やや和らいだとはいえ、厳しい寒さが続いています。雪の吾妻小富士。この写真は先日来の寒波以前の写真。今はもっと雪で覆われています。
この写真を、寝たきりになり、次第に会話も少なくなっていった母に見せてやりました。
薄く目をあけた母は、それでもはっきりとつぶやきました。 「きれいね」
思い出してくれればそれでいいと思っていた私には、驚きでした。見慣れた風景が、母のつぶやきで、私の中に新鮮に飛び込んできたのでした。
小さい頃に母は私の手を握ってくれました。今度は私が母の手を握ってやりました。何度も何度も握ってやりました。母にはそれが安心につながったようでした。穏やかな表情を見ると、嬉しかったようでした。ささやかでしたが、感謝の気持ちを伝えることができたように思いました。
母がいるから、生きていたからこそのふるさとです。命のつながりを感じさせるものがふるさとです。体が思うように動かなくなって会えなくなっても、私たちがつながっていると感じることができること、それが生きるということなのではないか、ふとそう思いました。
この写真を、寝たきりになり、次第に会話も少なくなっていった母に見せてやりました。
薄く目をあけた母は、それでもはっきりとつぶやきました。 「きれいね」
思い出してくれればそれでいいと思っていた私には、驚きでした。見慣れた風景が、母のつぶやきで、私の中に新鮮に飛び込んできたのでした。
小さい頃に母は私の手を握ってくれました。今度は私が母の手を握ってやりました。何度も何度も握ってやりました。母にはそれが安心につながったようでした。穏やかな表情を見ると、嬉しかったようでした。ささやかでしたが、感謝の気持ちを伝えることができたように思いました。
母がいるから、生きていたからこそのふるさとです。命のつながりを感じさせるものがふるさとです。体が思うように動かなくなって会えなくなっても、私たちがつながっていると感じることができること、それが生きるということなのではないか、ふとそう思いました。