須賀敦子さんの短編集で、「カラが咲く庭」という作品を読んだ。
静謐さをたたえた須賀ワールドが好きなのだが、
―ーして、
「カラ」とは何ぞや。
カラッとした、この音引きのない響きは?
「カラー」とは違うのかしらと。
どうでもいいようなことにこだわる。
”カラ”と、潔く乾ききった響きを伝えられると、
私たちがカラーと呼ぶ、あの白い花を咲かせる植物とは、、
とても同一視することは出来ない気がするのだ。
ピンク、オレンジ、黄色と、カラーバリエーションも豊富だが、花に見えるのは、苞の部分だ。
「メガホン状のところが
ワイシャツの襟(Collar)の部分に
似ているので「カラー」となった。
また、その形が、修道女の襟(カラー)
を連想させるところからつけられた、とも。」―季節の花300―
短編集の最後の方にはこんな描写もある。
―ーある日の夕方、食事に行こうとして修道院の庭に出ると、カラの花が濃い緑の葉の陰に蒼白く咲いている噴水のそばに、小柄なヴェトナム人修道女のテレ―ズが、こっちを向いて立っていた。~
~修道衣の喉をおおう白い布だけが、夕方の光のなかでぼんやりと明るかった。、
”修道衣の喉をおおう白い布!”
それこそが、
「カラの花」は、「カラー」の花とイコールの証明だった。
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