の時代」について検索した訳ではないので
詳しいことは判りかねますが、そして私の主観にすぎませんが
 もしかしたら?風の時代が本格的に始まるのは
今年からなのかな?と思うことが新年早々にありました。
探していないのに意図したことが
目の前にポン、ともたらされました。

基本おっとりしているので、誰かと競ったり
我も我も、と情報他 人をかき分けて
椅子取りゲームの如く取りに行ったりすることは
性分に合わないのでしません。
そんな事をしたら心が苦しくなってしまうから。
また、いつも誰かの「お客様」という立ち位置に
自分を置くことも望みません。

今年は皆が手に手を取り合って応援しあう
気持ちがパッと明るくなるような言葉がけをすることが
希望に繋がると感じています。
カッコつけずに等身大の自分を開示して
自分を慈しみ真実を語ることが開運に繋がると思わされます。

頂いた年賀状の文字の奥の波動から伝わった思い
自身のインスピレーションを信じ
今年も偽りのない私を生きたいと思います。
そうした生き方が心地よいから。
そして、私らしい感性で引き続き
植物、鉱物、動物に思いを馳せ声なき声を拾い
丁寧に感謝を忘れず関わりたいと思います。 

人は器用なので、文字や言葉を駆使し
その時々に思っていないことを表現したりしますが
その向こうにある真実は実は見透かされているものです。
何故なら私達のコアは魂だから。

人として美しくありたいと思った今日でした。

新たな年の始まり

2025年01月03日 16時00分36秒 | 感じたこと


寒川さんから届いた神札 有難うございます。
毎年神札が届くと新たな年が始まったことを実感します。

元旦、本日届いた年賀状 有難く拝見致しました。
年賀状じまいのお知らせを下さった方、
事前のお知らせ有難うございました。
皆様それぞれのお考えがあると想像する年賀状ですが
例年やりとりをしている方から突然こなくなってしまうと
ごめんなさい。未熟故、寂しいなぁと感じます。
昨年、展示会のお知らせを送らせて頂いた時も同じ思いをしました。
(反応がない事イコールその方の私への答えでもあるので大きな学びとなりました)

長年blogにお立ち寄り下さる皆様や数十年に渡るご縁で
SHOKOの本質を理解下さる皆様はSHOKOの変わらぬ思いを
理解下さっているのではないかと自負していますが
SHOKOは「先生、凄い」などと持ち上げられることに
喜びを見出すタイプではなく
SHOKOのスタンスは「共に夢を叶えましょう」なので
SHOKOもまた、特定の誰かを一方的に応援し続ける
という思いはありません。
役割、得意なことはそれぞれ違っても、
1人1人の人生において誰もが皆、主人公と捉えています。
自ら「私は〇〇さんのファンです」と
公言することには違和感を覚えないのですが、
自分を特別視させる戦略のような
「ファンを増やすための〇〇講座」
みたいなことを掲げているものに対しては
見えない上下関係みたいなものが
出来上がっていると感じるので興味がありません。

今年はお茶会的にリアルに皆様と
お会いできるような場を設け
それぞれの得意をマリアージュした協力し合える
「素敵」を形にしたいなぁと思っています。

あなた様が
ご自身の素敵に気づく年になりますようにと祈りを込めて

より、私らしく 媚びを売らず 清々しく
2025年を歩いて参ります。




新春万福

2025年01月01日 00時00分00秒 | 新年を寿ぐ



穏やかに 優しい時が流れる 笑顔あふれる
1年でありますように

1枚1枚心を込めて

2024年12月26日 01時33分52秒 | 日常のあれこれ



12月に入り
途中まで描いた幾つかの記事を下書き保存をしていましたが
「upしなくてもいいかな」と思い下書きしたままにしています。

年の瀬、ToDoリストの残りは3つ。
25日の夕方、そのうちの1つ

「年賀状」を無事郵便局に持参しました。

年齢的なことが理由で年賀状終いをするばかりではなく
近年、SNSの普及により活字離れに拍車がかかり
年賀状終いをする方々が増えているように感じます。
10月からレターパック、切手料金の値上げに伴い
年賀状終いする方々が更に増えるように思われます

私にとって年賀状は「新年を寿ぐご挨拶状」
言わば「されど年賀状」です。
コンスタントに会う訳ではないけれど
恩師をはじめ尊敬し

繋がっていたいなぁと思える方々、
友人、知人の近況を確認する年に一度の大切なものです。

2010年、漸く腰をあげ「描く」ことに光を見出(みいだ)し
作品を産み出す日々が始まってからは
内在していた職人気質が頭をもたげ 

描(えが)き手として 
より、放つ「言霊」「色」「デザイン」に繊細になり
同時に周囲の放つそれにも敏感になりました。

余談ですが・・・文字を観る鑑定士ではありませんが
文字はその方の心情や性質を如実に表しています。
よどみなく話す内容は嘘をつけたとしても(笑)
その方の本質を表す文字は嘘をつけないことは
経験から感じています。ご本人には勿論言いませんが
その方の文字を拝見し(詳しいことは割愛しますが)
心の中で「こういう性質の方なんだなぁ」と静かに感じ
「この方の地雷は〇〇なんだなぁ」と思います。
私の場合、出逢って間もないのに確認なく
境界線をピョンと飛び越え昔からの知り合いのように
いきなりフランクな友達言葉で一気に距離を
縮めて来る方は正直苦手でそんな時、
ザリガニがバックするが如く逃げだしたくなります(笑)
また、誤解を恐れずに言うと
実際に会って話すと感じの良い方なのに
表現する文字、説明なくぶっきらぼうな言葉や
パツパツ切れている乱暴な表現は
誤解されるし勿体ないなぁと思うことがあります。

blogを開設して以来(喪中は除きます)
毎年、インスピレーションで干支のデザインを描き、
自宅プリンタで印刷しお一人お一人のお顔を思い浮かべ
お健やかな日々、幸せを願い心を込めて書いています。
今もそのスタンスは変わりません。
毎年、干支の書画年賀状を楽しみにして下さる方々がいらっしゃり

「SHOKOさんの年賀状飾っています」というお声も頂き
作家として嬉しく有難く思います。

今回は11月半ばから12月初旬まで入院していたこともあり
例年以上のスピードで気づけば12月も半ば。
「今回は年賀状作製をせずゆるりと過ごそうかな」と思い
毎年年賀状のやり取りをしている方々に初の試みで
X'masカード🎄で感謝をお伝えようかなと思っていましたが
12月14日(土)18時過ぎ ふいに「巳」を描こうと思い
色紙の在庫がなかったので画用紙を出し
今回は筆ではなくマジックを持つと瞬時に「無」になり
手は画用紙を滑らかにスイスイ泳ぎだしました。
作品を描いている時を例えると よく整備された
貸し切りのスケートリンクを自由自在に
楽しく滑るような感じに似て
(作品を描く時は毎回こんな感じです)
久々に描く、描ける喜び、楽しさを
作品が完成するまでの1時間弱、堪能しました。
例年以上の素敵な(笑)作品に仕上がりました✨

画材に向かえば始まることは本能で知っていましたが
万が一、雑念(計算された、一捻りある)が表れた
納得のゆかない物ならば
2025年の年賀状はX'masカードにするつもりでした。
描いている時「あぁ幸せだなぁ」と
全身の細胞が喜んでいました。
というのは1月末から約7ヵ月、
利き手親指のバネ指の症状に苦しみ
最悪手術をする選択も視野に入れていました。
アクリル絵の具と黒いマジックペンのコラボで完成した
「巳」の作品から受け取ったのは
「柔らかさ」「しなやかさ」「優しさ」「フェミニン」、
描いているさなか浮かんだ言葉であり色は
「水」「水色」「ピンク色」「hand in hand」 「仲良く」でした。
もしかしたら2025年は女性が活躍する年になるのかしら?
女性特有の柔らかさ、しなやかさが
キーポイントのように感じさせられました。

上野の森美術館にお運び下さった皆様へ
大切なお時間を調整しお運び頂き有難うございました。
僅かでしたが久しぶりに皆様とお話しできたこと

とても嬉しく励みになりました。
また、お運び下さったにも関わらず
お会いできなかった皆様申し訳ございませんでした。
「有難うございました」をお伝えするべく
年賀状をお出ししようかと思いましたが、
万が一にも喪に服していらっしゃる場合は
失礼になってしまいます故、
こちらでのご挨拶とさせて頂きました。

年賀状をやり取りさせて頂いている皆様へ
昨日お出しした「巳年」の年賀状ですが
原画の発色が出にくかった部分は手書きで色を施し
お一人お一人を思い浮かべながら
今回も丁寧に描かせて頂きました。


blogにお立ち寄り下さる皆様へ

一足早いですが 今年もお疲れさまでした。
健やかな身体あってこその「命」です。
どうぞ皆様の大切なお身体を
労わって差し上げて下さい。

大切な近しい方を失い喪に服していらっしゃる皆様
ご心中をお察し致します。
皆様のお心が少しづつ少しづつ回復し癒されますよう
陰ながらそっとお祈り致します。