先日の『ごきげんよう』のゲストは書道家 武田双雲さんとゴルゴ松本さんでした。
番組内でゴルゴさんの漢字の授業を聴き「感動して泣きそうになった」と仰る
双雲さんの表情とピュアさに私もグッときました。
双雲さんの勢いある書は、見てすぐに双雲さんの書とわかりますが、
自分を表すということは、本来こういうことのように思います。
技術的なことをただ追い求め、そこに落ち着き纏まろうとした時、
それがどんなに美しい文字であっても、全国に沢山いる
どの書道家がかいた書かはわからないけれど、
自分の個を大切にし、一旦技術を手放した時
意識など何もしなくとも個が自然と浮かび上がり、
名前を書いていなくても誰の書いた作品がちゃんと分かる、
そんな気がしてなりません。
20代後半から30歳にかけ西洋の書道といわれる
カリグラフィーを習っていました。
その時々に季節ごとの挨拶を葉書で先生に送っていたのですが、
毎回、「名前を見なくてもすぐに○○さんの作品と分かったわよ」と言われました。
当の本人、特別目立ったことも主張もしていないつもりなのですが、
今思うと、消そうとしても消すことのできない
隠そうとしても溢れてしまう
私の個性そのものが作品に現れていたのかもしれません。
話しがそれましたが・・・・・
ゴルゴさんの漢字の話しを聞きながら、
感動した武田さんが、「じゃあ、僕も話しますね」と
幾つか漢字の成り立ちについてお話しをされたのですが、
シンプルな【息】の話しが私の中に深く残りました。
呼吸の回数が少なくゆっくり呼吸する生き物は長生きしその逆は短命であると
氣功を習っていた当時先生に聞いて驚いたのですが、
その後、読んだ書籍ではストレスを受けている時は呼吸が浅く はやくなり、
リラックスしている時は呼吸が深く ゆったりしていると知りなるほどと思ったのですが、
武田さんのシンプルな言葉「息という字は、自分の心と書くんですよね。」を聴くまで
肝心でとても大事な【息】という文字をそのように感じたことはありませんでした。
精神統一や瞑想などをする時 意識して呼吸を整えるということは
息をすることで、自分の心と向き合う作業に他ならないんだとハッと気づきました。
武田さんもゴルゴさんもお二方とも好きな方々なので 勿論司会者の小堺さんも
『ごきげんよう』の放送を見ることができて良かったです。
相棒のマッキー(油性)で 久しぶりに描いた作品は、
このような【息】の文字になりました。
息を感じることで、身体の中が回転、回り出すそんな風なことを感じさせられました。