癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

自分なりの平成を振り返る

2019年04月29日 | 日常生活・つぶやき

堀の上に枝を延ばす五稜郭公園標本木のサクラ

 昭和から平成に変わるときは、昭和天皇が亡くなってすぐなので、元号が変わることに対する対する思いというのは特になく、「ああ、平成に変わったか?」という程度だった。

 しかし、今回は1年以上前から変わることが分かっていて、ひと月前に新元号の令和が発表された。単なる通過点に過ぎないのに、「平成最後の・・・」「令和初の・・・」などとその変わり目を否が応でも意識せざるを得なかった。
 今、人生の終末になって迎える令和だが、自分にとっての平成という30年間はどんな時代だったのかを思いつくまま振り返ってみたい。

 まずは、時代背景だが、昭和19年の戦争中に生まれた自分にとっての昭和は、まさに復興と繁栄の時代だったと言える。常に夢が持てて、それに向かって頑張れた良い時代だったと思う。それに比べて、平成はバブルがはじけて、経済的にも横ばいで、自然災害も非常に多く、高齢者社会になり、昭和に自分が味わったような夢もあまり持てなく、特に若者にとっては気の毒な時代だったような気がする。

 そんな中で、自分にとっての30年間だが、平成元年は管理職元年だった。学級担任から教頭になり仕事の内容がガラッと変わった。しかし、3年前までいた職場だったので、職員も子どもたちも半分は同じ顔ぶれだった。何と言っても一番の強みは地域を良く知っていることだった。それだけに迷うことなく楽しく仕事をすることができた。

 そして、3年後、校長試験を受けたら受かってしまった。若過ぎることもあって、1年待たされて校長となった。順風満帆過ぎるこの4年間だけでも、考えられないほど多くの人たちに支えられ、引き立てられたことに心から感謝している。

 今や自分の第2の人生の中心となっている登山を始めたのもこの4年目の年である。健康増進と老化防止はもちろんだが、「仕事以外で、自分の能力だけで、充実感や満足感を味わえる新しい挑戦はないだろうか?」と思ったことが大きい。それが、「一人歩きの山歩き」にハマったきっかけでもある。

 校長として11年間、4校に勤めさせていただいた。最初は八雲町で残りの3校は函館市内だった。週末には山に登り、気分転換を図ることができ、仕事にも大いにプラスになった。職員にも恵まれ、11年間、自分がやりたい学校経営を思う存分楽しくやらせてもらったと感謝している。

 しかし、良いことばかりが続くわけではなかった。平成13年6月に突然余命3ヶ月を告げられた先妻が、わずか5ヶ月で逝ってしまった。ただ、自分の学校経営以外に校長会事務局長という一番忙しい役職を仰せつかっていた年で、その後の2年間も校長会長として、15年に1回しか回ってこない全道規模の大事業の推進もあり、悲しみに打ちひしがれているヒマなどは全くなかった。それでも山にだけは良く登った・・・。その2年間で、2人の子供も相次いで結婚してくれた。

 平成16年3月に円満退職を迎えることができ、いろいろあった再就職の話はすべて断って、山三昧の第2の人生が始まった。一人で好きなように過ごすつもりだったが、東京にいた今の妻が「私が先生の面倒を見る」と申し出て来た。昔の教え子で、子供のころから性格も生い立ちも良く知っていたので、これも第2の人生に与えられた何かの縁だろうと決断して現在を迎える。ひょうきんなくせに几帳面で、典型的な「押しかけ世話焼き女房」ぶりを発揮してくれている。特に平成20年と23年の大腸癌手術のときには、本当に助かった。

 退職後、一番長い趣味であるスキーは函館スキー指導員会長と道スキー指導者協会副会長を各12年間も務めさせていただいた。退職時に唯一断ることができなかった退職校長会の仕事も最後の2年間は、函館支部長と道本部副会長を各2年間務めさせていただいた。今は一切の役職から解放されている。

 単なる遊びの世界のはずの登山は、タイミングがインターネットが大衆化してきた時期と重なったのが大きい。当時まだ少なかった山のホームページを開設し、翌年に北海道の山の情報交流サイトであるHYML(北海道山のメーリングリスト)の創設に関わったお陰で、多くの山仲間に恵まれ、どんどんステップアップすることができた。山岳雑誌の原稿依頼や新聞の連載、さらには講演やガイドの仕事なども舞い込み、おまけに、自分の財産となる著書まで発刊することができた。なお、ここ数年ハマっている古道・街道歩き旅も登山の延長である。

 こうして平成の30年を振り返ってみると、仕事も遊びもある意味挑戦であった。しかし、それも支えてくれる人や力を貸してくれる人があってこそである。自分の人生訓は「挑戦と感謝」である・・・もちろんその土台となった昭和も含めて、「本当に人に恵まれた幸せな人生」であると心から感謝している。

 さて、あと2日で迎える令和は、自分の終末の人生にどんな思い出を与えてくれるのだろうか・・・? 最期はボケないで「本当に幸せな人生だった。ありがとう!」と言って逝きたいものである。

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