中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

愚かしい心配

2011-08-11 08:51:40 | 身辺雑記

震災で亡くなった人達のために、津波で壊滅的な被害を蒙った国の名勝、岩手県陸前高田市の「高田松原」の松で作った薪を、16日に行なわれる京都市の「大文字五山の送り火」で燃やそうという計画があった。陸前高田市の有志者が発案して、送り火の保存会に申し入れて了承され準備が進められてきた。およそ400本の薪には、陸前高田市の被災者が、失った家族への思いや復興にかける決意などを書き込んでいた。

 

 ところがこの計画に対して、保存会や京都市などに「被災地の松を燃やすと放射性物質が出るのではないか」などといった不安の声が数十件寄せられた。その結果、保存会や京都市は念のため放射性物質の検査を行い、問題がないことを確認したが、不安を完全に取り除くことは難しいとして中止を決めた。薪を集めた陸前高田市のSさんは「被災者の思いをかなえられず、残念で言葉になりませんが、不安に思っている人がいるのも事実ですし、しかたがないです」と語ったそうだ。計画を進めてきた保存会は、薪に書いたことばを別の木に書き写して燃やすことにした。

 

 陸前高田市は、今回の大地震による大津波で市の中心部は市庁舎もろとも壊滅し、市の全世帯中の7割以上が被害を受けた。人口23,164人中、死者は1200人以上、行方不明者も1200近くに達し、人口の1割が喪われた。同市では8日に、京都で使われるはずだった薪が「迎え火」として燃やされた。積まれた333本の薪には、犠牲者の名前のほか「姉ちゃんの料理おいしかったよ」「会いたい、会いたい」などと書かれたものもあった。木に書かれたメッセージは7日、保存会のメンバーが陸前高田市に来て写真撮影。京都市で別の護摩木に書き写したり、画像を貼り付けたりして、16日の送り火で燃やすことにした。

 「被災地の松を燃やすと放射性物質が出るのではないか」などといった不安の声を寄せた一部の京都市民の愚かしさには、不愉快を通り越して怒りさえ覚える。陸前高田市は岩手県の南東部にあるが、南に宮城県を挟んで、福島原発からは200キロ近く離れている。「そもそも放射性物質が松に含まれる可能性は低い。検出されなかったら燃やしても環境への影響はまったくない」と専門家も言っている。岩手県=東北=原発=放射性物質汚染という短絡的な思考には我慢できないものがある。どうしてこのような思考に陥ってしまうのか。それだけ目に見えない放射能に対する恐怖感が強いと言えるのだが、もっと冷静に考えることはできないものか。

京都市や保存会もだらしがない。念のため検査して問題がないと確認したのなら、はっきりとそれを公表して計画どおり実施するべきだったのだ。放射性物質が含まれていないということが分かった後でも、大文字保存会の理事会では理事から「送り火の後も大文字山に登る人達の安全を確保できるか」とか「やったらやったで批判は出るし、やらなければ苦情が出る、騒ぎは避けたい」という意見も出て取り止めが決まった。頑迷固陋と言うか逃げ腰と言うか、まったく情けない。

 

最近は何かと言うと「クレ-マー」という輩が口を出す。それがたとえ少数であってもクレームをつけられた自治体や学校、団体などはあたふたし、事なかれ主義の処理をする。そういう姿勢がますますこのような不愉快な連中を増長させ、はびこらせるのだ。

 

 と、暑いさなかにかなり不愉快な思いにとらわれていたのだが、幸いなことに、この計画は実施されることになった。京都市には中止が報じられてから3日間でメール180件、電話130件以上が殺到し、その後も計970件が寄せられて、大半は中止になったことへの批判だったと言う。そのため京都市では陸前高田市から別の松の木を取り寄せて送り火で燃やすことを決めた。新たな薪およそ500本が11日午後には陸前高田市から京都市に運ばれ、放射性物質が含まれていないか検査をしたうえで送り火で燃やされることになった。

 

 震災から5ヶ月がたったが、いまだに被災地、とりわけ福島に関する風評被害は収まらない。それどころか、陰湿な形で浸透して行っているようだ。マスコミもただ事実を伝えるだけでなく、いわれのない被災地差別や風評被害には厳しい論を張るべきだろう。