熊本城は、1588年(天正16年)に、豊臣秀吉の命によって肥後北半国に入国し
領主となった加藤清正によって整備・築城されたものです。
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この城の始まりは、遠く戦国時代(室町時代中期:1469~1487頃)までにさかのぼり、
菊池氏の家臣であった出田秀信による千葉城の築城(現在の熊本城の東側のあたり)
とされます。
その後、戦国時代末期(1521~1532頃)に鹿子木親員が居城を移し、隈本城を築きましたが、
関ヶ原の戦い後、肥後一国の大大名となった加藤清正は、城の大々的な拡張を図り、
1607年(慶長12年)に完成させたといわれます。
城の完成時に、その名称が隈本城から熊本城に改められました。
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城は、1877年(明治10年)の西郷隆盛率いる薩摩軍と新政府軍との戦い(西南戦争)
の開始直前の出火により、天守閣や本丸御殿等を焼失しています。
このため、現在の城は1960年(昭和35年)に天守閣が再建され、また本丸御殿も
2008年(平成20年)に復元されたものです。
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城の周囲は5.3㎞、その面積は98ヘクタール。かつては、大天守閣や小天守閣、
多数の櫓が並び立つ壮大な城郭。加えて堅牢な石垣。櫓は49、櫓門は18、城門は29を
数えたとされます。
明治維新後とはいえ、実際に激しい戦闘の舞台となった城であり、まさに難攻不落の城で
あったようです。
本丸には加藤清正が植えたといわれるイチョウの大木(但し焼失後に芽吹いたもので、
いわば2代目)があり、この木をはじめイチョウが数多く植えられていることから、
熊本城の別名である銀杏城(ぎんなんじょう)の由来となっているとのこと。
復元された本丸御殿は加藤清正の権勢を誇るかのように、大広間や昭君の間など豪華な
雰囲気を漂わせています。
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創建当時からある「宇土櫓」は国の重要文化財に指定されています。
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熊本城でも、『熊本城おもてなし武将隊』が活躍していました。今年の「全国武将隊・天下一
決定戦」の成績を訪ねましたら、「我らの精進が足らず、第2位で?ござった」との返事。
何はともあれ、平和で無事のご帰還、お疲れ様でした。
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日本が新しく生まれ変わる際の激戦など、何もなかったかのような熊本城の今の賑わい。
歴史を形づくった先人に敬意を表しながら、改めて平和の尊さをかみしめたいと思います。
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追記 次の文献のほか、ウイキペディア等を参考にさせていただきました。
「熊本城みてある記」 (平成25年9月 熊本市広報課)
「城を攻める 城を守る}(平成26年6月 伊東潤 講談社現代新書)
領主となった加藤清正によって整備・築城されたものです。
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この城の始まりは、遠く戦国時代(室町時代中期:1469~1487頃)までにさかのぼり、
菊池氏の家臣であった出田秀信による千葉城の築城(現在の熊本城の東側のあたり)
とされます。
その後、戦国時代末期(1521~1532頃)に鹿子木親員が居城を移し、隈本城を築きましたが、
関ヶ原の戦い後、肥後一国の大大名となった加藤清正は、城の大々的な拡張を図り、
1607年(慶長12年)に完成させたといわれます。
城の完成時に、その名称が隈本城から熊本城に改められました。
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城は、1877年(明治10年)の西郷隆盛率いる薩摩軍と新政府軍との戦い(西南戦争)
の開始直前の出火により、天守閣や本丸御殿等を焼失しています。
このため、現在の城は1960年(昭和35年)に天守閣が再建され、また本丸御殿も
2008年(平成20年)に復元されたものです。
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城の周囲は5.3㎞、その面積は98ヘクタール。かつては、大天守閣や小天守閣、
多数の櫓が並び立つ壮大な城郭。加えて堅牢な石垣。櫓は49、櫓門は18、城門は29を
数えたとされます。
明治維新後とはいえ、実際に激しい戦闘の舞台となった城であり、まさに難攻不落の城で
あったようです。
本丸には加藤清正が植えたといわれるイチョウの大木(但し焼失後に芽吹いたもので、
いわば2代目)があり、この木をはじめイチョウが数多く植えられていることから、
熊本城の別名である銀杏城(ぎんなんじょう)の由来となっているとのこと。
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復元された本丸御殿は加藤清正の権勢を誇るかのように、大広間や昭君の間など豪華な
雰囲気を漂わせています。
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創建当時からある「宇土櫓」は国の重要文化財に指定されています。
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熊本城でも、『熊本城おもてなし武将隊』が活躍していました。今年の「全国武将隊・天下一
決定戦」の成績を訪ねましたら、「我らの精進が足らず、第2位で?ござった」との返事。
何はともあれ、平和で無事のご帰還、お疲れ様でした。
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日本が新しく生まれ変わる際の激戦など、何もなかったかのような熊本城の今の賑わい。
歴史を形づくった先人に敬意を表しながら、改めて平和の尊さをかみしめたいと思います。
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追記 次の文献のほか、ウイキペディア等を参考にさせていただきました。
「熊本城みてある記」 (平成25年9月 熊本市広報課)
「城を攻める 城を守る}(平成26年6月 伊東潤 講談社現代新書)