MとAのミュージカル・ラン日記 ♪♪♪

音楽を聴きながら走る市民ランナーのブログです。ランと音楽以外のスポーツについても書きます。今は大谷翔平に夢中です!

もう来週末。準備しなきゃ。養老山脈トレイルランニングレース2020 ブリーフィングを見よう。

2020-12-06 | 参加マラソン大会
 
 
養老山脈トレイルランニングレース2020 ブリーフィング動画
 
第2回養老山脈トレイルランニングレース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日、いびがわマラソン2018走ります! 4年ぶりのサブ4復帰を目指して

2018-11-10 | 参加マラソン大会
2年ぶりのいびがわマラソン

 昨年は郵送抽選で当選したけれど、左膝の故障で走れなかった。2年ぶりのいびがわマラソン
 2009年の初フルマラソンがこのいびがわだった。記録は下記の通り。ほぼ「地元」の大会でアクセスも楽ということで、まあ、いわばホームの大会という感覚なので、これまで6回と最多出場大会。フルはこれまで20回走っているので実に3割がいびがわ。
 すべて時間内にゴールしているが半分の3回は途中で歩いたり止まったりしている。だから厳密には完「走」ではない。すべて30km過ぎの坂の途中でだと思う。
 そんなわけで、以下の通り、サブ4、いや、4時間10分切ったことさえたった一度きりだ。3時間32分、2011年のレースは会心の走りができた。

2009/11/ 8  4時間20分17秒 × ※初フル
2010/11/14  4時間22分36秒 ☆ ※肋骨・手小指骨折中
2011/11/13  3時間32分27秒 ☆ ※いびがわ初サブ4。初止まらず、歩かず。ネガティブスプリット
2014/11/ 9  4時間12分12秒 × ※3年連続の雨レース。33kmすぎ脹ら脛を攣る。リタイア寸前で回避
2015/11/ 8  4時間25分52秒 × ※4年連続の雨レース。右足甲痛などで走り込み不足
2016/11/13  4時間16分42秒 ☆ ※ロキソニン使用。長期故障離脱へと続く足痛を抱えながら。走り込み不足。

左膝故障で2017年は年間195.6kmしか走れず。

 2016年のこの大会後、12月のおおがきハーフで痛みを押して無理をした結果左膝の骨挫傷(骨髄浮腫)が悪化し、2017年1年間を棒に振った。靱帯損傷の可能性が診断され手術を念頭に専門医を受診。危うく、運が悪ければ(別の専門医にかかっていたら--そこはすぐに手術をするとの噂だった)本当に手術の可能性もないではなかったのではないかと思う。実際のところかかりつけ医では「将来のことを考えたら手術を検討すべき」と言われ、会社にも長期休暇の可能性を相談したくらいなのだ。

 しかし、運が良かった。7月25日受診した方の膝の専門医は詳細なMRIの画像と触診で「靱帯には問題ない」と断言し、「痛みがあるときは無理をしない」「違和感程度ならウォーキングや軽いジョグなどはしても大丈夫」と言ってくれた。半信半疑というところもあったが、なんだか気持ちが明るくなった。
 2017年4~7月は走距離0だったが、休憩時間の短いウォーキングから始めて徐々に(恐る恐る)軽いジョグを慎重に開始。そして今年4月、1年半ぶりに「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン」でレース復帰。タイムはハーフ自己ワーストの1時間56分22秒。ハーフで初めて歩いてしまったが、とにかく記録を残した。
 8月には北海道マラソンにも2年ぶりに出走し、4時間16分46秒で完走。エイド以外では止まらずにあの過酷なレースを走り切れたことは大いに自信を回復させてくれた。

7度目のいびがわマラソンは初心に返り、新たな気持ちでサブ4を目指す

 今年1月から徐々に距離を伸ばし、2月には月間100kmに復帰。3月以降は天候や所用で思うように走れなかった6,7月除き月間150km以上をキープ。10月はランネットの企画「オクトーバーマラソン」の力を借りて273.5km走った。2014年5月の294.1km以来の250kmオーバー。実に4年5か月ぶり。長かったなあ。

 30kmTTこそできなかったが(まだ走る度に左膝に必ず違和感を感じる)、2週間前、10日前、3日前と小出メソッドに従いコンディショニングもできた。10月以外は概ね月間150kmペースの年間1800kmランナー。本当のこと言ってこれだとサブ4は実は難しいとは思う。月間200km、年間2400kmがサブ4ランナーの基準だと思ってるので。
 ただ、先月の270km、それとこれまで20回のフルマラソン完走経験がある。なんとかサブ4をこの「いびがわ」でもう一度達成したい。サブ4チャレンジには不向きなタフなコースだけれど。

目標と戦略

いびがわマラソン


 目標は、もちろん「歩かず・止まらず」サブ4。
 天候は晴れ。午後には21~22度まで気温上昇の予報。暑さは気になるが、晴天のもと、美しい紅葉のいびがわ渓谷を見ながら爽快に走ることができそうだ。
 戦略も基本はいつも同じ。ペース設定が違うだけだ。
 最初の1kmは混雑で7分はかかるだろう。無理な追い越しなどは避け、アップのつもりで走ろう
 今回は事前の練習などから、32kmの最後の2つの坂の手前まではとにかく5'15~5'30/kmをキープする。きっとできる。アップダウンが激しいコースなので多少のタイムの変動は気にしない
 32kmの2つの坂はとにかく脚を残していないと走って登ることは不可能だ。ここが勝負の分かれ目。
 この坂を越え下りに入ればこっちのものなのだ。視界が開けるとほぼまっすぐな堤防沿いのコース。遠くにゴール付近の家並みが見えるが、なかなか近づかない感覚に襲われる。沿道の声援が増えるので、これを支えに走り抜くしかない。歩いているランナーが増えてくるので、ラスト3~4kmでスパートを掛けて300人(だいたいだ)を抜く。前島橋への左折して川を渡って一気に下るとゴールは近い。先にテープを切ったランーへの声援が聞こえてくる、選手名を呼ぶ恒例のアナウンス。最後の角を曲がると沿道の両側を埋め尽くす観客のエール。その中をスター選手のように意気揚々と駆け抜けるのだ。

 掲示板のタイムは3時間45分を表示しているだろう、たぶん。
 これが明日の理想のレース展開。いびがわ名物の長~いハイタッチをしたいのは山々だが、明日はサブ4達成が最大の目標。気持ち良く走り抜けることができれば必ず達成できると信じて、時には子供達とのハイタッチの力を借りて、頑張ります。

 明日、いびがわマラソンを走る多くのランナーの皆さん、それぞれの目標に向かってベストを尽くしましょう!!!

2018いびがわマラソン教えて金コーチ11月


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初DNS。「みのかもハーフ」出走断念。

2017-01-08 | 参加マラソン大会
 昨年12月11日の「おおがきハーフマラソン」で決定的に痛めた左足第2中足骨。4週間普段の歩きを除けば、走ることはもちろん強度の高いウォーキングもできなかった。
 本日開催の「みのかもハーフ」(正確には「みのかも日本昭和村ハーフマラソン大会」)、なんとか参加できないかと少し走ってみた。
 キロ6分半で4km。痛みはもちろんあるがハーフくらいなら、ファンランのつもりで時間内ゴールはできなくもないと思ったが、年末から引いた風邪もまだ抜けきってない。
 昨日の時点では、「とにかく行くだけ行ってみよう。ただし、4km走ったことで左足の痛みが増していたりしなければ」と思っていたが、朝起きてみて、天気もあまりよくないし冷え込んでそうだった。ここで無理して走って(考えてみれば、「1度もDNSしたことがない」というのが今回もできれば走りたい最大の理由だった)この1か月弱のガマンが無駄になり、また1からやり直すリスクもある。普段歩く意外は走るどころかトレーニングとしてのウォーキングさえできなかったのだ。こんなことは初めてだ。正月を挟んだこともあるが、お陰でこの1か月で体重も2~3kg増えた。

 目覚ましは5時に掛けたけど、朝4時過ぎに目が覚めた。そしてつらつらと考えた。総合的に判断して今回は走るのはあきらめることにした。知り合いのランナーも出ているし、走ったことのない大会でもあり「最悪応援だけでも」という気持ちもあったけど、行ったら「ゆっくりなら」なんて頭になって無理してでも走ってしまいそうなのでやはりやめておくことにした。

 5千円の参加費ももったいなかったけど今回はやむを得ないと納得させて、2月の「犬山ハーフ」に間に合うように早く足を治したい。
 9時スタートで制限時間2時間半(厳しいな!)だからもう終わってますね。参加されたほとんどのランナーにとって、おそらくは今年の初レースが楽しいものであったことを願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1回「おおがきハーフマラソン2016」完走しました。

2016-12-31 | 参加マラソン大会
 来る12月11日、昨年まで開催されていた11月の水都おおがきハーフマラソンと新春3日開催のおおがき新春マラソン(10km)を統合する形で今回おおがきハーフマラソンが開催された。どうでもいいが、公式HPでもおおがきマラソンとおおがきハーフマラソンと、二つの名称が混在して使われており、こういう基本的なところもしっかりしてほしい。

 以前の大会にはそれぞれ何度か参加していた。
 ハーフの方は沿道の応援がひょっとしたら日本一くらい少なくて「体育系」の大会などとも表されていた。コースも地味だけど走りやすい平坦なコースで(ただ伊吹おろしはきつい)、いびがわマラソンの2週間前くらいに開催されることからいびがわ出場者のトレーニングに最適な大会とされていた。
 新春マラソンの方は、千葉ちゃんをゲストに商店街の目抜き通りをメイン会場に、時節柄も手伝って大勢の人で賑わった。距離も2009年第1回開催時は中途半端な5.2km、翌年は7.5km、その後5kmになったり一定せず、まあなんというかお祭りか商店街のちょっとしたイベントのようなノリだった。確か昨年から10kmになったんじゃなかろうか。
 折角なんだから、せめてハーフ、できればフル開催をという声は少なからず出てたんじゃないかと思う。

 そして今年新春マラソンの雰囲気を色濃く残しながら距離をハーフにして生まれ変わった。地元の私としては正直不安の方が強かった。何せエントリー枠が5000人。いつまで経っても満杯にならず、大幅定員割れじゃないかと思ってたら、なんとか定員に達した。5000人と言えば大垣周辺の人だけってわけはないので「さて、ちゃんとしたオモテナシができるだろうか?」という心配がよぎる。昨年までのハーフみたいに沿道に人がほとんどいないと言うようなことになったら、もう誰もやってきてはくれないな。これはマラソンの評判を落とすにとどまらない。大垣市の姿勢と責任感が問われる、ということを果たして運営サイドはどれくらい意識しているだろうか?

 前日の受付で、事前にわたすものをセットしてなくてその場で1つずつ箱から取り出したり、それらを入れる袋なりがなかったり。空いてたから良かったけど大丈夫か?私は近いからいいけど、荷物をたくさん持って受付にやってきたランナーはバラバラにわたされた書類やゼッケンやタグを持つのが大変だろうな。会場回りにコレといった案内もなくみんなうまく見つけられるだろうか?
 明日の運営もこの延長だとすれば・・・

曇り空。最高に快適なスタートまでの時間。ただし地元民のみだったようで・・・

 スタート地点まで歩いて行けるというこの大会だけに許されたメリットを最大に利用。着替えはもちろんトイレも自宅で済ませ、ウエアにロングダウンコートを着て出かける。10分前までに指定されたブロックに並べば良いと言うことでぎりぎりまでアップを行いスタート直前に家人にコートを預ける。けっこう寒かったけど実に快適。







 細かなところはともかく景色、ロケーションともぎふ清流マラソン並の素晴らしいコース。

 5000人ということでスタートからしばらくは思うように走れないが気にしない。左足の痛みもあるし(朝ロキソニンを飲んだ)、足の様子を見ながら、まずは歩かず完走がいつも通りの目標。ハーフで歩いたことはさすがに一度もない。2度目のハーフ、関シティで突然の膝の激しい痛みで全く動けなくなったことが一度だけある。
 今回は密かに1時間45分切りを頭に置いてはいた。というのも初ハーフが7年前の犬山での1時間44分26秒で、1時間45分はキロ5ペースであり、いずれにしても私にとって1つの指標になっているからだ。

 大垣城前をスタートして墨俣の一夜城まで行き折り返すように大垣城に戻る。途中、市内の名所を巡るコースだが、昨年までと違い市街地の主要道路を走る区間が多く、コース設定には苦労されたと思う。都市型マラソンは便利だけど、道路を長時間閉鎖しなければならず、地元市民や企業の理解・協力が欠かせない。フルのコースは閉鎖時間が長くなるから簡単にはいかない。

心のこもった沿道の応援と「いびがわ」ばりの長いハイタッチ

 コースは市街地から郊外へ。沿道の応援は少し減ったとはいえほぼどこにもいてくれていささか驚いた。事前に100年も前からコース沿いで商売をしている地元の方に話を聞いたけど、特に主催者からの何の案内も協力依頼もなかったそうだ。やっぱり応援は期待できないか、と思っていたのだ。しかし、けっこうみんな楽しそうに応援してくれている。子供からお年寄りまで。道端で、自宅前で。楽しんでいてくれてる様子がうれしい。

 5kmくらいだろうか、旧揖斐川橋梁を通過。まあ一見ただの古い鉄製の橋だが、歴史的な価値があるらしく重要文化財に指定されている。この橋を渡るために土手へ上がるのが1つめの急坂となる。

 最初の給水ポイントが知る人ぞ知る、というかTV番組か何かをきっかけにちょっとしたブームになった縁結びの神をまつる結神社。5.9km地点。ここから墨俣城前まで約3km。まわりはほぼ田圃で、コース沿いで野焼きをしている方がいて、自分も煙の匂いが少し気になったが風向きによっては苦しくなったかもしれない。協力を頼んでなかったのかどうなのか。この墨俣一夜城付近の川沿いはは桜並木で春ならすばらしい景色に違いない。

 墨俣城の入り口、秀吉出世橋からすぐ南下するのだが、ここがまた5月にはあじさいの名所なのだ。年に何回も開催するわけにも行かないだろうが、季節ごとに楽しみの多いコースではある。
 あじさいは咲いてなかったが、子供達がハイタッチを待ってくれていた。いびがわ名物だけど、このおおがきハーフのハイタッチもなかなかだった。このあと市街地に戻って大垣東小中学校前近く、興文小前でもハイタッチを待つ子供達の長い列があった。もちろん全部ハイタッチしましたよ。こういうのは多少タイムロスしても楽しまないと。しかも、必ずしもタイムロスではなくて、元気をもらってアドレナリンが出てスピードが増したりする。

 2つめの坂が大垣城へ戻る途中13~14kmあたり、揖斐川を渡る大安大橋。こちらは近代的な橋で、このあたりから、望む西の山々---池田山、伊吹山、関ヶ原、養老山、多度山を経て伊勢湾近くに山の端が落ちるまで壮大なパノラマを一望できる。これはなかなかの圧巻。気持ちいい。

足の痛みをこらえ目標達成

 足の痛みは和らぐこともなく、靴の中でアッパーに甲の同じところが当たらないように時々指を動かしながら走った。今日のお供も、一端退役させたスカイセンサー。ほんと、この靴が私にとっては最高に走りやすい靴である。
 坂の上り下りはほぼ、先述の2カ所のみで、そのときだけペースが落ちたけれど、ほぼキロ5ペースを維持していた。距離表示が5kmごとと、昨年までと同じ運用で、当然今回不評を買った。ただ、ここでタイムを読み上げてくれていたのは個人的には大いに刺激になって、10kmからずっと目標の1時間45分ペースから2分遅れであることを認識しており、意外とスタートまで時間がかかったことから、ラストで頑張ったら、ひょっとしたらネットで1時間45分を切れるんじゃないかと思って少しだけ力をためていた。

 15km付近から道路の下をくぐるところは非常に道幅が狭く、3人横には並べなさそうだ。苦肉のコース設定であることをうかがわせる。このあと北へ向かいソフトピアを目指すのだが、この幹線道路は完全に通行止めにすることはできなかったようで、コーンを置いて1車線だけを走路としていて、やはり狭いうえ、結構な交通量なので、怖いという人もいたようだ。警察がしっかりコントロールしてくれていたし個人的には危険を感じるようなことはなかったが、昨今、車が誤って人の列につっこむといった事故も多いので心配の声が上がるのもわからなくはない。
 ソフトピアまで行かず手前で左折して一部規制のコースは終わり、以前全日本実業団女子駅伝のコースだった道路へ。2010年まで28年間岐阜女子駅伝と呼ばれ日本のトップ選手の走りを間近で見られる貴重な機会だった。総合体育館前は6区間のうちの第4中継所としてたすき渡しをする場所になっていた。市街地には本当に多くの声援があふれていて、有名な大会にも負けない素晴らしい雰囲気だった。

 市街地に入ると、いくつか「ここを走るのか」と思うような狭い道や小さく急な曲がりなどもいくつかあり、その最たるものはおそらく20km地点の「奥の細道結びの地記念館の駐車場を使った曲がりくねったコースで、近年一押しのこの記念館をどうしてもコースに入れたい気持ちはわかるが、案の定ランナーのひんしゅくを買うことになった。ここはさすがに他の大会では見たこともないようなレイアウトだった。
 ただ、このあたりも記念館だけじゃなくて、水門川沿いの桜と住吉灯台(芭蕉がここで船に乗って三重に下った)がなんとも情緒のある美しい空間を作り出してもいる観光名所でもある。折り返しになっていてランナー同士がすれ違う。



 残り1km余り。わたしもスパートを掛けた。20~21kmは4'43と最速ラップだった。例によってあとちょっとだというのに、なかなかゴールにたどり着かない。さらに存在感のないゴールゲートでゴールラインがわかりにくく(ここもひんしゅくを買った)最後の最後少しひょしぬけだった。
 ああ、でもなんだか、概ね想像以上の素晴らしいコースと思いも寄らない心のこもった応援の連続に、感動してしまっていた。タイムもネットで5秒、1時間45分を上回った。

 走後はぜんざいをいただき、身体も温まったとはいえ、濡れたウエアはちょっと寒いし、何より足が痛くて、次々やってくるランナーを見やりながら早々に自宅に戻った。
 「ガッキー」ではなく(残念ながら)、今日はガッキー並の人気だった「オガッキー(おがっきい)」と記念写真を撮った。本当は家人も一緒に映ったのだが、恥ずかしがり屋のためプロフィール写真にとどめておくことにした。




大会運営への厳しい評価を糧に来年での改善を

 いくつかは書いたけど、ランネットにたくさんのランナーが厳しくも暖かいコメントを記入してくれた。それを読んで、地元以外のランナーにとっては荷物預かりやトイレなどに大いに不便な大会だったと知った。第1回ということで少し大目に見てもらって、来年以降も継続して参加してもらえるように運営サイドは宝の山でもあるランナーのコメントに真摯に対応してできる限りの改善を施してもらいたい。こんなに素晴らしいところも多いのだから。市民のみなさんの応援もいただけることがわかったのだし、これはしっかりとした大会にして市民のコミュニケーションと大垣市のPRの重要なイベントに育てて欲しいと思う。



 最後になりますが、今年もこのブログを訪れていただいた皆さんに感謝申し上げます。
 来年が、今年よりはいい年になりますように。皆様のご多幸をお祈りして、今年最後のブログとさせていただきます。
 ありがとうございました。


<おしまい>

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016「いびがわマラソン」を走りました~その3

2016-12-22 | 参加マラソン大会
いびがわマラソンの素晴らしさ

 このコースの素晴らしさ--美しい紅葉と渓谷、あちこちにある滝の流れやせせらぎの音--、そして、たくさんの子供達をはじめ沿道を埋める熱く心のこもった応援、関係者やボランティアの笑顔の対応、いやほんと、改めてこの大会の素晴らしさ、手抜きのなさを実感した。快晴の空の元(足の状態はともかく)気分良く走れたこともやはり大きかった。雨続きの大会はそれだけで色々と不便も増えるし、マラソン大会開催はできるだけ晴れる確率の高い時期を選ぶというのは運営上きわめて重要なことに違いない。今回「いびがわマラソンこそ日本一の大会に間違いない」と思った。規模が大きいとか、施設が立派とか、完走賞品がゴージャスとか、そんなこととマラソン大会の価値とは余り関係ない。(大会に求めるものは人それぞれだけれど)いいマラソン大会って何だろう?と自分なりに考えてみる。精一杯考え、できる限りの努力をし、「すべてはランナーのために」この大会が運営されていると感じる。地元の方々もできる限りの応援と協力をしてランナーを迎え、楽しんで安全に走ってまた来年も是非来てもらいたいという気持ちを感じる。そしてそれを30年ずっと続けてきた。この小さな田舎町で。予算も設備も到底大都市とは威比較にならない。でも、そんなことは大した問題ではないのだと教えてくれる。
 スタート前とゴール後、メインステージで歌を聴かせてくれる高石ともやさんがこの大会のかけがえのない宝だとして表彰されていた。本当にその通りだと思う。彼は市民ランナーの大先輩。ランナー達はステージで歌い続けてくれる彼の歌を、もう風とか木々のざわめきとか、降り注ぐ日の光と同じように、この揖斐川町の会場に普通にあるものとして特に気にもしていない。けれど、もし彼の歌が会場に流れていなかったら、我々はきっとそこはかとない喪失感を抱くだろう。彼の歌と笑顔がこの大会の格式と親密さを整えてくれている。
 昨年から聞いていたことだが今回Qちゃんがいなかったのだけは残念だった。

ゴール後のダウン

 終盤、遅いなりに目一杯走ったせいだと思うけど、ゴール後気分が悪くなり、速報の記録証をもらってすぐ、メイン会場に戻る途中の駐車場で階段に頭を乗せて横になっていた。疲れ切ってエネルギーも足りない感じで動けなかった。すぐ前の通路を大勢のランナーが行き交っていていささかカッコ悪さを感じたがそんなの気にしていられなかった。20~30分ほどして幾分落ち着いてきたのでなんとか起き上がり荷物を受け取り更衣テントへ戻った。そこでも結局小一時間横になっていた。リタイヤの可能性が高いと思われた家人は待てども戻ってこない。実は北海道マラソンに続いて見事完走。まったく信じがたいことだ。
 こんなのも初めての経験だと思ってたが、昔のブログを読んだら、忘れてただけで以前にも似たようなことがあった。何がどうなったせいか実のところよくわからないが全力を出し尽くしたって事なんだと思う。
 家人が戻ってきた後、テントの中で生ビールと森本のウインナーで乾杯もできた。昨年までは車だったからこういう楽しみもガマンせざるを得なかった。少し体調が落ちついたあとは気分は悪くなかった。顔見知りのランナーにまったく会えなかったのが残念だったけれど。

帰りはちょっとだけ大変だった。

 さて、そんなこんなで会場を出るのがずいぶん遅くなり、駅へのシャトルバスは最終便になってしまった。すでに多くの人がバスの扉が開くのを待って並んでいた。



 できれば座りたいところだったがそううまくはいかず立っての移動となった。ほぼ身体は回復してたから大きな問題はなかった。
 揖斐駅に着くと、駅にも大会スタッフが大勢いて、これから電車に乗り込むランナー達に笑顔で声を掛けていた。年配の女性が多かったけど、彼女たちの笑顔やねぎらいの言葉は本当に心がこもっていてちょっと感動を覚えるほどだった。
 ただ、駅はものすごい人であふれていて、ホームも端っこまでぎゅうぎゅう詰めで容易に動けないほどだった。



 もちろん座れなかった。やむを得ない。大垣駅まで20~30分。長いと言えば長いし、短いと言えば言えなくもない。まあ、少しだけ辛かったが、ガマンできないほどでもない。我々以上にダメージが大きいランナーにはちょっと辛かったかもしれない。
 これが最終便のせいなのか、どの便も満員・混雑だったのかは知るよしもない。
 行きがこんなに楽で、ゴール後ビールも飲める。来年も電車で来ようかな、と今は思っている。

 最後に、大会関係者の皆さんと地元の熱い応援に心から感謝を。また、来年もぜひ皆さんとお会いしたいと思っています。それまでお元気で。



<おしまい>

その1に戻る>
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする