癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

第125回箱館歴史散歩の会<湯川巡り(その2)>

2014年08月29日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 今回は、温泉を中心として、明治31年の馬車鉄道さらに101年前の路面電車の開通により、大きく変貌をとげた湯の川地区の歴史を巡った。


 10:30に湯の川温泉・花びしホテルロピーに集合。いつもの西部方面に比べて、内容的に新鮮なこともあり、120名ほどの参加者だった。自分が参加した中で最も多い人数かもしれない。100部用意した資料がもらえない方もいた。

<コース> 湯倉神社 → 湯の川温泉発祥地 → 旧湯の川役場 → 白系ロシア人居住跡 → 箱館戦争野戦病院跡 → 都雨荘跡 → 南部屋敷跡 → 湯の川駅予定地  → 北海製紙跡 → 大滝温泉跡 → 熱帯植物園 → 根崎温泉碑 → アイヌ史跡館跡 → 大嘗祭共進記念碑 → 黒松林 → 湯の池跡 → 渡辺家別荘跡・林間学校 → 千人風呂跡 → 林長館跡 → 小林亭跡 → 芳明館跡

 
湯倉神社と湯川温泉発祥の地碑

 湯の川温泉の源は、海底に沈んだ銭亀沢カルデラだと言われている。この湯の川温泉は、500年以上前に現在の湯倉神社の近くで湧き出ていた温泉できこりが両腕の痛みを当時したことに始まると言われている。
 その後、1963年松前藩主9代の高広(幼名千代丸)が幼少時代に湯倉神社境内に噴出していた温泉で全治したという話が残っている。翌年そのお礼として母清涼院が湯倉神社の社殿を再建し、現在の社宝も奉納したとされる。

 また、榎本武揚はこの近くに箱館戦争の旧幕府軍の傷病兵のために農家を改造して野戦病院を設置している。このときに、榎本は「ここを100尺も掘り下げれば50度の温泉が湧き出る」と言い残している。それを伝え聞いた石川藤助という井戸職人が、17年後に掘り当てて、現在の湯の川温泉の基礎ができたという。

 
南北海道教育センターの南隣にある幼児公園は、旧戸井線の湯川駅予定地跡だった。
その道路わきにその名残を示す当時の工務省の境界碑が立っている

 今回初めて聞いたが、旧戸井線はこの先の松倉川まで線路が敷かれて、資材を運んだり、海岸の砂利を赤川飛行場建設現場まで運んだという話も残っているらしい。


北海製紙工会社の跡地(現在のダイエー湯の川店)



手前は熱帯植物園の敷地内にある根崎温泉碑と奥は現在のイマジンホテル

 イマジンホテルの場所は、大正10年ごろに開業したいろいろな遊戯施設を備えた今の大型レジャー温泉のような「大瀧温泉大浴場」(通称万人風呂)があったところ。昭和20年終わりごろまでプールがあった。その後、湯川グランドホテルとなり、現在のイマジンホテルとなっている。


アイヌコタン史跡館・荒城土産店跡地

 この辺りには、自分も記憶にあるが、1961年(昭和38年)に開店した荒城土産店とその隣に市立博物館「アイヌコタンの史跡館」があった。


湯川黒松林

 函館の基礎を築いた四天王の一人、金森商店や金森倉庫を開いた渡辺熊四郎が私財を投じて植林した北海道最初の防風防砂林。のちに、火災にあった市立函館病院の再建のために市に寄付された。


渡辺家別荘跡

 黒松林と連続した場所に昭和50年ごろまで渡辺熊四郎別荘があった。船場町(現末広町)にあった西洋料理店養和軒(日本初めてのラーメン発祥の店とも言われている)の建物を明治22年にこちらに移築したらしい。

 
旧湯の川ホテル(千人風呂)跡地<現在の竹葉新葉亭>と現在の大黒屋旅館

 旧湯の川ホテルは、大正6年ごろに開業し、3階建て、50室の客室を持ち、当時日本一の大浴槽があったため通称千人風呂と呼ばれた。

 現在の大黒屋旅館は大正7年創業の現存する一番古い温泉旅館。
 ※今日の説明で、ここが昭和9年の湯の川球場で行われた日米野球の全日本軍が宿泊した小林亭跡地とのことだったが、年代が逆転しているので、中尾さんに電話で問い合わせたら、間違いで、小林亭は現在の電車通りに面したツルハの敷地だったらしい。

 
かつては湯の川の一大繁華街だった湯の川銀座通りと、その通り沿いに残る林長館跡地

 林長館は、湯の川温泉が採掘された明治19年の翌年の明治20年創業の大きな温泉旅館で、新島譲が妻八重とともにここでランチを摂っている。


芳明館跡地(現在の電車通りと湯の川銀座通りの交差点角)

 芳明館は、湯川の繁栄の基を築いた函館馬車鉄道創始者・佐藤湧知が明治40年8月に開業し大正8年まで営業した温泉旅館。のちに映画館となっている。

 ここにアップしたほかに、白系ロシア人居住跡、都雨荘跡、南部屋敷跡、大嘗祭共進記念碑 、湯の池跡などの説明もあったが、割愛する。
 いずれにしても、当時かなりの繁栄を見たであろう湯の川温泉での歴史を垣間見ることができた。

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