中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

格安ツアー

2008-11-12 09:26:33 | 中国のこと
 「これを見てくださいよ」と言ってH君が、ある大手旅行社の格安ツアーの広告が載っている新聞のページを見せ、その中の「江南大周遊8日間」というところを指した。「7都市ぐるり周遊」とあって、中国の江南地方の杭州、烏鎮、紹興、周荘、蘇州、無錫それに上海を巡るものだ。この中の烏鎮と周荘は都市ではないが、かなりのハードな日程のようだ。

 私はこのところ毎年H君達と上海と江南地方訪れていて、今年も近々出かけることにしているのだが、H君がこの広告を見せたのはこのツアーの代金があまりに安かったからだった。代金は5.2万円~6.5万円とあり、最近とみに値上がりして航空機利用者を悩ませている燃油サーチャージもこの中に含まれていて、その額は21,000円。したがってそれを差し引いた旅行代金は31,000円~44,000円となり、これは大阪―上海の往復航空券代、7回泊まるホテル代(四つ星という)、20回の食事代、移動のための車代、ガイド料が含まれるから、いったいどうなっているのかと驚くほかはない。今回の私達の旅の計画は上海の旅行社の友人の唐怡荷に送り検討してもらっていて、まだ経費については不明だが、航空券は国内の旅行社に支払い済みで、大阪―上海往復で52,800円、これに燃油サーチャージ代を除く諸費が加算されて合計5万8千くらいであるから、旅行社のツアーの旅行代はこれより安い。私たちは安いホテルを利用するし、贅沢な食事はしないが、それでも現地での経費は15万円くらいにはなるだろう。旅行社にはいったいどういうからくりがあるのかと呆れるばかりである。

 西安中国国際旅行社の袁毅にチャットでこの話をしたら、こちらにも西安3泊4日39,800円というのがあると言った。四つ星ホテルを使うと言う。袁毅は李真と一緒に日本の旅行社の計画に見積もりを出す仕事をしているが、言ってくる計画の代金の安さに応ずるのには四苦八苦するようだ。それでも何とか見積もりを出してそれが採用されると、旅行団が来たときのさまざまな手配もする。何かトラブルがあったりすると、会社の損失になるようだ。こんなに安くしたら、いったい誰が損するのかと聞いたら、ガイドだと言った。日本の旅行社から現地旅行社に納められるツアー代金(団費)は実際の経費より少ないから、その分はガイドの負担になり、ガイドには客1人当たり定額の金を会社に納めることが課せられる。これを人頭税と言って、最近は客1人当たり600元(約1万円)だそうだ。これでは客が多いほどガイドの負担は増すから、ガイドは当然それを取り戻そうとする。そこでみやげ物店に客を連れて行く。店では客の購入額に応じてガイドにリベートを出す。毎日ショッピングがあるから観光時間は短くなる。ガイドはショッピングのことばかりお考えるから、肝心の接待の質は良くないことになると袁毅は言い、ツアー代金が安い分だけ客に影響することになるから悪循環だとも言った。よくツアーでは買い物ばかりさせられたという不満が出るが、それはこういう仕組みがあるからだ。

 私はこれまで何度も中国には行ったが、旅行社の団体ツアーは、雲南への写真撮影ツアーも含めて4回しかない。個人旅行は格安ツアーに比べると高くつくことは確かだが、ゆとりのある日程が組めるし、臨機応変な行動も取れるのが良い。格安ツアーは必ずしも安かろう悪かろうと言うものではないが、安いだけのことはあり、何よりもその陰には、現地旅行社が日本の旅行社の厳しい要求に悩み、皺寄せが一番末端のガイドに行っていることは知っておいたほうがいいだろう。

            烏鎮

米国大統領選挙(3)

2008-11-10 09:46:31 | 身辺雑記
 4年に1度の選挙と言うものの、米国大統領選挙はいかにも金持ちの大国らしい一大お祭り騒ぎだとつくづく思う。民主、共和両党の候補者選びから始まって10ヶ月近い長丁場のお祭り騒ぎが続く。各候補が投じる金も莫大なもので、資金切れして途中で撤退する候補者もある。支持者たちが熱狂する様子を見ていると、今の米国社会にある閉塞感を何とかしたいという有権者の願いの表れなのだろうとは思うが、それにしても不況とは異質な派手な騒ぎのように思えてしまう。

 異質と言えば、選挙運動中候補者の間で繰り広げられるネガティーブキャンペーンというものは、私たち日本人には馴染まないものではないか。相手の欠点をテレビなどで大々的に取り上げていき、批判などと言うものを通り越したもののようだ。相手のちょっとした行為や言葉も激しく叩く。選挙戦と言えども戦争だ。戦いでは相手を容赦なく徹底的に叩きのめすのだというのが米国人気質なのだろうか。

 大統領選挙のお祭り騒ぎは日本にも現れた。福井県の小浜市で市民有志が「オバマ候補を応援する会」をつくって、民主党内の候補者選びの段階から応援していた。オバマと小浜とが同じ発音だということだかららしい。当選確実の知らせに参加者は「オバマ!」コールを5分間繰返し、オバマ候補がハワイ出身であることから、フラダンス教室の女性の踊りもあり、「勝利を祝う会」も開くと言う。こちらは村祭り程度で無邪気この上ないとも言えるが、米国民でもなく、米国の1州でもあるまいし、ばかばかしい騒ぎだと思い、何となく気恥ずかしくなってしまった。

 お祭り騒ぎは終わった。これからは今後の日米関係がどのようになるのかが関心事になるだろうが、アフガンのことなど、さらに強く協力を求められてくるだろう。日本政府はどのように対応していくのだろう。

             

米国大統領選挙(2)

2008-11-09 08:30:05 | 身辺雑記
 話は変わるが、米国の大統領選挙の仕組みはどうもよく分からないところがある。国民が選ぶのは大統領でなく、各州ごとに大統領選挙人というものを選ぶ間接選挙だ。この選挙人の総計は538人で、その過半数を獲得したほうが大統領に当選することになる。もっとも選挙人が大統領を選ぶと言うのは形式的なことで、実際には一般選挙で決まってしまう。これはかつて広大な国土で交通通信手段が発達していなかった頃の名残りかと思ったが、そうではなく、この制度の根底には愚民思想があるとの指摘もあるようだ。確かにこの制度ができたのは220年以上前の建国当時のようだが、一般国民に直接選挙権を与えるとどんな結果になるか分からないから、分別のある選挙人に選ばせるという考えがあったらしい。だが、それにしても選挙人を選ぶ分別は国民にあるというのだろうか。いずれにしても今の世の中、民度も高くなっているのだから直接選挙にした方が簡単だろうし、民主、共和党以外の第3の候補者も票を獲得できて、民意が分かるのではないかと思うが、米国という国は意外に保守的なのかも知れない。

 もっと分からないのは、2つの州を除いた州で採用されている「勝者独占方式」というものだ。その州で選挙人を多く獲得した候補者が州内の選挙人のすべてを独占できるというもので、例えば選挙人の定員50人の州でA候補が26人、B候補が24人の選挙人を獲得したら、A候補が50人全員を獲得することになる。どうしてこのような奇妙なことになるか、説明を聞いたことがないから分からない。2000年の大統領選挙では、民主党のゴア候補が得票率では共和党のブッシュ候補に勝っていたが、選挙人の数で下回り敗北した。しかも最後のフロリダ州の開票結果が36日間も確定せず、共和党寄りの作為もあったなどの噂も乱れ飛んで、ブッシュ大統領の「正統性」への疑問が後にまで言われる原因となった。

              

米国大統領選挙

2008-11-08 10:18:51 | 身辺雑記
 次期米国大統領に民主党のオバマ上院議員が当選した。

 テレビで彼の勝利宣言の出だしを聞いたが、実に演説がうまい。新聞で全文を読むと、さらにその感を深くした。4年前には無名の上院議員だったが、その巧みな弁舌で多くの人を魅了し、終には民主党の大統領候補となり、米国史上初のアフリカ系米国人の大統領にまで上り詰めることになった。テレビの大統領選挙のニュースで何度か彼が演説する様子を見たが、たしかに聴く人を惹きつけるものがあった。敗れた共和党のマケイン候補の敗北宣言もなかなかのものだ。

 米国人は幼い頃から話すことの大切さを教えられると聞いたし、とりわけ政治家の言葉には、厳しい目が向けられるようだ。たびたびの意味不明の発言や単語の間違いで揶揄の対象になったのはブッシュ現大統領だ。政治家には格調の高い言葉が期待されているのだろう。これは米国だけでなく、イギリスなどヨーロッパ諸国でも同様らしい。翻って日本の政治家は押しなべて言葉が貧しいようだ。アーウー宰相と言われた首相もいたが、これは論外にしても、本当に心に入ってくるような言葉、演説を聞くことがない。巧みに話すことを饒舌と勘違いしているのではないかと思うほどだ。地元の講演会などでは気が緩むのか饒舌になるようだが、格調高いというものとは無縁の喋り散らしのようなものらしい。ワンフレーズと言われた元首相がいて、もて囃す向きもあったようだが、あれなどは底の浅いものだった。日本の政治家はもっと言葉を磨くべきだと思う。

                 

西安で(8) 陽陵博物館

2008-11-07 09:29:16 | 中国のこと
 陽陵博物苑の近くにある陽陵博物館には、陽陵や陪塚からの出土品が多数展示されている。


 人形の土偶(俑)。武人のものがほとんどのようだが、秦の兵馬俑のように等身大のものではなく小型である。


 このような俑は頭部と身体とが一体になった型に土を詰めて造ってから焼き、木製の腕をつけて衣装を着せた。長い年月の間に腕と衣装は腐食してしまっている。秦の兵馬俑のようなリアルさはないが、それでもさまざまな表情をしているし、下半身部も作ってあるので、宦官であることが判るものもある。


 発掘された当時の状態の再現。


 秦の兵馬俑と漢の俑の大きさや規模の違いは、戦乱に明け暮れた秦と、国力が強大になり、社会も安定した漢との時代の違いがあるのではないだろうか。

 動物の俑。非常にリアルに造られていて、当時の技術の高さが判る。
 
 豚


 牛


 犬


 羊




 山羊

 
 馬





西安で(7) 陽陵と陽陵博物苑

2008-11-05 22:48:23 | 中国のこと
 一連の前漢の皇帝陵墓群の内、第6代皇帝景帝(劉啓、武帝の父)の陵はもっとも東端にあり陽陵と言う。

 景帝は民力を休ませ、徭(人民に課す労働)を軽減し租税を少なくする政策を先代から継承したので経済は回復し社会は発展した。中央集権を強化して諸侯の権限を縮小し、皇帝の権力を強めた

 陽陵。陽陵は高さは31m、底部の辺の長さは170m、頂部の辺の長さは50mである




 漢陽陵博物苑(漢陽陵帝陵外蔵坑保護展示廰)。陵の周囲には陪葬坑が取り巻き、その一部をそのまま地下で見られるようになっているユニークな博物館である。2006年に公開された。西安・咸陽近郊ではもっとも見ごたえのある博物館と言われる。


 陪葬坑の上にはガラス張りの通路が作られ、陪葬坑の様子を見ることができる。




 多数の人形の土偶(俑)


 馬車の模型も見える。


 復元された様子


 土器


 土器と動物の骨、角


 漢代の男女、武人の服装。何となく日本の着物に似ている。
    


西安で(6) 茂陵博物館

2008-11-04 08:44:13 | 中国のこと
 武帝の茂陵の周辺には寵妃や功臣たちの墓(陪塚)がある。その1つに多くの武功を立てた将軍の霍去病(かく・きょへい)の墓があり、現在では墓の周辺は茂陵博物館として整備されている。


 霍去病は幼い頃から武帝の寵愛を受け、18歳で叔父の衛青に従って匈奴征伐に赴き、その後も何度も匈奴征伐で功績を挙げて驃騎将軍となり、さらに衛青とともに大司馬となったが、24歳の若さで病死した。

 霍去病の墓。墓丘の前の石碑は清代の乾隆年間のもの。碑面の霍去病の「病」の文字には病垂の上の点がない。病と言う文字を忌んだもののようだ。


 墓の上には大型の石刻を多く置いた。現在では墓の周辺に置かれているが、その造形は質朴で気勢は雄大と言われている。中国古代の石刻芸術の貴重な遺産とされ、多くは国宝に指定されている。

 馬踏匈奴。特に有名なものである。


 躍馬。躍動感がすばらしい。


 臥牛


 臥馬


 臥象


 伏虎


 怪獣喫羊


 蛙


 蟾(ひきがえる)

 
 石魚


衛青の墓。霍去病の墓の西北にある。


孤食

2008-11-03 09:32:57 | 身辺雑記
 独り住まいだから、食事も当然独りでする。これは侘しいものだ。家でする場合には大して味わうこともなく、そそくさと済ませてしまう。晩酌でもしたら少しはゆっくりするのだろうが、あいにくアルコールには弱いから、その習慣もない。

 夕食を外でとることは、卒業生や知人と一緒でもない限りめったにしない。たいていは昼食だが、外で食べる場合には家でするよりも比較的ゆっくりする。そんな時には前の席に妻がいたらと思うことがよくある。妻とはそれほど一緒に外食をしたことはないが、それでもいろいろ話をしながら食べるのは楽しかった。外食でなくても家で夕食をとる時などは、遅く帰って一人で食べる場合でも、妻はいつもそばに座って、あれこれ話し相手になってくれた。妻はおっとりとした性格で声も低かったから、何かしら心が休まった。

 外の店で食べると概して人の出入りが多くて落ち着かないこともあるが、最近ちょっと気に入った店を見つけた。喫茶も食事もできる店で近所にあるのだが、これまではあまり入ったことはなく、食事をしたことはなかった。初めて定食を注文したが味もよく、小鉢など細かいところまで気配りがあって好ましい。女性が1人でやっているから注文して出されるまでに少し時間がかかるが、店の中は静かで落ち着いた雰囲気なので、ゆっくりした気分で待つことができる。スローフードなのだが、気分がゆったりしてなかなか良いものだと思った。これに比べると時々入るファーストフードの店は鶏小屋のような喧騒の中で餌を食べているようなもので、情緒も何もあったものではない。

 食事の後でコーヒーを注文すると、豆を挽きサイフォンで淹れるから、これも少し時間がかかる。コーヒーは他の店よりもやや高いが味は良い。飲み終わっても、あれこれ考え事をしながらしばらくはゆっくりする。やはり妻が前にいればと考えもしたが、落ち着いた時間の中にいると、侘しさを感じることもない。ここには時々来ようかなと考えた。

丹波の黒豆

2008-11-02 09:24:34 | 身辺雑記
 兵庫県篠山地方は、丹波の黒豆の産地として知られている。ここの黒豆は粒が大きく味が良い。先日の「丹波味覚大秋穫祭」バスツアーで最初に立ち寄ったのが、篠山の黒大豆畑だった。

 大豆畑。収穫が解禁されて3週間と言う。


 本来はこの畑の中に入って収穫するのが黒大豆狩りなのだろうが、大勢が畑に入るわけにも行かないから、大豆作り農家の人が株を引き抜いてきて川岸の道路に並べ、それから実を摘み取る。


 案内には1株とあったが、私がもらったのは3株くらいあった。これは1株。かなり大きい。


 最近はしゃがむことはほとんどなく、実を取っているとすぐに疲れてきた。参加者の多くは主婦らしく、皆元気よく取っていた。女性は元気である。


 ビニール袋に入れて持って帰り、その日のうちにゆでたが、実大きく膨らんでいてなかなかうまいものだった。このように枝豆としても食べるが、もっと日を置いて乾燥してから収穫すると、正月のおせちなどにも使う黒豆となる。







西安で(5) 茂陵

2008-11-01 10:45:39 | 中国のこと
 中国古代の前漢王朝(前202~後8)は高祖劉邦以来214年間に11人の皇帝が立ったが、彼らの内2人を除き9人の陵墓は西安の西北約40km、咸陽市の北の黄土台地に、東西50キロにわたって築かれている。


 その最も西にあるのが第7代の武帝(劉徹)の茂陵であり、歴代陵墓中最大である。


 1963年に建てられた碑。


 遠くから見るとなだらかな丘のように見えるが、高さは47m、陵の周囲は916mで、錐形をしていて上面は平らで、上部を削ったピラミッドのような形らしい。かつては頂上まで行けたらしいが今では登れない。画面中央にあるのは清の乾隆年間の碑。


諡号(しごう、死後の贈り名)は孝武皇帝

 陵墓にある樹木は近年植えられたものと言う。


 武帝の在位54年間には政治、経済、軍事の面で漢の国威は大いに発揚され、たびたび軍を派遣し西方の匈奴と戦い、シルクロードも開いた。このような時代を背景に、茂陵の建造にも即位直後から53年という長い年月と、年間の租税の3分の1という莫大な費用を注ぎこんだ。

 当時、漢代の埋葬制度に従って、茂陵の東南の辺りに茂陵邑という町が造られ、ここに多数の文官、武官、貴族が相次いでここに移住し、町の人口は28万人にもなったと言う。ここに住むことはステータスシンボルともなっていたらしい。

 建造以来2000年の歳月を経た現在の茂陵の周辺は物寂しく、かつての栄華を偲ぶことはできない。