私はもともと料理が好きでした。「でした」と過去形になるのは、今ではさっぱりだからです。母は料理上手でしたが、特に教えてもらったことはありません。それでも中高生の頃は琵琶湖で捕れた鯉を三枚に下ろして、洗いにする下ごしらえを手伝ったりしていました。
妻も料理教室に通ったわけではないのですが料理が好きで、器用でした。しかし毎日のことですから手の混んだ料理はオーブンを使うくらいで、それほど食卓を豪華で華やかにしたわけではなかったのですが、味付けはうまかったですね。料理以上に、妻が打ち込んでいたのはパンつくりで、とりわけ食パンは死ぬ少し前まで続けていましたが、今思い出しても抜群の味でした。ですから今でも、どんな食パンでも美味しいとは思えない、これはちょっと不幸です。
そのような妻のそばで、私は休みの日などに、妻が作れないような本格的なカレーを作りました。各種の香料を買い集め、下ろした玉ねぎを時間をかけて炒めてルーを作り、それに香料を加え、スープや肉をじっくり煮込んだものです。これは我ながらよい出来で、妻も「おいしい」と言ってくれました。妻のパンに対抗したわけではありませんが、ケーキも何種類か焼き、とくにチーズケーキは得意でした。
それも今は兵(つわもの)の夢。独りになった今ではカレーもケーキも作る気すら起こりません。それどころか簡単な料理さえ作るのが煩わしく思うようになっています。食材を揃えるだけでも手間ですし、何よりも一人分の材料となると難しい。先日も前の晩に頭に浮かんだ肉蕎麦を作ろうと考えました。これは簡単で、ゆでた蕎麦と出来合いの蕎麦つゆ(これは結構味がよい)を買い、小鍋で肉を少し炒りつけて蕎麦つゆを加えて温め、湯を通した蕎麦にかけるだけです。そこにネギを切って加えたかったのですが、少ししか要らないのに、売っているのは2本か3本まとめていて、これでは無駄だと思ってやめにしました。
このように一人分作ろうとするとどうも材料に無駄が出るので、つい億劫になります。前にも野菜を摂る必要もあるなと考え、野菜炒めを作ろうとしたのですが、材料はあれもこれもと考えたので、大量に作ってしまい、3日間食べなくてはならなくなり閉口しました。それに使い切れなかった野菜もずいぶん無駄にしました。そんなこともあって、だんだん作るのが億劫になってしまいました。年のせいか食欲も以前ほどではなくなったのでなおさらです。
もし私が先に死んで妻が独りになったら、どうするだろうとふと思いました。妻のことだから独りになってもこまめに作るかも知れません。ブログで知った千葉のCさんのブログを見ると、独り住まいでも身の回りのことは小奇麗にしておられるようだし、添えられている写真を見ると、ちょっとした昼食にも女性らしい繊細さがあって、さすがだと思います。妻もCさんのようにするかも知れませんが、案外雑になっているかもとも思います。
あれこれ考えても詮無いことですが、やはり妻にはもっと長生きしてほしかった。そうであれば私の食生活も今とはかなり違ったものになっているでしょう。少し俯き加減になって、小首をかしげながら包丁を使っていた妻の姿を懐かしく思い出します。
(朝の散歩から)
ハナズオウ(花蘇芳)。少し前に撮ったものです。マメ科の植物です。蘇芳は黒味を帯びた紅色です。
花はマメ科の特徴の蝶形花冠です。花が終わるとマメのような莢ができます。