中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

再婚

2011-11-12 15:35:28 | 身辺雑記

 「恋人探し」、「高砂や」、「離婚」と続けてきたので、「再婚」ということもちょっと考えてみた。

 

 私が妻を喪ったのは65歳の時で、それから少し気持ちが落ち着いたのは3年ほどたってからだったから、そのときは70歳近くになっていて、そのせいか再婚話を持ち込まれることはなかった。 

 

私の教育委員会事務局や教育研究所時代の同僚で、連れ合いを亡くしたのが3人いた。3人ともその後小学校や中学校の校長になったが再婚した。寡になったときにはまだ50代にかかったばかりだったし、公務上の地位もあったので、再婚を考えたのだろう。私の場合はもう定年退職したあとだったし、もはや再婚を考える年齢でもなかった。

 

 それでも見かけは元気だったせいもあるからか、長男の嫁や2、3の人に「再婚はしないのですか」と聞かれたこともあるが、まったく考えなかった。その理由はあれこれ理屈っぽく言ったものだが、第一に今さら結婚など気力も労力も要ることは面倒。二に妻のことが忘れられないのに再婚したら、その相手が気の毒。三には、もし適当な相手がいても、おそらくは相手も再婚という可能性は高いだろうから、子どももいるだろう。そうすると私のために私の子ども達は急に見も知らぬ親戚、きょうだいをもつことになる。

 

 今思うと、その場限りの適当な言い訳のようなものだが、本音でもあった。何よりも、退職していたから交際範囲は限られて、これならという女性は見当たらなかった。そういうことで、再婚にはまったく興味も関心もなく過ごしてきた。この10年あまりの歳月を振り返ってみても、それで寂しいと思うことはまったくなかった。

 

米国の映画人など有名人には、結婚、離婚、再婚を繰り返すのが少なくない。今年の3月に79歳で亡くなった女優のエリザベス・テーラーなどは、生涯で8回の結婚と7回の離婚をしているが、結婚相手も実業家、俳優、プロデュサー、政治家、工事現場作業員と多彩だ。よほど結婚願望が強かったのか。死別は一度だけで、後は離婚だから。相手に満足できなかったのか。恋多い女性という感じがするが、晩年は独身だった。

 

このようなことは一般人にはまずないだろうが、これはと思う相手が見つかれば再婚して幸せであればそれに越したことはない。実際、先に挙げた3人の元同僚達は、再婚後は幸せに過ごしているようだ。