中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

「いただきます」

2011-08-07 08:53:14 | 身辺雑記

 新聞の読者投書欄に次のような投稿があった。投稿者は山口県在住の68歳の男性。

 

 先日、ある研修会に出席した時のこと、1人の出席者から驚くような事実を聞かされた。その方の近くの小学校では給食の時間、配膳が終わるとピーと笛の合図で「頂きます」を言わないまま食事が始まるというのだ。太鼓のドンの合図の教室もあるという。

 こうなった理由は、給食費を徴収するようになった時、ある親から「お金を払っているのに頂きますというのはおかしい」とクレームがあったためという。こんな意見がまかり通ることにあきれ返った。食前の「頂きます」、食後の「ごちそうさま」は、食事が頂けることに対しての感謝である。お金を払うか払わないかには関係なく、言うのは当然だと思う。(後略)

 

 何ともばかばかしいと言うか、不愉快と言うか、クレームをつけた親のバカさ加減は言うまでもないが、それを唯々諾々と受け容れた学校長以下教員達も情けない。運動会の競技ではあるまいし、笛の合図で食べ始めるとは滑稽を通り越して、バカかと思う。こういう馬鹿げたやり方に疑問を持たない他の親達もどうかしている。クレームをつけた親は自分の意見が受け容れられて得意顔なのだろうが、このような程度の低いバカはどうにもならない。近頃はモンスター・ペアレントという、何かにつけてしたり顔や強面で学校にクレームをつけるバカ親が増えていて、学校でも扱いに困ることが多いようだが、教師も毅然とした姿勢でないと、ますますバカ親どもがのさばることになる。

 

 食前の「頂きます」、食後の「ごちそうさま」は、いつ頃から言われるようになったのかは知らないし、他の国ではどうなのかについても知らない。しかし、自分を生かしてくれているすべてに感謝するということは、それがたとえ仏教的な考え、あるいは戦前の修身に根拠があるにしても、日本の良い習慣として大切にしていかなければならないと思う。

 

 最近では家庭ではどうなのだろうか。「頂きます」、「ごちそうさま」のない家庭で育った親は当然わが子にもそのような躾はしないだろう。親が用意した食卓に黙って座り、黙って食べ始め、終わると黙って立ち上がる、そういう家庭の光景が増えないように願う。