癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

斉藤浩敏さんを偲び 山を語る会

2014年04月26日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 今回の斉藤浩敏さんの捜索に関わって下さった方々に呼び掛けて「斉藤浩敏さんを偲び 山を語る会」を開催したところ、26名もの方々が集まってくれた。このほかに参加したかったが都合や遠方で参加できない方々が18名・・・合計44名もの方々が今回の捜索に関わってくださったことに改めて驚かされた。数回にわたる捜索活動に参加された延べ人数は130名に及ぶという。

 会に先立って、遠藤さんが捜索時に撮影したビデオ映像と斉藤さん自ら撮った最後の山行のビデオ映像を鑑賞して、捜索当時を振り返った。斉藤さんが戻った理由だが、設計山まで約3km地点の750ポコから先の映像がなく、2時間半後にそこまで戻って「やっと戻ってきた。えらい目に遭った」と話して、同じ場所の映像を撮っている。そこにビデオカメラを忘れて取りに戻った可能性が大きい。

 勝手に発起人代表を務めた私から今回のこの会の趣旨や感謝の気持ちを話して会は始まった。斉藤さんが所属していた函館ブリガンズ山岳会会長の草刈氏によるレクイエム・秦琴演奏をバックにした壇ふみさんの「満月の滑空」という詩の朗読のCDが流され 静かに斉藤さんを偲んだ。その後、草刈氏による献杯で宴がスタート。

 前半は、全員に自己紹介を兼ねて、斉藤さんとの関わりや捜索活動に参加された想いなどを話してもらった。斉藤さんとの面識がない方も大勢いた。後半は、席も入り乱れて、山を中心とした交流が続いた。今回の捜索まで面識のなかった方々も捜索という同じ目的で行動し、仲間意識が芽生え、交流が深まったことは、まさに、山を愛する斉藤さんの最後のプレゼントになったことを実感できた。

 3時間に及ぶ会があっという間に過ぎた。最後に、今後の活動として、遺族からいただいた謝礼金を基にして「斉藤さんの終焉地までの歩道を開削し、そこに慰霊碑を建てること、今回の捜索活動を中心とした報告集を編集・発行すること」への協力のお願いと、多くの方々から提案のあった「斉藤さんの命日に、毎年この会を開催すること」を確認し合った。さらに、札幌で隔月に開催されている北海道山岳レスキュー研究会の6月例会に、今回の捜索活動を中心とした講演を依頼されていることも報告した。

  
 最後に、今回の捜索本部を担当してくれた鎌鹿さんの乾杯の音頭で会を閉じた。その後、残ったメンバーでさらに30分以上もお喋りは続き、22:00に打ち上げて会場を後にした。














斉藤さんへの弔辞

2014年04月12日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連
 
紋内岳での斉藤さん               開墾岳でのツーショット
 
岩子岳をバックの斉藤さん            ペンケ山を滑り降りる斉藤さん

 今朝になって、「今日の告別式の弔辞をお願いしたい」との依頼の電話が来た。あまりにも急だったが、話のネタはたくさんあるので、私で良ければと、引き受けることにした。以下、その弔辞の全文である。
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弔 辞

 斉藤さん、わずか3ヶ月前の1/11~12に今金ピリカスキー場で開催されたスキー指導員研修会で同じ班で弟の健さんとも一緒に滑って以来、今ここで、このような形でお別れのお言葉を捧げることになるなんて、思ってもみませんでした。

 振り返ってみますと、斉藤さんとの出会いは、今から44年前、私がスキーの準指導員に合格して、現在私が会長を仰せつかっている函館スキー指導員会の一員として迎えられた時でした。その後函館スキー連盟教育部理事としても一緒に仕事をしたこともありました。斉藤さんは10数年に渡り、教育部の会計という重責を務められ、いろいろお世話になったことが印象に残っております。

 その後、テニスをされていたことは知っていましたが、登山をされていることは知りませんでした。そのことを知ったのは、今から15年ほど前でしょうか?日高山脈の野塚岳の入山届で斉藤さんのお名前を発見した時でした。帰宅後、すぐに電話して、「実は若いころブリガンズ山岳会を立ち上げてバリバリ登っていたことがあるのですが、ずっと止めていました。退職後の再就職の仕事も終わったので、坂口さんの真似をして「北海道の百名山」を登り始めています」と聞かされました。その後、お互いの「北海道の百名山完登」の山が、同じ2004年5月2日の同じ日高山脈のピリカヌプリだった偶然も重なり、その途中でお会いしたことも懐かしい思い出です。そのことは、その後、斉藤さんが出版された『「感動と出会いを求めて」~私の歩いた北海道の百名山』にも書かれておりましたね。

 それ以来、お互いに道南の藪山も登るようになり、数えてみたら10数回一緒に登っていました。中でも、一番印象深いのは、お互いに単独では厳しいと登り残していた道南のマッターホルンと呼ばれている3月の岩子岳でした。そのときに撮影してくれた私が映ったビデオがNHKで放映されたことも懐かしい思い出です。また、2人でマウンテンバイクで長い林道を走って、沢を登り、藪を漕いで登頂した紋内岳も印象に残っています。

 その間、北海道の山メーリングリスト函館地区懇親会にもたびたび参加いただきました。そのときのメンバーが今回の捜索隊の中心となりました。ここ数年、山でご一緒する機会は少なくなりましたが、電話で、体力が落ちてきたこと、風邪を引けば治りが遅いことなどを聞いて少し心配しておりました。しかし、昨年の夏、トムラウシ山で偶然お会いした時には「日帰りでこの山に登りに来るなんて、まだまだ気力・体力も十分じゃないですか。うれしいですね~。また一緒に登りたいですね」話したことがつい先日のような気がします。

 このたびの斉藤さんの行方不明を知ったのは3月3日の雌阿寒岳から下山したときでした。遠藤さんと鎌鹿さんからの電話でした。まさか、斉藤さんが?と信じられない思いでした。そのとき、帰ったらまず車を探さなくてはと思いました。翌日藻琴山から下山したら、鎌鹿さんから「車が見つかった」との電話をいただき、その日のうちに650km走って帰宅しました。警察の捜索はその翌日からの大雪で当分中断すると聞かされました。

 遠藤さんや鎌鹿さんと相談して、なんとか我々山仲間としても探し出したいということになり、捜索活動を開始しました。幸い、山仲間の間では愛読者が多い私のブログで協力を呼びかけたところ、地元だけでなく札幌方面からも予想をはるかに越えた仲間が駆け付けてくれました。斉藤さんのお人柄と出版された2冊の本のお世話になった方々でした。また、スキー指導員仲間からも多くの激励とたくさんの差し入れもいただきました。

 
 その後、いろいろな可能性を考えて何度も探しましたが、なかなか手がかりが見つかりませんでした。3/30に設計山まであと2km地点のところでスキートレースを見つけた時には、その先だと思い、4/5と4/6の捜索ではその先の稜線と谷と尾根をくまなく探しました。しかし、見つけることはできませんでした。あとは、我々の想定外のところか、谷の中の雪崩のデブリの下しかないだろうと翌日の道警ヘリコプターと道警山岳救助隊の捜索に期待を掛けました。

 案の定、考えもしなかった場所で、しかも国道まで直線距離で300mのところで発見されたと聞き、唖然としましたが、「見つかって良かった~!」と心から喜びました。警察関係者から「坂口さんのブログに記載された捜索情報のお陰で、まだ探していないところを中心に捜索できたお陰です」と言われ、報われた感じがしました。

 設計山手前2km地点まで行って、なぜこちらへ戻ったのかは謎ですが、一昨日、斉藤さんが発見された場所に数人で行ったときに、そこでもスキーのトレースを見つけました。「ここまでコースを選んでスキーで滑って来れるということは、まだ元気だったんだ。暗くなったので、スキーからかんじきに履き替えて、レスキューシートに包まってちょっと休んでいるうちに疲れから眠ってしまい、低体温症を起こしてしまったに違いない。」と確信しました。迷ったり苦しんだり、体力の限界などを感じて失意のうちに亡くなったのではないことがせめてもの救いでした。

 このたびのことで、これまで名前や顔は知っていましたが、一緒に登る機会の少なかった山仲間たちが、捜索とは言え、同じ目的で一緒に山に入って活動でき、交流を深めることができたことは、斉藤さんの大きな贈り物になりました。
 

 どうか安らかにお眠りください。そして、私たち山仲間をお守りください。斉藤さんの穏やかなやさしい笑顔と思い出は、一生消えることなく私たちの胸に生き続けていくでしょう。
函館スキー指導員会会長 坂口一弘

斉藤さんの葬儀

2014年04月11日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 今日と明日は斉藤さんの葬儀である。捜索にかかわった方々やスキー指導員仲間も参列されていた。始まる前に喪主の弟さんに、「昨日の現場で目にしたスキーのトレースから、斉藤さんは、迷ったり、苦しんだり、倒れたりして失意のうちに亡くなったのではないと思います。暗くなったので、スキーからかんじきに履き換えて、レスキューシートに包まって少し休んでいるうちに眠ってしまって、低体温症による凍死に至ったものと思われます」と伝えた。自分もそう思うことで少しは救われるし、ご遺族の方々も昨日のこのブログを読んだらしく、同じ考えのようだった。

 天理教の葬儀に参加するのは初めての経験だったが、非常に厳かな感じだった。今まで、祭壇の写真を見て涙を流したことはなかったが、斉藤さんらしい穏やかなまなざしで微笑み掛けられ、「いろいろ迷惑をかけて申し訳なかったね。ありがとう!」と言われているような気がして、思わず涙が溢れてきた。ご遺族のご挨拶の中でも、我々の捜索活動への感謝の気持ちを述べていただき、とてもうれしかった。また、玄関でお見送りをしてくださったご遺族の方々からもご丁寧なお礼の言葉をたくさんいただいた。

 明日の告別式にも出席して、最後のお別れをするつもりだ。そして、4/26(土)には、後日、メールやハガキで詳細を連絡するが、今回の捜索にかかわってくれた地元メンバーで、「斉藤浩敏さんを偲び、山を語る会」を催す予定だ。

斉藤さん発見現場

2014年04月10日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

遺体発見現場・・・積雪の多かったときには、倒木の上からこんもりとした雪山になっていたと思われる。
その下の窪んだところで休んでいるうちに、眠ってしまったのか?

 函館中央署とリュック等を回収した道警山岳救助隊からの詳しい情報をもとに、山岳救助隊の足跡を辿って、7名で斉藤さんが発見された現場へ行き、花を供えてご冥福を祈って来た。

 朝4:30にグランヒラフスキー場のホテルを出る。一度帰宅して、毛無山登山口手前の駐車場で、ほかの6名と待ち合わせる。橋を渡って、山岳救助隊の下山の足跡をたどった。尾根のすぐ下の窪んだ地形のところに足跡がたくさんあったので、はじめはそこを現場だと思った。しかし下の方へ続く足跡を辿って行ったら、やや斜度の緩んだところに多くの足跡のあるところへ出た。山岳救助隊から聞いた情報とも合致している。すぐその下が上空が開けていてヘリコプターでの収容には最適なところだった。その倒木の下の窪んだところを斉藤さんの最後の地と特定する。

 付近を歩いてみたら、そのすぐ下まで尾根から下って来たと思われるスキーのトレースも残っていた。スキーで下りて来れるということは、疲労困憊の状態とは考えづらい。検死の結果、死因は低体温症による凍死とのこと・・・ここまでスキーで下って来て、暗くなったので、かんじきに履き換えて。寒いのでレスキューシートにくるまって休んでいるうちに、そのまま眠ってしまったのではないだろうか?ビバークしようとしたらかんじきは履かないだろうと思う。

 また、斉藤さんが持参したビデオカメラの高いところから映したと思われる最後の映像は17:00だそうだ。その時刻にビデオ撮影をしているということは、切羽詰まった状態ではなかったはずである。すぐ眼下には国道が見え、車の音も聞こえる場所である。なぜ?という疑問は残ったままである。

 いずれにしても、明日の葬儀の前に、斉藤さんの息を引き取った場所が特定でき、お参りできたことで、ようやくけじめがついた感じ・・・合掌!


今日歩いたGPSトラックログと遺体発見現場



付近に残っていたスキーのトレース・・・この下には見当たらなかった


「斉藤浩敏さん終焉の地」の表示板の取り付け


悲しい現場での集合写真


遺体発見現場は中央左上の倒木の下。下のみんながいるところはヘリで収容したと思われる地点


国道から少し下った登山道から眺める現場付近の様子・・・中央の白い沢型のトドマツの左側
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一夜明けて

2014年04月08日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連
 昨夜、ブログにアップしたこともあり、たくさんの方々からコメントやメールが届いた。それらを読んで、「終わったんだ~」という気持ちになると同時に、みなさんの温かい心がひしひしと伝わってきてとてもうれしかった。

 ブログの昨日のアクセス数を見たら、閲覧数が4071pv、アクセス数が1051と、これまでの最高記録を更新した。多くの方々が気にかけていてくださったことを改めて思い知らされた。


今朝の函館新聞の記事~私のコメントも載っています。


今朝の北海道新聞の記事


昨日11:10ごろに上二股林道入口付近から望遠で撮影した発見現場付近の貴重な画像
吉田幸二さん提供


◎昨夜の取材
 昨夜、北海道新聞社のWa記者の訪問を受けた。昨日の記者クラブでの取材で終わったと思っていたが、「今回の捜索に自主的に駆け付けてくださった山仲間の熱い想いや協力の様子を「まど」の記事にしたいので」とのことだった。2008年に、別の記者だったが、この「癌春日記」を取り上げていただいたことがある。そのときも掲載は忘れてころだったので、今回もまだだいぶ先になるようだ。

◎思いがけない42年ぶりの出会い
 昨日函館中央署で待っていたときに、北海道新聞社のHo記者から「今回の事件の捜索を担当している地域課に坂口さんの教え子だという方がいますよ。ぜひ会いたいって言ってましたよ」と、わざわざ案内してくれた。多分そうだろうと思っていたが、案の定、Ni氏で地域課の次席だった。
 直接担任した子供(現在は54歳)ではないが、隣のクラスの印象の強い子だったので良く知っている子だった。今から30年ほど前、亡妻の札幌の実家に戸別訪問に来た警察に、何かあったときの連絡先を聞かれ、私の名前を聞いて、その警察はビックリしたらしい。そのときにいろいろ懐かしい思い出話をして帰ったと、実家の母から聞かされていた。その時に、その子が札幌で警察になっていることを知ったので、多分札幌から転勤してきたのだろうと思っていた。
 こちらが忘れているようなことまで良く覚えていて、特にスキーを良く教えてもらったことが印象に残っていたようだ。Ho記者も交えてしばらく思い出話に花が咲いた。直接会うのは彼が小学校卒業以来だ42年ぶりだった。

◎諦めていた「ベテラン研修会」へ
 今日の午後からニセコグランヒラフスキー場で2泊3日で開催される「全日本スキー指導者ベテラン研修会」は、自分が副会長を仰せつかっている北海道スキー指導者協議会が主管である。担当の仕事もあったが、参加は諦めていた。しかし、斉藤さんの捜索も終わり、回収に行こうと思っていたリュック等も回収されたようだし、葬儀が早くとも10日以降だとのことで、これから向かうことにする。
 

道警ヘリによる遺体発見・収容!

2014年04月07日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

×印~遺体発見現場

 今日と明日は、道警ヘリと警察の山岳救助隊による捜索活動の日だった。
 今日の1日の流れを時程に沿って記述する。


捜索前線基地となった毛無山山道入口


5:45、警察の捜索隊の集合場所(毛無山山道入口)へ。先着していた鎌鹿さんと札幌からやって来た山岳救助隊の隊長さんが話されていた。名刺交換をしたら、「毎日、ブログ拝見していました。とても詳しくて、更新も早くて、こちらの計画を練るのに非常に参考になりました。」と挨拶された。
 毛無山入山口から設計山下山口までの地図にこちらの捜索したルートを記入した地図を渡したが、このブログをずっと見ていたこともあり、こちらのまだ捜索していない南側の斜面や尾根を重点的に捜索する予定らしい。今日は、とりあえず、毛無山まで登り、稜線の南側の広い西尾根を下り、南側の林道を繋いで、稜線上の583ピークへ登り返して戻る予定とのこと。なお、道警ヘリは10:30にこちらに飛んでくること、地元の警察官による別動部隊が大野川の川沿いの捜索に当たることを教えていただいた。


上河汲橋手前から出発する山岳救助隊

6:10 上河汲橋の手前で、6名の救助隊の出発準備風見せていただいた。ハーネスを装着し、どんな場合にでも対応できるための完全装備だった。ストレッチャー(救助用ストレッチャー)も担いでいた。足回りは全員プラブーツにスノーシューだった。上河汲橋を渡ってスタートする6名を見送った。橋を渡ったら、迷わず左の作業道を利用して林道をショートカットするルートへと入って行った。こちらへ向かって確認の合図をくれたが、きちんと地図読みができているところはさすがプロだ。


川べりを捜す警官

6:15 彼らを見送った後、毛無山山道入口へ戻る。大野川の川べりを捜索する別動部隊が打ち合わせをしていた。打ち合わせが終わったら、まず3名が川べりへ下って上流へと向かって行った。

8:00 一度帰宅
9:30 警察から「スキー発見しましたが、どんなスキーか知りませんか?」との問い合わせ。あちこちに問い合わせたが、だれも知らなかった。自分のホームページの斉藤さんと一緒に登った雪山の写真から濃紺とわかったので報告。しかし、話しているうちに「川べりで」と聞いて、誰かが捨てたスキーだろうと思って現地へ向かう。
10:10 川べりで捜索していた警官に聞いたら、案の定2本一緒に束ねられて捨てられていたスキーだった。


10:50 上空を飛んでいるヘリコプターを国道から目撃

11:15 発見すれば無線情報が入ると思い、現地本部になっている朝の集合場所へ移動。
着いたら、「たった今、11:10、ヘリが上空から座っているような格好の斉藤さんらしい人を発見しました」とのこと。「場所は詳しいことはわからないが、夏道から少し外れた約7合目付近のところらしい」とのこと。
 とりあえず、関係者や兄弟など、あちこちへ第1報を入れる。

11:40 「ヘリから1人が下りて、遺体を確認しました」との報
12:05 「ヘリに収容完了、函館空港へ移送する。その後の対応はもう少し待ってほしい」とのこと
12:30 山岳救助隊長から直接の電話「遺体を発見してヘリに収容しました」との報
12:40 「函館空港から函館中央署の方へ移送するので、14:00に中央署の方へ行って欲しい」とのこと
12:50 山岳救助隊長へ発見現場と発見当時の状況を携帯電話で問い合わせる。
今、現場へ移動中ですが、場所はヘリからの通報によると、夏道から少し外れた東側の尾根の国道から直線距離でわずか300mほどの位置です。かんじきを履いていたが、リュックもスキーも見当たらなかったらしい」とのこと

13:45 函館中央警察署へ到着。ご兄弟やブリガンズ山岳会親睦会のメンバーが集まっていた。
14:30 まず、親族が聴取を受け、遺体と対面。「きれいな顔をしていた」とのこと。場所や発見当時の状況は、山岳救助隊長からの情報と同じだが、レスキューシートの上に横たわるような格好だったとのこと。
15:00 私も含めて親族以外の関係者が遺体と対面。雪焼けで赤くなっていたが、心配していた凍傷もなく、カラスやキツネにつつかれた跡もなく、きれいな顔をしていたのが幸いだった。
 明日、札幌から法医学医師が来て解剖して死因を確かめるらしい。その後、なんやかんやとあり、遺体が親族へ引き渡されるのは早くても明後日(9日)らしい。したがって、通夜は早くて10日か11日になるだろうとのこと。

15:30 解散後、記者クラブへ呼ばれ、北海道新聞、函館新聞、読売新聞、NHK、HBCの記者から囲み取材を受ける。道新は明日の朝刊の全道版に載せるらしい。

16:30 山岳救助隊長へ電話をして、リュックなどの回収はどうなったか問い合わせる。「現場へ行って、リュックもスキーもストックも回収し、今函館中央署の方へ届けるために向かっています」とのことだった。実は、明日にでも捜して回収に行くつもりだったので、助かった。
17:00 帰宅 

◎ とにかく見つかってよかった~!場所は想定外のところなら、道警ヘリしか見つけられないだろうと期待していただけにうれしかった。しかし、案の定、想定外の場所ではあったが、自分たちで見つけられなかったのがちょっと悔しい。

 なぜ、夏道の方へ下ったのかは不明だが、3/30に発見したスキートレースは斉藤さんのものだと思われるが、そこから何らかの理由で戻ってエスケープルートとして夏道を選んだのかもしれない。国道まであと直線距離でわずか300mというところで息絶えたと思うと非常に無念でやり切れに気持ちだ。あのスキートレースが彼のものでないとすれば、体調が悪くなり、毛無山から直接夏道近くの尾根を下ったのだろうか?いずれにしても謎である。

 今回の警察の捜索で発見されなければ、ずっとあのデブリで埋まった谷の中へ通わなければならないと思っていただけに、「これで終わった!」とホッとすることができた。これで、通常の生活に戻ることができるし、このブログも日常の様子を更新することができる。 

 捜索へのご協力をはじめ、多くの方々のご厚意、そしてご心配や励まし・・・本当にありがとうございました

第2回捜索活動2日目・・・今回も発見ならず

2014年04月06日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

設計山北尾根からの雪崩のデブリで谷が埋め尽くされ、ゾンデリングは不可能だった


今日の歩いたGPSトラックログ(赤が私とB班のルート、緑はA班のルート)

 第2回捜索活動の2日目・・・札幌方面からの5名が新しく加わり19名の捜索隊と6名の前線本部。ときおり雪が舞う寒い中で実施。今日はなんとか発見に至ることを切望しての捜索だった。

 A班は、中山橋の沢の二股出会いからの急な中尾根の捜索と設計山直下のキレット下の谷のゾンデリングがメインだった。私がリードしたB班は、斉藤さんが下山してくるはずの設計山西尾根と稜線上の600ポコまでの間の捜索だった。

 距離は長いが急な登りのないB班と、沢の渡渉や幅広の急な尾根を捜してきた来たA班が、タイミング良く設計山直下のキレット地点で合流。私と3名が稜線上の600ポコまで往復している間に、残りの全員はロープを掛けて急な細尾根をキレット下の谷へ下りて捜索をした。

 戻ってくる途中で、「デブリがすごくて、ゾンデリングは不可能です。谷の下の方で待ちますので、ロープを回収しながら下りて来てください」と無線が入る。キレットまで戻って、ロープを回収しながらみんなの待つ谷の下へと下った。確かに、予想をはるかに越えるすごい状態だった。

 今日のA・B班が捜した尾根や稜線には、斉藤さんの姿も手がかりもなかった。もし、倒れていれば十分に姿が現れるまでに融雪は進んでいる。これまでの捜索結果からは、斉藤さんが歩くはずだった17kmのルート上にはいないことがほぼ確実となった。さらに、スキートレースが見つかった地点から設計山の間の3本の北尾根にもいない。もう捜しようがない感じだ。結局、衆目一致した結論は「昨日の今日の2本の谷のデブリの下に埋もれていることしか考えられない。あとは、まったく予想すらつかないところへ紛れ込んでしまったか・・・?」とのことだった。

 この2本の谷のデブリが消えるのは、まだかなり後になるだろう。多くの方々への協力を呼び掛ける大々的な捜索活動は、これで終了とし、2週間ほど一時中断し、都合のつく地元のメンバーで、2本の沢を詰めて融雪状況の確認と目視による捜索を繰り返すことにした。非常に残念だが、これまでできることはすべてやりつくした結果である。

 これまでの捜索にご協力いただいた山仲間の熱い想いや、各方面からのご協力や励まし、そして、個人的な差入れなどの多くの心遣いが本当にうれしかった。今日の終わりのミーティングで最後に「ありがとうございました」とお礼を述べるときに、涙がこぼれそうになった。あと、もうひとつうれしかったのは、これまで名前や顔は知っていても、一緒に山に登る機会のなかった方々と行動でき、お互いの交流や理解が深まったことである。

 今後、一縷の望みは2本の谷の中である。完全にデブリが解けるまで、捜索は続くが、「いつでも声を掛けてください」との申し出や労いの言葉も多くいただいた。本来であれば、今回発見して落ち着いたら、協力いただいた関係者で盛大に打ち上げをしたかったところだが、まだ当分お預け状態となった・・・残念!

 なお、帰宅後、所用で朝から参加できなかった長谷川SHOさんから電話があった。「みなさんが入山した後から、1人で、念のために、中山トンネルの上の渡島と桧山の境界となっている中央分分水嶺を進み、設計山の西尾根を登り、北尾根を下って来たけど、何も見つけられなかった」とのこと。

 明日と明後日は、6:00から北海道警察山岳救助隊と函館中央署の合同捜索の予定となっている。道警ヘリによる上空からの捜索もあるようだ。その前になんとか我々の手で見つけてあげたかったが、それは叶わなかった。

 今日の帰りに大野駐在所へ寄って2日間の報告をした際に、「明日朝早くて申し訳ないですが、集合場所(斉藤さんの車の見つかった場所)へおいでいただけないでしょうか?」との依頼を受けた。向こうなりの計画はあるだろうが、求められればこれまでの情報を提供するつもりだ。


斉藤さんが下山してくるはずだった設計山の西尾根を捜索するB班


中山橋の沢から急な尾根を登って来たA班と設計山直下のキレットの上で合流。
キレットの谷底を上から眺める


キレットの谷を捜索し終わって下で待つA・B班が見上げる中を600ポコから往復して谷底へ下る


ものすごいデブリでゾンデ棒も刺さらなかった・・・このような下に埋もれているのでは?
これが解けなくてはとても捜すことは困難・・・これが完全に解けるのは5月か6月?


谷の捜索を終えて、谷から尾根へ登り返す


尾根の末端での集合写真。この後ここで昼食タイム


4/2(水)に引き続き、北斗市のSa女史による差し入れの豚汁・・・涙が出るほどとても美味だった・・・感謝・感激!

第2回捜索活動1日目~発見に至らず

2014年04月05日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

大和橋の沢の源頭部コル真下のゾンデリング
ゾンデ棒を雪面に突き刺して雪に埋もれているかもしれない斉藤さんを捜す

 遠路安平町から駆け付けてくれた岳友を含め15名の捜索隊、無線中継も含めた前線本部の6名で、第2回捜索活動1日目を実施。心配した天気もときおり青空が覗くまあまあの天気だった。

 7:00集合、打ち合わせを終えて移動。全員、大和橋の沢へ入って進む。二股出会いでA班7名はそこに末端のある中尾根へ取りつき、広く広がって捜しながら稜線へ。B班8名は沢をそのまま詰めて源頭部へ。A班は3/30にスキートレースを発見した尾根頭で稜線に到着。しかし、すでにトレースは消えていた。スキーで滑り降りたと思われる稜線南側の広い斜面を広がって捜したが見つからず。そのころB班は源頭部でゾンデリングを始めていた。

 A班は、コルの上から源頭部へ下って、B班に合流し、一緒にゾンデリングをした。雪崩跡のデブリは堅い氷のブロックになっていて、その下に潜っていたら、ゾンデ棒も刺さらないし、掘り起こすこともできないので、柔らかいところだけのゾンデリングとなった。ゾンデ棒が刺さるところはくまなく捜したが、残念ながら手掛かりはなかった。

 現時点でやれることはすべて終え、明日に賭けることにした。ただし、分厚く堅いデブリの下に埋もれている可能性は残る。明日も発見できなかったら、そのデブリが解けたころに、沢詰めをして何度も捜しに来なくてはならない。

 時間的には物足りなかったが、午前中でできることはすべて終えてA・B班一緒に下山。捜索前線本部のある駐車場へ戻って解散。明日見つからなかったら、どうしよう?と思うと気が重くなる。みなさんに「明日、絶対見つかるから、がんばりましょう!」と励まされた。

 今日も多くの差しれが届いた。スキー指導員仲間のTo畜産社長、室蘭の岳友なかよしさん、ライフスポーツのMi女史・・・ありがとうございました。とてもうれしいお心遣いに一同感謝して、美味しくごちそうになりました。 


A班のGPSトラックログ


朝の打ち合わせ風景(乳井さん提供)


なんどか渡渉を繰り返しながら上流へ進む


中尾根に取り付くA班


沢沿いを源頭部へ進むB班


稜線南側の斜面を広がって捜すA班


デブリの多いコル下右側源頭部のゾンデリング


二股出会いでの集合写真


前線本部に詰めてくれている方々(鎌鹿さん提供)


鎌鹿さんのブログにも掲載されています

 今晩は、湯の川のホテルで、斉藤さんも会員の函館スキー指導員会(会長は不肖私)の平成26年度納会・祝賀会だった。心配しているみなさんに良い知らせをしたかったが残念!会長挨拶の中でこれまでの経過等を話させていただいた。


来賓として出席いただいた函館スキー連盟副会長で今回の捜索の相談役でもある三沢氏の乾杯

 実は、三沢氏は函館地区救急法赤十字奉仕団の団長で、今回の我々の捜索の相談役としてご協力いただいている。具体的には、日本赤十字無線奉仕団を派遣してくださり、捜索の際の無線機の提供や基地局の設置などでご協力いただいた。それだけに我々の捜索を見守り、このブログを印刷したものを持参して、みなさんに紹介してくれていた。

明日・明後日の捜索ルート

2014年04月04日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連


 多くの方々の協力で実施する第2回捜索活動が明日と明後日に迫ってきた。しかし、悔しいことに天気予報が2日間とも良くないのが気がかりだ。現在のところ、1日目は15名、2日目は17名の参加申し込みをいただいている。遠く札幌、安平町、岩見沢、北広島からの参加者もいる。(本日中はまだ受付します)

 尾根や稜線の雪解け状況からしても、いよいよ大詰めに迫った感じだ。しかも、この一帯は登山道がない山域である。雪がなくなったらとても捜索は無理である。したがって、今回でなんとしても発見にこぎつけたいと思っている。よほどの悪天候でない限り、実施したいものだ。

 一昨日の沢からの偵察結果を考慮し、明日と明後日の第2回捜索のルートを上図のように策定した。

<1日目(4/5)> 全員「大和橋の沢」へ入り、
 A班は、二股出会いの中尾根(稜線との出会いはスキートレースの発見場所)とその稜線付近の斜面の捜索(※下りれたら、源頭部へ下ってB班と合流し、下山は沢から)
 B班は、そのまま沢の中を進み、源頭部の捜索

<2日目(4/6)>
 A班は、「中山橋の沢」~二股出会いからの中尾根の捜索~稜線からキレット下の源流部の捜索
 B班は、設計山入山口(中山戸切地林道)~設計山西尾根の捜索~稜線からキレット下の源流部の捜索(下山はA班と合流し、中尾根から)

2本の沢のルート工作と捜索

2014年04月02日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

今日の歩いたルートのGPSトラックログ

 今日は、平日に動ける高橋さんと毛利さんと3人で、今週末の第2回捜索範囲の沢ルートの下見と捜索を兼ねて、Aゾーンの「大和橋の沢」とBゾーンの「中山橋の沢」へ入ってみた。どちらも夏には途中まで沢沿いに森林管理署の管理歩道が続いているようだ。

 Aゾーンの「大和橋の沢」はスタートして間もなく滝にぶつかって高巻いた。その後は何度か渡渉もあったが、1時間ちょっとで、難なくコルの下の源頭部まで入ることができた。ひょっとしたら?と期待しながら、途中の川の中も見ながら歩いたが、源頭部にも、残念ながら斉藤さんの姿も手掛かりも見つけることができなかった。
 今週末の捜索の1日目は、2班編成でこの沢から入って、源頭部のゾンデリングと捜索と、途中の二股出会いに末端のある中尾根の捜索をメインにするつもりだ。

 Bゾーンの「中山橋の沢」は、下の方は明るく広い沢だった。しかし、2日目の捜索対象に考えている中尾根の末端がある二股出会いを越えたら、急に狭くなり、トラバースも高巻くこともできない極端なV字谷になった。その上、両側の急斜面の雪が今にも崩れてきそうな感じでとても怖い。ここを通過するのは無理と諦めて撤退することにした。
 今週末の2日目は、設計山直下のキレット下のゾンデリングと捜索をメインに考えているが、そこまでのアプローチは、1班は、この沢から入って、二股出会いから中尾根を捜索しながら登って、キレット下へ下り、もう1班は、雪解けが進んでからまだ捜索していない設計山までの西尾根ルート(中山トンネル手前の戸切地中山林道から)を捜索しながら登って、キレット下へ下りる・・・ということになるだろう。

 ゴールして、毛利さんの車を停めておいた出会いの滝そばのパーキングまで戻ったら、3名とも面識のあるHYML仲間のS女史(匿名希望)が、3人分の差し入れを用意して待っていてくれた。「気になって、毎日3度くらいずつブログをチェックしています。捜索のお手伝いをしたいがかえって迷惑になると思っていました。でも、何かみなさんのお役に立てることはないかと、今日ここで待っていました。多くのみなさんの自主的な活動や協力に応えて、斉藤さんが早く姿を現してほしいですね~」とのことだった。多くの方々のこのような温かな心遣いに、大いに元気をもらうことができている・・・感謝・感激、雨あられ! 

 帰宅したら、北海道新聞社から「いつもブログをチェックしていますが、捜索願が出されてからひと月が経ちましたので、また記事にしたいと思います」と電話取材を受け、捜索活動の写真提供を求められた。明日の朝刊に載るらしい。

○「大和橋の沢」を源頭部まで

スタートして間もなく現れた滝・・・高巻いた上からもしかしたら滝壺に落ちていないとか覗いてみた


川の中も覗きながら広い沢の中を進む
正面の尾根は、スキートレースの見つかった稜線へ繋がるので、1日目の捜索対象予定


昨日歩いた左岸尾根から崩れ落ちたデブリ・・・この下に埋もれていたら発見はかなり後だろう


昨日稜線上から覗いた源頭部の様子・・・次回はこの一帯の捜索とゾンデリングの予定


○「中山橋の沢」は途中撤退

広い沢を渡渉を繰り返しながら進む


両側の雪が高く、登るのが面倒くさくて、かんじきを付けたまま川の中を進む


2日目の捜索対象予定の中尾根末端の二股出会い


ここで撤退した狭いV字谷
真中は踏み抜いて川の中へ落ちる可能性大。両側斜面の雪が今にも崩れ落ちそうで怖い


出会いの滝パーキングで3人分の差し入れ持参で待っていてくれたS女史を交えて昼食タイム

新メンバーでの偵察・捜索

2014年04月01日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

大和橋の沢左岸尾根からスキートレースの見つかった590ピーク(左上)と
斉藤さんが倒れているかもしれないコルの下の深い谷を望む

 斉藤さんの居所の範囲が狭まってきたこともあり、いつも捜索現地本部の仕事に従事しているブリガンズ山岳会の遠藤さんと寺崎さんが、「雪のあるうちに、せめて設計山と斉藤さんがいる可能性の強いAゾーンとBゾーンを垣間見れそうな600ポコまででも登りたい」と申し出があった。そこで、急きょ本日、鎌鹿さん(店を休んで)と2人で希望を叶えるべく同行してきた。

 600ポコ往復だけならもったいないので、コルまで下って谷を覗いてもらい、明日平日組でが登るはずだった441経由の大和橋の沢の左岸尾根を谷の中を手掛かりを求めて、眺めながら下って周回してきた。

 今日で4回目となる中山橋からの急登尾根を登る途中、一昨日間違って下りかけた560ポコから派生する西尾根へも標高差60mほど下ってスキートレースかカンジキトレースの痕跡がないか捜してみたが、それらしいものは見つからなかった。

 3名とも初めて登った600ポコから設計山やスキートレースの見つかった590ピークを眺めてもらい、さらに稜線上のコルや尾根の上から谷の中を双眼鏡で、何か手掛かりがないかと捜した。しかし、立木が濃いのといくつもの尾根の陰になったりで、十分見通せないこともあり、とくに見つからなかった。斉藤さんの車を見つけた遠藤さんが一緒なので、ひょっとしたら斉藤さんも見つけるのではないかと淡い期待もあったが・・・残念!

 今日初めてこの稜線へ上がった3名は、「残念ながら稜線上にはいないようですね。やはり、この谷の中か設計山直下のキレット下の谷の中に埋もれているとしか考えられないですね」と話されていた。

 この谷中へは、明日、高橋さんと毛利さんの3名で下から入って捜索する予定である。第2回捜索活動予定の今週末は雨予報なので、平日のうちにできることはやっておこうと思っている。


今日歩いたルートのGPSトラックログ


一昨日に引き続き4回目となる稜線までの急登尾根へ向けて、中山橋の駐車スペースを出発


稜線上の600ポコから設計山を望む


稜線上の600ポコからコル越しにスキートレースの見つかった590ピークを望む


コルの上から深い谷を覗きこむ


コル付近の崖の上から谷底を見下ろす


稜線から441経由の大和橋の沢左岸尾根へトラバース


ゴールしたら、ブリガンズ山岳会の草刈会長が差し入れ持参で迎えてくれた

第2回捜索実施計画案

2014年03月31日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連
 昨日の斉藤さんのものと思われるスキートレースの発見で、捜索範囲がぐんと狭まりました。
 しかし、あわよくば、設計山までの2km区間の稜線上で見つかることを期待していたのですが、その可能性は薄くなり、捜索ルートと捜索方法の見直しに迫られています。

 雪解けが進み、時間との勝負になってきました。今週末の天気予報は良くありませんが、なんとか良い方に変わることを期待して、第2回捜索活動を下記のように実施いたします。

<捜索協力者大募集!>



集合場所(前線本部)



捜索範囲


1、捜索対象場所
・上記地図のAゾーンとBゾーンを中心とした範囲

2、日程
・1日目 4月5日(土)<Aゾーン中心>
・2日目 4月6日(日)<Bゾーン中心> 
※捜索ルートと班別は当日お知らせします。

3、集合場所と集合時刻
・出会いの滝近くのチェーン着脱場<前線本部> 7:00集合
1回目より、さらに6kmほど中山トンネル寄りになります
(市渡の交差点から15km地点。上天狗橋や「中山峠7合目」のすぐ先)

4、参加申し込み(4/4(金)の夕方まで)
・下記へ、氏名・年齢・住所・携帯電話番号、自宅電話番号、参加できる日を知らせてください。
ただし、これまでに参加されている方は、氏名と参加できる日だけでよろしいです。

・鎌鹿隆美 090-8279-1323 メルアド t-kamaka@fine.ocn.ne.jp
・坂口一弘 090-2058-9113 メルアド sakag888@gmail.com

5、装備
・冬山ウェア、Wポール、昼食、非常食、テルモス(お湯)
・足回り~かんじきor登はん力の強いスノーシュー
※渡渉や藪こぎの可能性もあるので長靴へ装着できるものが望ましい?

・個人装備(用意できる人)~スコップ、ゾンデ棒、ビーコン、ザイル、ピッケル、シュリンゲン、カラビナ 
※特にゾンデ棒は多く必要ですので、借りてでも用意できる方は、よろしくお願いいたします。
・共同装備~ザイル(太さ8mm~10mm30m以上)、トランシーバー3台

よろしくお願いいたします!

初の手掛かり・スキートレース発見!

2014年03月30日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連





 今日は、「来週の捜索には参加できないので、この日曜日にぜひ捜しに行きたい」と札幌の山仲間5名がやってきた。次回の捜索計画を練るための下見を兼ねた捜索をする予定だった函館組5名に合流してもらって捜索に当たった。札幌組は、私がよくお世話になっていて、斉藤さんとも同行経験のある「地図がガイドの山歩き」を中心としたメンバーである。

 今日のルートは、中山橋から稜線上の600ポコへ登り、昨日下った夏道への下り口までの稜線上を東進する予定だった。稜線までの尾根もエスケープルートとして利用される可能性もある。融雪がかなり進んでいたので、幅広く、両側の谷地形も覗きながら登った。

 600ポコから毛無山方面へ下る。すぐ下の両側から源頭が突き上げているコルを越える。左(北側)にはデブリで埋まっている急な深い谷が覗く。そこから雪がほとんど融けてしまっている590ポコへの急な尾根の南側の広い斜面を捜しながら登って行った。

 登り切ったところから派生する北尾根の頭にスキートレースをいくつか発見。古いトレースがほどよい融雪状態に合わせてタイミング良く顔を出した感じである。単独行のトレースであり、ここまでスキーで登ってくる人はほかには考えられない。斉藤さんのトレースに間違いないと全員確信。その周りや下の尾根にもまだないか捜し廻った。先を進んでいた2名が「この先のピークの下にもある」と言われてみんなで見に行った。なんとキックターンをして登ってくるくっきりとしたトレースがいくつか見つかった。

 これまでの捜索活動では全く手掛かりがなかっただけに、非常に重要な手がかりである。戻っているかもしれない下りのトレースも捜したが、見当たらなかった。ここまでは確実に進んでいて、戻ってはいないということだ。我々はここから毛無山に向かって進んでも意味はないと判断。

 戻って、この辺りの斜面を捜し、さらに600ポコへの登りとその先の設計山方向の稜線上にスキートレースがないか調べようということになった。急な尾根の南側の斜面を捜しているときに、前回の捜索の際に歩いた尾根からかなり離れたところにかんじきのトレースも発見。推測するに、その下の細いコルの通過と600ポコへの狭い急斜面の登りに備えて、スキーからかんじきに履き換えたことも考えられる。しかし、その先にはそのトレースも見当たらなかった。

 コルの上から下の方にデブリの見える北側の深い谷を覗いてみた。その谷の下の方でカーカー鳴いて木々の上を飛んでいる2羽のカラスも気になった。

 600ポコまで戻り、ガスで展望が利かなくなった中を、先週に引き続き、設計山直下のキレットまで進んだ。この稜線は前回も雪付きが悪く、さらに、笹や藪が顔を出しているところが多かった。斉藤さんが倒れていればすぐにわかる状態であったが姿は見えず。スキートレースも見当たらなかった。

 このスキートレースの発見で、斉藤さんの捜索範囲がぐっと狭まった。また、今日歩いた稜線上に倒れている可能性はも少なくなった。谷の中かエスケープルートとして使ったかもしれない尾根の可能性が強い。そうなると、可能性の強いゾーンは、2ヶ所に絞られることになりそうだ。(下図参照)

 いずれにしても、非常に収穫の多い5時間半の捜索活動だった。ただ、範囲は狭まったが、捜索ルートの下見が必要になった。今週中にでもAゾーンとBソーンのアプローチのルート工作をしなければならない。


今日の歩いたルートのGPSトラックログほかと想定される捜索範囲


朝7:00に第1回捜索の前線基地となった駐車場での集合写真(鎌鹿さん撮影)
札幌からの5名と函館組の5名と出迎えと見送りをしてくださったブリガンズ山岳会2名


鎌鹿さん(左から2人目)に見送られて中山橋を出発


稜線上の600ポコからコル越しの急な590ポコへの登り斜面を望む


尾根からかなり離れた南側に見られたかんじきのトレース?


ガスに覆われた雪解けの進んだ稜線を設計山方向へ向かう


今年初めて目にしたリアルな熊の足跡


ゴール手前の尾根の下の川が大きく開いていて、往復ともに渡渉に苦労した

毛無山偵察・捜索

2014年03月29日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 多くの方々の協力をお願いする大々的な第2回捜索活動は来週末に延期したが、来週の捜索計画を練るためにも、積雪と融雪状況の確認を兼ねて、斉藤さんが入山した毛無山山道入口~林道~稜線~毛無山~稜線上の夏道コルの先までを偵察と捜索をし、夏道の西側の尾根を下った。メンバーは、瀬川さん、毛利さん、私の3名。

 また、今回の捜索活動に自主的に協力いただいているハンターグループのスノーモービル軍団4台が、林道から尾根に取りついた地点で追い付き、毛無山頂上までの尾根上に私たちのためにトレース造りをしてくれた。この後、設計山の方へ車で移動して、設計山の林道と尾根上にもトレースを付けてくれたらしい。感謝・感謝!

 下山する毛無山夏道の登山口駐車場に車を1台デポして、林道の入口へ戻った。事務局の鎌鹿さんが我々と後から来るスノーモービル軍団への挨拶のために先着していた。彼に見送られて1kmほど除雪された林道を車で入ってスタート。 

 わずか1週間で予想以上に雪解けが進んでいた。下の林道をショートカットする急な尾根は標高が低いこともあり、かんじきでのグサグサ雪のラッセルはきつかった。標高の高い稜線上はさすがまだたっぷりと積雪はあったが、雪が飛んで行くところでは笹が出ていたり、踏み抜きをするところもあった。

 今日のルートは危険なところや迷いそうなところは全くと言っていいほどない快適なルートだった。ここで行方を絶つのは、体調不良による行き倒れしか考えられない。それでも、3人で谷斜面を覗いたり、広がってあちこちキョロキョロしながら歩き、手掛かりを捜したが何も見つからなかった。

 7:50毛無山山道入口1km先スタート~10:55毛無山頂上11:15~12:00稜線660ポコ12:20~14:15毛無山夏道登山口駐車場 <合計6時間25分> 

 下山して桧沢橋を渡り終えたところで携帯電話を落としたことに気づく。川を渡るときに転んだ場所まで戻ったら、川の中に落ちていた。上記の時間の中にこの往復の20分も含まれている。電話は防水機能が利いてなんとか無事だと思ったが、翌日にはダメになった。


今日歩いたルートのGPSトラックログ


林道は古いスノーモービルのトレースと3/24の吉田ご夫妻のスノーシュートレースのお陰であまり埋まらないで歩けた


林道から尾根に登ったところで追い付いたハンターグループのスノーモービル軍団
この山一帯の熊の穴の位置まで知っているのには驚いた


692ピーク手前の急な尾根を行く


毛無山頂上を見上げる


毛無山頂上から設計山方向の快適な夏道稜線を行く


2週間前より大きく姿を現し、水量も増えた桧沢の滝


 捜索事務局の鎌鹿さんのブログにも、今日の捜索のことが掲載されています。
 http://blogs.yahoo.co.jp/kamaka_ryu/35031266.html

 明日は、「来週来れないので、明日来たい」と言う札幌の山仲間5名と函館組5名で、今日稜線から下った地点から西側の中山橋から登る尾根の稜線上の偵察と捜索の予定だが、天気が心配・・・。