奈良の義妹に用事があって電話したとき、一通り用件が終わると彼女は「千の風になって」という歌を知っていますかと尋ねた。そういう歌があるのは聞いたことがあるようだが知らないなと答えると、とても好きなんですと言った。電話を切ってからインタネットで調べると、あった。昨年末のNHKの紅白歌合戦で歌われてから、人気が上昇していると言うことだ。紅白で歌われるくらいだから以前から評判にはなっていたのだろう。私は紅白は見なかったからどんなメロディーなのかは分らないが、詩を読んでみると、ふと妻のことを考えて不覚にも涙ぐんでしまった。折り返し義妹に電話し、読んだよ、ちょっと涙が出たと言ったら、そうでしょう、私もお姉ちゃんのことを思い出して涙が出たんです、お墓が遠いからいつも気になっていたんですが、この歌を聞いてそういう気持ちでいればいいのかなと思いましたと言った。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」で始まるこの詩を読んでいると、若い頃好きだった英国の女性叙情詩人のクリスティーナ・ロゼッティ(Christina Rossetti 1830~1894)の次のような詩を思い出した。訳者は不詳。
私が死んでも愛しいあなた
悲しみの歌など歌わないでね
薔薇の花も木陰つくる糸杉も
私の枕辺に埋めたりしないでね
雨に打たれ露に濡れた
緑の芝草だけで十分なのよ
そして気が向いたら思い出してくださいね
忘れたって私はかまいませんわ
私はもう暗闇を見ることもなく
雨を感じることもなくなるでしょう
苦しみに耐えぬように歌い続ける
あのナイチンゲールの歌声も聞こえないでしょう
そして日の昇り沈むことのない
あの薄明かりの中に夢見ながら
時折はあなたを偲び
また、時に忘れもいたしましょう
私は前世とかあの世とか、死後のこととかはまったく信じて来なかったくせに、妻の場合には逝ってしまった後、いったい今頃はどこでどうしているのだろうかと何度も考えた。考えては涙したことも何度もある。しかし、だいぶたってから前から好きだったこのロゼッティの詩を読み返してみて、ふと「薄明かりの中に夢見ながら」眠っている妻の顔を想像して何かしら心が休まるような気がした。それは「あの世」にいるのでもなく、もちろん現世で見ることのできるものでもなくて、そのように穏やかにまどろんでいる妻は、私の心の中には確かにいるのだと思ったのだった。
[注記] 「千の風になって」の全文はインタネットで読むことができるが、歌詞の転載をする場合には非営利の場合でも、講談社発行の同名の本を必ず購入し、その上で出典明記して載せるようにとあったので全文の引用はしなかった。
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」で始まるこの詩を読んでいると、若い頃好きだった英国の女性叙情詩人のクリスティーナ・ロゼッティ(Christina Rossetti 1830~1894)の次のような詩を思い出した。訳者は不詳。
私が死んでも愛しいあなた
悲しみの歌など歌わないでね
薔薇の花も木陰つくる糸杉も
私の枕辺に埋めたりしないでね
雨に打たれ露に濡れた
緑の芝草だけで十分なのよ
そして気が向いたら思い出してくださいね
忘れたって私はかまいませんわ
私はもう暗闇を見ることもなく
雨を感じることもなくなるでしょう
苦しみに耐えぬように歌い続ける
あのナイチンゲールの歌声も聞こえないでしょう
そして日の昇り沈むことのない
あの薄明かりの中に夢見ながら
時折はあなたを偲び
また、時に忘れもいたしましょう
私は前世とかあの世とか、死後のこととかはまったく信じて来なかったくせに、妻の場合には逝ってしまった後、いったい今頃はどこでどうしているのだろうかと何度も考えた。考えては涙したことも何度もある。しかし、だいぶたってから前から好きだったこのロゼッティの詩を読み返してみて、ふと「薄明かりの中に夢見ながら」眠っている妻の顔を想像して何かしら心が休まるような気がした。それは「あの世」にいるのでもなく、もちろん現世で見ることのできるものでもなくて、そのように穏やかにまどろんでいる妻は、私の心の中には確かにいるのだと思ったのだった。
[注記] 「千の風になって」の全文はインタネットで読むことができるが、歌詞の転載をする場合には非営利の場合でも、講談社発行の同名の本を必ず購入し、その上で出典明記して載せるようにとあったので全文の引用はしなかった。