中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

クマゼミの害

2011-11-19 23:01:33 | 身辺雑記

セミの季節は過ぎ去ったが、気のせいか今年はクマゼミの鳴き声をあまりあまり聞かなかったように思う。幼い頃、神戸の須磨にいたが、夏になると庭の青桐の木に止まって、まず一声シャアッと鳴き、そのあとシャッシャッシャと大きな声で鳴く。最高潮になるとセンセンセンセン・・・とも聞こえる。クマゼミは幼い私には憧れのセミで、ベランダから近寄って捕虫網で捕らえようとするのだが、すばしこくていつもシャッと言って飛び去ってしまうから、一度も成功したことがない。その後東京に移ったが東京にはクマゼミはいなかった。最近では分布地は北上して、東京など関東でも見られるそうだ。

 

 クマゼミは日本特産の大型のセミで体長は60~70ミリある、ヤエヤマクマゼミに次いで大きいという。頭が大きく黒くいかつい体つきで、子どもには魅力のあるセミだった。近頃この辺りで見るクマゼミは子どもの頃見たよりも少し小さくなっているような気がする。このクマゼミ、思いがけないことで害虫としてその扱いに悩まされていた。

 

    インタネットより

 

 クマゼミのメスは月から月にかけて直径約ミリの先端が鋭い産卵管を木の枝に突き刺して卵を産み付ける。ところが、NTT西日本(大阪市)の光ファイバー通信の家庭用ケーブルにも産卵し断線させる被害が平成17年ごろから多発していたという。光ファイバー通信の幹線から枝分かれした家庭用ケーブルを、枯れ枝と勘違いして産卵するから、ケーブル内の心線を傷つけ、通信を遮断する。光ケーブルの通信線がそのようにデリケートなものだとは知らなかったが、この被害は平成11年に初めて確認された。そのニュースは聞いたことがある。ピーク時の20年には約2千件の被害があったというから馬鹿にならない。

 

 

                                           NTT西日本提供

 

 それではケーブルの皮膜を厚く硬くすればいいではないかと言うと、そんなに簡単なことではないようで、太く硬くなりすぎると施設工事の障害になるらしいから微妙なものだ。

 

NTT西日本では16年と18年に、クマゼミ対策で改良したケーブルを導入して被害を減らすことに成功したが、さらに3代目のケーブルの開発に着手し、21年に開発した最新型のケーブルでは、3年連続で被害がゼロになった。そのためには研究員達はクマゼミの生態を分析するために、大阪市内で毎日約60匹を捕獲して、実際にケーブルに産卵する様子を観察したという。自然の産卵環境を維持するために、研究員達は酷暑の中、冷房もつけずに実験を続けてきたそうで、顕微鏡で0.1ミリメートル単位の刺し傷の深さを分析するという根気の要る作業を続けた。その結果、ケーブルを覆うプラスチック系被膜を、産卵管でも傷つきにくい硬さに改良したうえ、被膜の最薄部の厚さを約0.ミリに保つことで、産卵管がケーブルの心線に達しない最新型のケーブルを完成させた。

 

 私たちが気が付かないところで、このような緻密な努力が続けられたことには頭が下がる思いがする。これがプロの仕事と言うものだろう。

 

 

 


断末魔

2011-11-19 14:52:49 | 身辺雑記

 この年になると、いったいどのような最後を迎えるのかと時折思う。何で死ぬにせよ静かな終焉を迎えたいとは思うのだが、なかなかそうはいくまいとも思う。

 

 死ぬ間際の苦しみを断末魔(断末摩)と言う。「末魔」は梵語のmarmanの音訳で、死節、死穴と訳されるそうだ。体内に特殊な末摩と呼ばれる極小の部分があって、命の終わるときにはこれが分解して苦痛を生じて死に至るとのことだ。

 

 私の父は膵臓癌で死んだが、滋賀県の大学病院に入院していたので、私と弟は車で駆けつけたが臨終には間に合わなかった。母に聞くと父は急に苦しみ出し、大声を上げてもだえたそうだ。駆けつけた医師が押さえつけても暴れるほどだったと言う。それまでは病気が進行しても苦しむことはなかったが、最後のひどい苦しみは、それが断末魔のものだったのかと思った。

 

 妻はスキルス性胃癌で死んだ。これは胃壁の内部にできる癌で、やがて癌細胞が胃壁を破って腹腔内に散らばって転移する。肝臓などに転移すると強い痛みに襲われて横になっていることもできなくなることもあるそうだが、妻はそういうことはなかった。日々瘦せていったが、穏やかに過ごしていた。しかし看護師からもう後わずかと聞かされて2,3日たった夜、急に苦しみ出した。激しくもだえながら「おかあちゃん、おかあちゃん」と叫んだ。幼い頃の母親の幻を見て助けを求めているかのようだった。付き添っていた次男は泣きながら、枕元に置いてあった祖母の写真を見せ「おばあちゃんはここにいるからな」と声をかけていた。あまり苦しむので耐えられなくなった私は、医師に鎮静剤を打つように頼み、そうするともう意識が戻ることはないと聞かされたが承諾した。それから後は穏やかに昏睡したまま、翌日の午後に息を引き取った。臨終は穏やかだったが、やはりその前に断末魔の苦しみを味わったのかと思うと哀れだった。

 

 父方の祖母は90歳半ば、母は80歳半ばで老衰で死んだが、どちらも穏やかに逝った。とりわけ祖母は、これが眠るような大往生と言うものだろうと思うくらいの静寂な死で、厳かな感じさえした。母の最期も看取ったが、これも静かな死だった。病室に持ち込まれた心電計の波形を見ているとしだいに平たくなったので、これで最後だろうと思って私は母の耳元に口を近づけて「母さん、さよなら」とささやいた。すると心電計の波が急に元に戻り、付き添いの年輩の女性から、「静かに逝かしておあげなさい」と叱られたが、私の声は、幽冥に入ろうとしている母に届いたように思った。

 

 このような経験から私は、何か体内に異常なもの、例えば癌のようなものができると、断末魔の苦しみがきて、老衰のようないわば自然死だと、穏やかに逝けるのかと何となく思っているのだが、どんなものだろうか。願わくば祖母のような安らかな死を迎えたいものだ。