今日は、年賀状の作成と印刷に半日以上を要した。退職後は、パターンを決めてあるので、それほど面倒ではない。その年の一番の思い出の写真を載せ、その下に、1年の主な活動と挨拶文を文章で記している。
今年は、先日下関でゴールした京街道・山陽道歩き旅の地図とゴール写真を掲載した。文章は、当然新型コロナの影響に触れ、6月以降の道内と東北の山旅と、昨年までの五街道と繋げて、旧街道歩きで津軽三厩~下関間の本州縦断が叶ったことを書いてある。
このブログを読んでいただいている方にとっては、まったく新鮮味のない賀状である。中に、そのような方もいらっしゃるので、その方にとっては大変申しわけないが、ご容赦願いたい。
パソコンを使ってはいるが、自分の画像と活動や挨拶文を記しているので、印刷してそのまま投函しても良さそうなものだが、手書きでひとことコメントを書くことを心がけている・・・・というのは、ただ両面印刷しただけのものを、ひとことのコメントもなしでいただくのは、はっきり言って、ありがたみが薄いからである。ましてや、業者印刷やイラスト印刷しただけのものでは、その度合いが強い。明日から、のんびりと、そのコメント書きをすることになる。
それにしても、そもそも年賀状はいつごろからのものなのか、調べてみたら平安時代に遡るとか・・・1947年にお年玉年賀状が発行されて、一般的になったようだ。
自分はいつごろから年賀状を書くようになったのか・・・全く記憶がない。小学生のころは、父親の年賀状をもらって、担任の先生には出していたように思う。しかし、小学生の頃から続いている人もいるので、その頃から出していたのかもしれない。
はっきりしているのは、社会人になって、お世話になった方々や職場の先輩に出し始めたのと、教え子からの賀状へも対応するようになったことである。そして、年とともに、徐々に増えていった。一番多いときは、40代後半ごろで、仕事関係、教え子関係、スキー指導員関係などで、400枚を超えていた時期があった。現在は200枚前後に減っている。
年賀状の作成を振り返っても面白い。業者印刷は一度もしたことはないはずである。子供のころは版画を多く使っていた気がする。社会人になってからはガリ版印刷で、20代後半からはシルクスクリーンに凝っていた。やがて、プリントごっこ、ワープロ、パソコンと時代と共にその作成方法は変わってきている。
ワープロが出てくるまでは、あて名は手書きでしていたが、その後は、住所録と連動させて印刷するようになった。
現在は、ラインやSNSが定着している若い世代を中心に年賀状は廃れてきているようだ。今や、年賀状を書いているのは、中高年以上ではないかと思われる。その証拠に、自分のやりとりしている賀状を見ても、付き合いの年代にもよるのだろうが、大部分が50代以上である。
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