癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

『凍(しば)れるいのち』

2006年11月22日 | 日常生活・つぶやき
 忘れもしない大学1年の正月である。昭和38年元日早々衝撃的なニュースが飛び込む・・・「北海道学芸大学函館分校山岳部のパーティー11名旭岳で遭難!」・・・そのサブリーダーの小林さんは、私の研究室の先輩(3年生)であった。研究室の仲間は大学に近いSさんの家に集まって、泊まりがけでTVに齧り付き、次々と入ってくる惨状のニュースに見入った。しかし、全員生還の願いも空しく、生還したのは、助けを求めに下りたリーダー野呂幸司さんただ一人という辛く悲しい結末であった。

 私は、小林さんの物静かで穏やかな人柄が好きで、誘われるまま、野呂さんが寝泊まりしていた研究室に何度か出入りしたことがある。その当時の強烈な印象は野呂さんのリーダーとしてのカリスマ性である。その野呂さんから「興味があるなら山岳部に入らないか?」と誘われ、ちょっとその気になっていたこともあり、大好きだった小林さんの死と一人だけ生還してその偉大さと非難が相まって報じられる野呂さんの心中に、ずっと胸の痛む想いを抱き続けていた。

  その後の遭難報告書も読んだが、死に至るまでの心情や状況が偲ばれる悲惨な個々の遺体の様子や、野呂さんの書かれた「後ろを振り向くと、人魂が一つ二つと増えて行く・・・ああ、○○も死んだか・・」というくだりと生き残ったが故の苦悩が今でも印象に残っている。

 その彼と再会したのは数年後のことである。それは、両足の踵を切断したにもかかわらず義足で?スキーをしていた地元のスキー場のロッジである。その時はリフトも止まるほどの猛吹雪であった。すでに指導員の資格を取っていた私は講習続きで思うように練習の時間が取れないこともあり、昼休みにその吹雪の中で練習をして、ロッジに戻ったときであった。

 いきなり後ろから「こら、坂口、こんな吹雪の中で滑っていたのか?死んだらどうする!」と怒鳴られ、びっくりして、「誰だろう?このくらいの吹雪で・・・大袈裟な?」と思ったのだが、顔を見て、あの悲惨な経験に裏打ちされた野呂さんの言葉だっただけに、ズーンと胸に響き、思わず素直に「スミマセン!」と謝った。

 そんなことから、「山は恐いもの」という想いは山に登るようになった今でもなくならないし、最近山スキー登山をするようになったが、それがトラウマとなって、「天気のいいときの日帰り限定」と決めている。

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 このようなことを思い出したのは、1週間ほど前の北海道新聞に「ただ一人生還のリーダー野呂幸司、45年間の沈黙を破り、遭難事故の全貌とその後の人生の軌跡を明らかにする―」・・・それが第三者の手によって『凍れるいのち』として発刊されるという記事が載っていたからである。

昨日、その本が、先行予約注文を受けていることをネット上で見つけて、早速予約注文した。
http://www.hakurosya.com/index.php?pageId=110

 どのようなスタンスで書かれているかは分からないが、その内容次第では、大きな反響を呼ぶかも知れない。この遭難事故に関わったいろいろな立場の人々の気持ちを考えると、あまり英雄視した書き方でないことを願いたい。