残暑お見舞い申し上げます。
一週間ぶりの更新となりました。
このかん、「それはないよね? 事実と違うよね。
(話を)盛られちゃってるね・・・・・」という 驚きと
少しの悲しみと 静かに向き合っていました。
そして、そのあとは 気持ちを切り替え 冷静に
自身の「真実」を辿る為に かつて相手と交わした
一連のメールを 全て読み返していました。
やはり・・・・私の記憶が合っていました。
その様に言っていない、書いていないことを
相手の主観と 少しの記憶違いにより
事実とは違う風に認識されてしまったという経験が、
もしかしたら 皆さんにもお有りかもしれません。
認識だけで留まっているのなら
まだ いいのですが、困ってしまうのは、
相手の主観と記憶のままに 事実とは異なる事や
本来は 相手と私との個人的なやりとりに
留まる筈の内容や 何気ない会話を
相手の広い交友関係の中で話したり
名前は伏せてあっても 打診なく いきなり
多くの方がご覧になるSNSなどの場で
記事を書かれてしまうと 事実と異なる部分が
多々あるからこそ、余計に とても複雑で
なぜ?どうして?の文字がグルグル頭の中を回ります。
私は言葉というものをとても大事に思っています。
放つ言葉には 自己責任が伴うと思っています。
そして、自分が発してはいない言葉を
信頼している人から 何の断りもなく勝手に脚色され
SNSに載せられてしまうことも とても嫌です。
故、自身が言葉を発するとき、書く時は 慎重に
事実に基づいたものを書くように心がけています。
ブログに交流のある方との感動したエピソードを詳しく
書かせて頂く場合には 相手に確認を取らせて頂き、
快諾頂いてから 個人情報が分かってしまう部分や、
2人だけが知っていればいい個人的な深い部分は
割愛し、あとは そのまま事実を書いています。
1週間ほど ハートのチャクラから(心の真ん中の愛の源)
「こんなことされたら いやだよね・・・」と
モヤモヤッとしたサインが繰り返し送られ そして、
「今後もまたこういう事されたら もっと嫌だよね」と
伝えてくれました。勿論、嫌です。
昨年 ある方に ビジネス絡みのある物に対して
あるメールのやりとりの中で たった1度だけ
私の率直で素直な想いをお伝えした事がありました。
今回その方のSNSには 私が何度かストレートに
ご意見を申し上げたことや 私が言っていない事も
書かれていました。ビックリしました
色々な事に直面した時、私はいつも20年近く前に
師匠から頂いた この3つの言葉を反芻します。
「あなたを利用する人はいらないの」
「あなたを穢す人はいらないの」
「あなたを大事にしない人はいらないの」
今回、ある記事を目にして 正直、相手のビジネスに
少なからず 利用されたように感じました。
勿論、今後 同じようなことで もう
利用されたくはありません。
私の取るべき手段 答えはもうちゃんと出ています
勉強になりました。そう、それから・・・・
私の描(えが)くものは
外的要因では変わらないという事も
今回 確認できました
私はわたし