晩秋から陸前高田市図書館復興プロジェクトに送る本を選んでいます。
思い入れのある、その時々に励まされたり、感銘を受けたりと
お世話になった本たちなので、不要な物を捨てるような感覚とは違い
今の私にはもうなくても大丈夫だけれど、次に手にした見知らぬ誰かが
元気になったり 前向きになればいいな、という気持ちで選んでいます。
が・・・・(笑) 読んだ筈の本なのに、箱にいれる前にまたパラパラと頁をめくり
読み返したりして中々進みません。今もそんな感じである書籍を手にし読む中で
そうだなぁ~、そうだよね、と思っていると、
スペシウム光線みたいな、花火のような綺麗な光の粒がサーッと表れ
私の周りをクルンクルンと回転しながら飛び回ってくれました。
このキラキラ光る綺麗な光りの粒は私の心が穏やかでキレイな時に、
時々見せてもらえる1つの現象です。
何年も前に買った書籍を読みながら、
ここ数年、とても勿体ないことをしていたなぁ~と思っています。
あることをきっかけに精神的に落ち込む日々が続いていた時、
わたしは こんなにも大事なわたしのことを、
できそこないのダメ人間と思いこんでいました。
そんな中 いっぱい いっぱいになった私は慎重に何人かの人に
愚痴であり、マイナスの言葉を吐露し聞いて貰いました。
(人選を失敗し話さなきゃ良かった・・・と後悔した人も中にはいましたが(>_<))
去年から緩やかに状況が改善し今年に入りえっ?と驚く様な展開になりました。
想定外とはこういうことを言うのね・・・・・
わたしに用意して下さった神様からのギフトを受けとり、
今、本来の健やかな魂の ステキなわたしを取り戻す日々の中、
いかに、普段思い、考えることが大事であるかを思い知らされました。
きっかけはあるセミナーでした。
10年程前あるテレビ番組を見て興味が湧き、その後購入したある本。
買ったもののチンプンカンプン。理解できないまま月日が流れました。
その本のことも記憶の中から薄れていた今年の12月、ひょんなことから
知人を介しその本を書いた著者のセミナーを受けました。
講義の中で特に私に響いた印象的な言葉は、
「今のみなさんを作ったのは皆さんです。皆さんが放ってきた
言霊通りのご自身が今ここにいます。
ご自身が放ってきた言霊は寸分の狂いなく自分にかえってきます。
自分が使っている言葉通りの人生になります」ということを聴いた時、
勿論、頭では分かっていたことでしたが、
普段何気なく使う言葉が自分の人生をつくり
いかに大事であるか、ということを 今さらながら
ハッと気付かされました。セミナー以降、自分を卑下したり、
過小評価することなく意識して心地よい美しい言葉を使っています。
成長過程の中で私達は周りの大人たちから危険を回避するための術も含め
左脳が優位になるような様々な刷り込みをされて育っているようです。
かくいう私も同じで第1子であり長女なので、
親はより慎重に育ててきたように思います。
さんざん「~はいけない」という言葉を長年聴かされ続けてきましたが
そんな中でも私の魂は 親のそうした真面目な教えをいい意味で、
(例えば努力なくして成功はしない、というようなことも含め)
実は受け入れてはいませんでした。
意識して拒否しているとか、拒絶しているではなく
私の魂は、心は、自分の人生は、自分の思い描いた通りになる、
ということをちゃんと知っていました。
ゆえに親しい友達と会っている時は無防備に、安心して
自分が思い描いていることを話したりしていたのですが、
親御さんをふくめた周りの大人達から、耳だこの様に
「人生そんなに楽なものじゃない」と
長年刷り込みをされてきたと思われる人というのは
私が明るい希望に満ちた話しをしている時、
表情がどこか曇っていたり、
「あ、この人は私の言っていることを疑っているナ」
「人生そんなに甘くはない」と、本心を語らないまでも
猜疑心があらわれた目を見ればよくよく分かりました。
そうした人と会って話す時、心の中では緊張感といいましょうか、
実は居心地の悪さを感じていました。
同時に目に見えることしか信じない、という、
可能性を真っ向から否定し、元は親の刷り込みからきていることを
未だ信じつづけている頑なさを勿体ないなと思っていました。
どんなにいい自己啓発の本を読み続けていても
芯の部分では、「そんなことあるわけないじゃん」と
否定する自分がいたのなら、自ら自分の可能性や
願望に冷や水をかけて打ち消してしまっていることになるので
願いが全然実現しないというのもその通りなのです。
頑なさはあらゆる可能性を阻んでしまうので本当に勿体ないと思います。
一時期facebookで繋がっていた人が悪びれず読み手の気持ちも考えず
【毒を吐く】という言葉をやたらと使っていました。
私はその強い言葉を見る時に毎回ドキッとし いい気持ちはせず、
ずうっと違和感を感じていました。今回のセミナーをきっかけに
耳や目にしたくない言霊、活字を選び取ることは健全であるということを
確信したので今後は 知人でも 友人でも、はじめまして、の人でも
どこか いじけ気味で、人の佳きところを素直に表現できないような
あしを引っ張るような物言いが多いな、と感じる人や、
折角お互いの大事な時間を割いて会ったのに話す内容といえば
愚痴や芸能ネタや流行がどうのこうのといったことに関心があるような
魂を高めあえないような方と なんとなくのお付き合いで
時間を共有するのは自分を大事にしていないことになり、
そういう時間はホントに勿体ないことだなぁ、とつくづく感じるので、
日頃から丁寧に生き、自分を慈しみ、言霊のキレイな方との時間を
増やしたいと素直に思いました。
先程、わたしは私自身のことを『素敵な自分』と敢えて表現しましたが、
同世代であっても 日本人の中には このように自分を認めたり、
褒めるような書き方をすることを好ましく思わない方がいまだ多いと感じます。
元々日本人は その奥ゆかしさからか、本当は時間をかけリサーチし
真心込めて選んだ贈り物であっても差し上げる時は自分を下に置き
「つまらない物ですが」とか「お口汚しですが」と言って差し上げますが、
日本人でありながらも実は心の中ではこうした表現に
違和感を覚えていました。
日本人は普段から 自分のことを褒めたり、認める言葉を
ほとんど使わないと感じますが、普段お世話になっている自分であり、
自分の意を具現化する為に文句も言わず、ストもせず、
一生懸命動き続けてくれている大事な身体であり、
自分の身の周りの物たちにも(眼鏡や自転車や鞄や洋服etc)
意識して感謝を伝えることは本当に大事なことのように感じています。
自分や自分の周りの物を大事にし、感謝できて初めて
ほんとうの意味で周りの人のことも大事にできるんじゃないかな、
大晦日、そんな風に思っています。
12月から以前にも増して お世話になっている静物も
目に入る物、アスファルトや靴etc・・・・
大事な身体、大事な自分に対し感謝の言葉を使っています。
愛猫や植物や、フライパンや野菜や冷蔵庫や電子レンジetcには
以前から、いつもありがとね~ お疲れ様 またよろしくね などと
言葉がけをしていましたが、
周りを見渡せば いつも自分の周りには自分の為に文句1つ言わず
黙々と動いてくれている もの言わぬ沢山の存在があるということを
2015年改めて気付かせてもらい本当に良かったです。
人のみならず、「物」にも意識を向け 感謝をしていると
自分の周りには 実は既に沢山の必要な物たちが
ちゃんとあった、ということに気付きます。
本当は沢山の物を持っていて、満たされているのに
そのことに気付かず 現状に満足せず いつも足りないと
飢餓感を感じているような方は尚更、自分が持っている物たちに
まず感謝をしてみるということを始められると、
足りない病から解き放たれるような気がします。
12月1日、以前から欲しかったティファールの電気ケトルが届きました。
ティファールの電気ケトルは色々な種類があるので購入前仕様も含め色々と調べ、
確認したいことがあったのでメーカーにも問い合わせ、
最終的にコロンとしたデザインがキュートで その他の仕様も気に入った
抗菌タイプのアプレシア(パールホワイト)に決めました。
毎日、本当によく動いてくれていて感謝感激です。
ほんと、あっ、という間に沸きます。
活きたお金をつかえました。
年末にかけ 大半のご家庭では大掃除をされ、
不要な物を処分されたと思いますが、
元々、「ゴミ」という名前が付けられ うまれた物は何一つなく、
ご自身がそれを手にし、買った時は「あの場所で~に使おう!」と、
きっと日常生活をよりスムーズに送るために
その物を役立てようと思い 購入したと思います。
断捨離という言葉に拍車がかかる昨今、
「物」がものとしてうまれた その本来の意味に想いを馳せることなく
ただバンバンと 物をゴミ扱いして 感謝なくして捨てるのは
どうなのかな?とわたしは普段から思っています。
かつてゴミではなかった 生活の中で役立つものとして
ある使命を携えて開発され、うまれた「物」に対して処分するときは
今までありがとうね。の言葉をおくって頂けたら
物も嬉しいのではないかな、と思います。