根室市には、フットパスがたくさんある。今日歩いた「落石シーサイドウェイ」には、「落石岬パス」と「浜松パス」の2コース。明日歩く定の「根室フットパス」には、「厚床パス」、「初田牛パス」、「別当賀パス」の3コースがある。
今日歩いた「落石岬パス」と「浜松パス」をそれぞれ別々にアップする。
浜中町のアゼチの岬駐車場で夜を明かし、50km先の落石駅まで走った。朝は霧が濃くて心配したが、スタートする頃にはなくなっていたが、スタート時で11℃と非常に寒かった。。
6:50、落石駅をスタート。道々へ出て、南下する。道々から落石漁港へ下りる道を進む。
下っていくと、入江の両側から延びる港の防波堤が見える。
その右手には落石漁港が見える。この漁港の裏を通って進む。
集落の横から高台上がる道から振り返ると、落石の集落が見える。その先に続く道を進むと、やがて、未舗装の道となり、その先にはゲートがあり、車が入れなくなっている。
戻ってくる道との分岐には、「落石無線電信局内跡」の建物と石碑が立っている。
1908(明治41)年、北米航路の要衝として船舶や航空機と無線電信を行うため設置された。開設当初は落石岬側にあったが、1923(大正12)年に現在の場所に移設されている。アメリカのリンドバーグがシリウス号で、1931(昭和6年)に北太平洋横断飛行を行った時も、無線の誘導により濃霧の中を根室港に着水するという出来事があった。
ここから、右の道を進み、落石岬を目指す。
草原の中に道は続く。
やがて、この落石岬パスの標識が現れる。ここが、アフラモイチャシ(日本の名城100選根室半島チャシ群24ヶ所の1つ)への分岐である。
その先に続くタイヤ痕の道を進むが、海岸の崖っぷちに出たのに何もない。そんなところかとがっかりして戻る途中の左手に、白い標柱が見えた。そちらへの分岐には標識もなく、鹿道が続いているだけだった。ここには、絶対に標識がほしかった。
8:25、岬の手前の地球環境モニタリングステーションに到着。この施設は、沖縄の波照島とここの2ヶ所しかない施設だそうだ空気の汚れを調べているらしい。
この横を抜けて進むと落石岬である。
今まで、いろいろな岬を見てきただけに、特に印書に残る岬ではなかった。
少し戻って、分岐から落石岬灯台への道を進む。
この先の草原のも花が多かった。チシマフウロ(左上)、シコタンキンポウゲ(右上)、ヒオウギアヤメの群落もあちこちに見られた。
ツマトリソウ(左上)、今回の旅で初めて目にしたネムロシオガマ(右上)、天塩岳以外では初めて目にしたエゾノコゼンタチバナ(下)
先に落石岬灯台が見えてくる。
初めて目にしたミズナラ風衝木の群落
9:15、灯台の先の岬から垂直に切り立つ海蝕崖を眺める。ここで海とお別れである。
やがて、木道となり、灯台を振り返る。
アカエゾマツの林とワタスゲが咲く湿原の中に木道は続く。
9:45、木道を抜けたら、無線電信局跡手前の分岐だった。
日本ではここにしか咲かない国指定天然記念物のサカイツヅジの説明板があった。花はもう終わっていて目に付かなかったが、せめても木だけでもと木道を戻って探したが、かなり小さいものらしく、良く分からなかった。
その先からは来た道を戻る。
集落の中へ下って行き、帰りは、漁港の裏の高台に続く道々を進む。
10:20、浜松パスとの分岐に到着。行きつ戻りつや間違って歩いたところもあったが、10.4kmのコースを3時間30分で浜松パスへと入っていく。
次のページは「浜松パス」へと続く。
記事にある「落石無線電信局内跡」で昔父親が働いておりました。
当時は逓信省の管轄で逓信技官としてモールス信号のオペレーター業務を担当しておりました。
アメリカに1番近い?ので主にアメリカとの電報を送受信していたようです。
戦後もしばらくGHQに徴用されて無線を受信していたようです。
モールス信号もあまり使われなくなり組織変更で後に電電公社勤務となりました。
まだ残っているんですね。
すごい歴史的な建物なんですね。
栄町住人さんの書かれている岬の様子の内容は、実に良く理解できます。