入舟町の地獄坂とテンコの坂
◎地獄坂(80m)
地獄坂(下から)~入舟町(昔の山背泊)の道路から函館市船見町の外人墓地まで
上るのも下るのも難儀な坂なので地獄坂と呼ばれた。(「函館歴史散歩」より)
(上)坂上にある外人墓地の1つのシャルトル聖パウロ修道女会墓地
(下)登り口の入舟町(旧山背泊)の家並み
地獄坂(上から)
◎テンコの坂(80m)
テンコの坂~急な石段になっているが、途中から少し向きが変わり緩やかになる。映画「海炭市叙景」にも登場しているらしい。
坂の途中に山背泊稲荷神社があり江戸末期には天光稲荷と言った。天光をテンコと呼んだところからテンコの坂と言った。(「函館歴史散歩」より)
(左上)登り口の入舟町(旧山背泊)の家並み (右上)途中で少し向きが変わって緩くなる
(左下)坂名の由来となった旧天光稲荷(現入舟稲荷神社) (右下)坂上の高龍寺
テンコの坂(上から)
右下の古民家然とした「真言寺」には、函館市が指定した有形文化財の不動明王立像が安置されている。
真言寺は、文久年間(1861年~1864年)、僧 寛純により創立されたといわれており、この寺の主仏となっている不動明王は、普段開帳されていない。
青柳町のすりばち坂、みやま坂、さくら坂
◎すりばち坂(100m)
すりばち坂(下から)~函館公園北側の坂道。坂下手前の電柱根元に手作りの坂標が設置。
函館公園の北脇を公園に沿って西に上る坂道。公園の中に「すりばち山」と呼ばれる小山があり、その横の坂ということから「すりばち坂」と呼ばれる。
(上)すりばち坂からの函館公園入口
(下)名前の由来となった「すりばち山(摺鉢山」
すりばち坂(上から)
◎みやま坂(100m)
みやま坂(下から)~「すりばち坂」と平行する坂で「青柳坂」の坂上に続く。
美山坂とも書くらしいが、由来は不明。
坂の途中に建つツタの絡まる土蔵
みやま坂(上から)
◎さくら坂(220m)
さくら坂(函館公園入口前から)~函館公園の東側の坂
函館公園側は桜の古木の並木になっているので、坂名はそれに由来するのではないか。
数年前まで,電柱に住民の手で「さくら坂」と書かれた木片が縛り付けてあったらしいが、現在はなくなっている。
(左上)通り沿いにある喫茶店「JBハウス」 (右上)通りに建つ蔵持ちの民家
(下)通りからの函館公園入口~門柱に「市立函館圖書館」の表札
さくら坂~(下から)
以上で、函館山ふもとの名前のある坂道の紹介は終わりますが、谷地頭町や住吉町にまだ気になる急な坂道がたくさんあります。
どなたか、その坂の名前や由来が分かりましたら、教えてください。
地元の人に聞くと分かるのではないかと思うのですが・・・?そこまでしませんでした。
寅の方角は東北東ですね。昔の五稜郭の寅の方角の橋の名前が探せない・・・そのわけは分かりませんね。
貴ブログで興味が湧いたというか懐かしかったのが、昔の市電の系統です。ガス会社回りや五稜郭駅前までの市電、すごく懐かしいです。
ラッキーピエロ函館駅前店、とうとう移転ですか?移転先は朝市向かいのホテルニューオーテの2階だとか・・・明らかに観光客狙いですね。
函館公園の近くに昔は間違いなく「さくら坂」と書かれた白地に黒の名盤が立っていました。
探せば写真があるのですが直ぐには見つけられませんでした。
桜の咲くシーズンには確かに「桜坂」と言える場所です。
実は基坂と東坂の間、弥生小学校前の道から上の道までの一区画ですが車のギリギリ通れる坂があります。
下から見ると行き止まりに見えますが実は途中から直角に曲がって通り抜けられます。
名前を探して見ましたが見つけることは出来ませんでした。
昔の二本の坂の名残かもしれません。
基坂と東坂の間に坂道があることは地図でも確認できます。名前はないでしょうね?
そうそう、明日のブログにアップしますが、wndows10に。例のHOTALL2001改訂版がインストールできました。今まで通りに使えて、大感激でした。