自分の気持ちは自分が一番よく知っている、
と 思っていながらも
あること あるきっかけ ある出逢いを通して
思いがけず 自分の本当の気持ちや
自分が心底望む心地良さに はたと 気づくことがある。
人生において人は その時々に、その瞬間に
実に多くの選択をしていると思う。
他の誰でもない自分の意志で 相手を信頼し
共に歩く事を決め その環境を選んだ時、
途中、自分らしさを抑え込んでしまっている、とか
何かが違ってしまっていると感じていたとしても
不必要な真面目さがどこか仇となって
無意識に続けることに重きを置き、
本当は無意味な我慢や努力を続けてしまうという事は
無きにしも非ず、なのかもしれない。
年を重ねる中で
【自分を大切に出来て初めて他を大事にする事が出来る】
の意味がよく判るようになった。
自分が かけがえのない自分の想いを汲み取り
慈しみ 敬意を払い 先ず自分が輝いていなければ
自分の想いを後回しにしていたら
大切な人の想いを汲み取ることも
協調することも出来ないような気がしてならない。
もしかしたら私は自分で、 自身の柔らかな心や
私らしさというものを我慢することによって
縛ってしまっていたのではなかったか、
本当は相手の言動に深く傷つき悲しかったのに
自分の想いに蓋をして、
大丈夫なふりをしてしまっていたのではなかったのか
ふいに そんなことを思った。
人は誰しもその人に合ったペースで
進化向上を遂げてゆくものだから
その時々の自分の、相手の(←広義の意味において)
成長段階によって 惹かれるものも
引き合わされるものも 異なるように思わされる。
その時は確かに話が合い意気投合していたとしても
それぞれの経験値や成長に合わせて
多少のズレが生じるのは 至極当たり前の
自然なことなのかもしれない。