1年間ほぼ毎日更新を続けてきたこのブログを改めて見直してみた。今年も健康に恵まれて、相変わらずの遊び三昧の1年だった。「よくもまああちこちに出かけ、良く遊んだものだ」と我ながら感心する。これもすべて、妻を初め多くの方々のお世話になったり、支えられての行動ばかりである・・・まさに幸せな3感王(感心・感動・感謝)である。
これまでの退職後は年間100日を目標にしてきた山行日数は77日に終わって、2回目の大腸癌と滝から落ちて鞭打ち症になった2011年以来、最も少なかった。しかし、歩き旅も含めると106日になった。
いずれにしても、今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた、若い頃からの座右の銘である「挑戦と感謝」の1年でもあった。
そんな中から、今年の締めくくりとして、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、「10大感動」としてみた。10個選びだすのに苦労したが・・・。
◎今年もクロカンスキー大会5レースすべて完走(1/22~2/26)
ここ10年以上連続出場している、1/22「HBCラジオハウス歩くスキー大会(15km)、2/5「札幌国際スキーマラソン大会(50km)」、2/12「おおたき国際スキーマラソン大会(15km)」、2/19「恵庭クロカンスキー大会(30km)」、2/26「湧別原野オホーツククロカンスキー大会」のすべてを完走できたことを素直に喜びたい。
毎年参加してきた3月第1週に開催される「十勝大平原クロカンスキー大会」は、昨年の台風によるコース決壊で中止となったのが残念だった。今シーズンも中止となった。
2月は4週連続だが、これらに参加するための車の移動距離は、単純に往復だけでも計算すると、ざっと3000kmになる。滑走距離のトータルは約200kmだった。
◎『ほっかいどう山楽紀行』出版(4/20)
2012年6月~2017年2月までの約5年間115回にわたって連載させていただいた北海道新聞札幌圏版の『ほっかいどう山楽紀行』だが、530点の写真、「おまけ情報」、「山楽コラム」等を加えて再構成した同名の本を自費出版することができた。
共同文化社のお陰で、こちらで考えていたよりはるかに素晴らしい本ができ上がって大満足である。
心のこもった出版祝賀会を、函館の山仲間、道新函館支社の記者の方々、札幌でのHYML仲間など、3回も開いていただいた。
お陰で2ヶ月後には出版社には2000部の在庫がなくなり、考えてもいなかった増刷という運びとなった。多くの山仲間、連載をしてくださった北海道新聞、素晴らしい本を作ってくださった共同文化社、そして、この本をご購入いただいたみなさんに心から感謝申し上げたい。
なお、昨年の11月から始まった北海道新聞夕刊(道南版・みなみ風)の連載『どうなん・とうほく山楽紀行』は現在も継続中である。
◎妻との東北旅行2回(4/25~26)(7/15~17)(
4月には、かねてから観たいと思っていた角館のシダレザクラと弘前公園のサクラを中心とした新幹線利用の東北旅行を妻と一緒にしてきた。角館の後、大曲の春花火を観て、秋田からリゾート列車しらかみで弘前へと1泊2日の旅行だった。
7月は、2週間にわたる東北の山旅の最後の3連休に妻と青森で合流し、また訪れたことのなかった男鹿半島を中心とした2泊3日の観光旅行を楽しんだ。
◎東海道53次歩き旅<42桑名宿まで>(5/25~6/5)
昨年の「中山道69次歩き旅」に引き続き、今年は「東海道53次歩き旅」に挑戦。日程の関係で、42次の桑名宿以降は秋に延ばさざるを得なかったが、13日間、毎日30~40kmほど歩き続けることができた。
この東海道は、歴史上に登場する有名な人物や史跡などと多く接することができた。また、意外に当時の宿場や旧街道沿いの集落のあるところは旧街道が残っていた。東海道のシンボルともいえる松並木も意外に多く残っていた。
◎函館マラソン(ハーフの部)~この8年間のベストタイムで快走(7/2)
昨年はフルとハーフの同時開催の第1回目だったので、最初で最後のフル出場で完走することができた。しかし、今年は、初めからハーフに戻るつもりでいた。
66歳から再出場して以来8年間で最高タイムの2時間04分55秒の快走だった。70歳代の部の13位とこれも最高順位で、上位20位に入ったので、翌日の新聞の成績一覧にも名前が載ることができた。
なお、4/16の伊達ハーフも完走できたが、ちょうど本ででき上がって、それを取りに札幌まで往復したり、直接注文への発送や配達などで、疲労真っ最中で迎えた。無理しなかったこともあり、これまでのハーフのワーストタイムの2時間15分16秒だった。
◎天候に恵まれた再取材を兼ねた東北山巡り(7/5~17)
「どうなん・とうほく山楽紀行」の再取材も兼ねた東北の山巡りだが、今年は花の季節に合わせて出掛けた。梅雨時にもかかわらず、非常に天候に恵まれ、9日間の内、8日間も登ることができた。
初日の早池峰山でのハヤチネウスユキソウとの出会いや多種多様な花々、秋田駒ケ岳のムーミン谷のチングルマの群生と大焼砂斜面を覆うコマクサ、乳頭山で初対面のオノエラン、八幡平のヒナザクラの大群生、森吉山のウラジロコヨウラクの群落、太平山での思っても見なかった固有種コアニチドリ、鳥海山のハクサンイチゲやホソバイワベンケイの大群落、白神岳での山頂部を覆うニッコウキスゲとイブキトラノオの大群落などが印象に残る。
◎77歳を73歳が案内した老々快互登山~4回目の「カムイエクウチカウシ山」(8/21~24)
4回目となった「わたしの一名山」である通称カムエクは、4月に拙著『ほっかいどう山楽紀行』を購入いただいた旧知の神奈川在住のYaさんからの、拙著に対する感想と共に届いたメールから始まった。
それは、「あと7座残っている日本二百名山を何としても踏破したい。しかし、最難関のカムイエクウチカウシ山は、単独ではちょっと不安である」という内容だった。「自分で良かったら案内方々同行します」と、こちらから買って出た計画だった。77歳を73歳が案内するという「老々介護登山」を覚悟して、なんとしても登頂させてあげたいというミッションを自らに課して周到な準備をした。
2日目は雨でテントでの停滞を余儀なくされたが、登頂日は好天に恵まれ、予想以上のYaさんの体力のお陰で「介護」が「快互」に変わるほどの感動的な4日間となった。
来年は、ペテガリ岳で「日本二百名山完登」を狙っている。そのときも同行する予定なので、来年もここに記載できることを願っている。
◎12年間務めた北海道スキー指導者協会副会長を辞し、まったくのフリーに(8/6)
5/15には北海道退職校長会副会長を辞し、唯一残っていた12年間務めた北海道スキー指導者協会副会長も降りることができた。
これで、これまで務めたこれらの役職の母体となっていた函館スキー指導員会会長も退職校長会函館支部長も2年前に降りているので、これでまったくのフリーになった。肩の荷が軽くなり、ますます自由になる時間が増えた。しかし、人前で緊張して話や挨拶などをする機会がなくなったことは少し寂しい気がする。
◎73歳の大冒険 羊蹄山8の字縦走(8/31)
体力試しを兼ねて、歳甲斐もなく、無謀な大冒険「羊蹄山8の字縦走」を考えた。要は4本ある登山道と車道を繋いで、1日に2度頂上に立ち、8の字を完成するというものである。
いろいろな場合を想定して、対策を講じておいたが、結果的に、すべて杞憂に終わり、予定の20時間に1時間お釣りの来る18時間50分で踏破することができた。
真夜中の1:20、真狩コースをスタートし、京極コース(下り)~喜茂別コース登山口
~喜茂別コース(登り)~比羅夫コース(下り)~真狩コース登山口に20:10ゴール。歩数計87,705歩、獲得標高差3400m、すべてにおいて初体験づくしの山行だった。
◎東海道(残り)~伊勢街道~熊野古道伊勢路歩き旅(11/3~16)
5月から6月にかけて歩いた東海道の残りを歩き、日永追分まで戻って、昔の「お伊勢参り」の道である伊勢街道を伊勢神宮まで歩き、その足で、伊勢神宮から熊野本宮を結ぶ熊野古道伊勢路を歩いた。
東海道は42次の桑名宿から52次の草津宿まで歩いてゴールとした。それは、昨年の中山道の時に、草津で合流する東海道部分の京都三条大橋まで踏破済みだったからである。
東海道は、わずか3日間だけの歩きだったが、東海道にしては珍しい歴史的建造物保存地区として町並み保存活動に取り組んでいる関宿が印象的だった。
3日間の伊勢街道は、街道の雰囲気は東海道の延長といった感じでこちらもずっと家並みが続く平坦な道が多かった。現在の歩き旅のための標識は全くと言っていいほどなかったが、昔のお伊勢参りの人に対する古い道標やあちこちに設置されている常夜燈が充実していた。
8日間で歩いた熊野古道伊勢路は、東海道や伊勢街道とはまったく趣を異にする。リアス式海岸の地形と最後の2日間は直接熊野本宮をへ向かう山中の本宮道を歩いたこともあり、連日峠越えの続く登山モードの古道歩きだった。
これまでの退職後は年間100日を目標にしてきた山行日数は77日に終わって、2回目の大腸癌と滝から落ちて鞭打ち症になった2011年以来、最も少なかった。しかし、歩き旅も含めると106日になった。
いずれにしても、今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた、若い頃からの座右の銘である「挑戦と感謝」の1年でもあった。
そんな中から、今年の締めくくりとして、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、「10大感動」としてみた。10個選びだすのに苦労したが・・・。
◎今年もクロカンスキー大会5レースすべて完走(1/22~2/26)
ここ10年以上連続出場している、1/22「HBCラジオハウス歩くスキー大会(15km)、2/5「札幌国際スキーマラソン大会(50km)」、2/12「おおたき国際スキーマラソン大会(15km)」、2/19「恵庭クロカンスキー大会(30km)」、2/26「湧別原野オホーツククロカンスキー大会」のすべてを完走できたことを素直に喜びたい。
毎年参加してきた3月第1週に開催される「十勝大平原クロカンスキー大会」は、昨年の台風によるコース決壊で中止となったのが残念だった。今シーズンも中止となった。
2月は4週連続だが、これらに参加するための車の移動距離は、単純に往復だけでも計算すると、ざっと3000kmになる。滑走距離のトータルは約200kmだった。
◎『ほっかいどう山楽紀行』出版(4/20)
2012年6月~2017年2月までの約5年間115回にわたって連載させていただいた北海道新聞札幌圏版の『ほっかいどう山楽紀行』だが、530点の写真、「おまけ情報」、「山楽コラム」等を加えて再構成した同名の本を自費出版することができた。
共同文化社のお陰で、こちらで考えていたよりはるかに素晴らしい本ができ上がって大満足である。
心のこもった出版祝賀会を、函館の山仲間、道新函館支社の記者の方々、札幌でのHYML仲間など、3回も開いていただいた。
お陰で2ヶ月後には出版社には2000部の在庫がなくなり、考えてもいなかった増刷という運びとなった。多くの山仲間、連載をしてくださった北海道新聞、素晴らしい本を作ってくださった共同文化社、そして、この本をご購入いただいたみなさんに心から感謝申し上げたい。
なお、昨年の11月から始まった北海道新聞夕刊(道南版・みなみ風)の連載『どうなん・とうほく山楽紀行』は現在も継続中である。
◎妻との東北旅行2回(4/25~26)(7/15~17)(
4月には、かねてから観たいと思っていた角館のシダレザクラと弘前公園のサクラを中心とした新幹線利用の東北旅行を妻と一緒にしてきた。角館の後、大曲の春花火を観て、秋田からリゾート列車しらかみで弘前へと1泊2日の旅行だった。
7月は、2週間にわたる東北の山旅の最後の3連休に妻と青森で合流し、また訪れたことのなかった男鹿半島を中心とした2泊3日の観光旅行を楽しんだ。
◎東海道53次歩き旅<42桑名宿まで>(5/25~6/5)
昨年の「中山道69次歩き旅」に引き続き、今年は「東海道53次歩き旅」に挑戦。日程の関係で、42次の桑名宿以降は秋に延ばさざるを得なかったが、13日間、毎日30~40kmほど歩き続けることができた。
この東海道は、歴史上に登場する有名な人物や史跡などと多く接することができた。また、意外に当時の宿場や旧街道沿いの集落のあるところは旧街道が残っていた。東海道のシンボルともいえる松並木も意外に多く残っていた。
◎函館マラソン(ハーフの部)~この8年間のベストタイムで快走(7/2)
昨年はフルとハーフの同時開催の第1回目だったので、最初で最後のフル出場で完走することができた。しかし、今年は、初めからハーフに戻るつもりでいた。
66歳から再出場して以来8年間で最高タイムの2時間04分55秒の快走だった。70歳代の部の13位とこれも最高順位で、上位20位に入ったので、翌日の新聞の成績一覧にも名前が載ることができた。
なお、4/16の伊達ハーフも完走できたが、ちょうど本ででき上がって、それを取りに札幌まで往復したり、直接注文への発送や配達などで、疲労真っ最中で迎えた。無理しなかったこともあり、これまでのハーフのワーストタイムの2時間15分16秒だった。
◎天候に恵まれた再取材を兼ねた東北山巡り(7/5~17)
「どうなん・とうほく山楽紀行」の再取材も兼ねた東北の山巡りだが、今年は花の季節に合わせて出掛けた。梅雨時にもかかわらず、非常に天候に恵まれ、9日間の内、8日間も登ることができた。
初日の早池峰山でのハヤチネウスユキソウとの出会いや多種多様な花々、秋田駒ケ岳のムーミン谷のチングルマの群生と大焼砂斜面を覆うコマクサ、乳頭山で初対面のオノエラン、八幡平のヒナザクラの大群生、森吉山のウラジロコヨウラクの群落、太平山での思っても見なかった固有種コアニチドリ、鳥海山のハクサンイチゲやホソバイワベンケイの大群落、白神岳での山頂部を覆うニッコウキスゲとイブキトラノオの大群落などが印象に残る。
◎77歳を73歳が案内した老々快互登山~4回目の「カムイエクウチカウシ山」(8/21~24)
4回目となった「わたしの一名山」である通称カムエクは、4月に拙著『ほっかいどう山楽紀行』を購入いただいた旧知の神奈川在住のYaさんからの、拙著に対する感想と共に届いたメールから始まった。
それは、「あと7座残っている日本二百名山を何としても踏破したい。しかし、最難関のカムイエクウチカウシ山は、単独ではちょっと不安である」という内容だった。「自分で良かったら案内方々同行します」と、こちらから買って出た計画だった。77歳を73歳が案内するという「老々介護登山」を覚悟して、なんとしても登頂させてあげたいというミッションを自らに課して周到な準備をした。
2日目は雨でテントでの停滞を余儀なくされたが、登頂日は好天に恵まれ、予想以上のYaさんの体力のお陰で「介護」が「快互」に変わるほどの感動的な4日間となった。
来年は、ペテガリ岳で「日本二百名山完登」を狙っている。そのときも同行する予定なので、来年もここに記載できることを願っている。
◎12年間務めた北海道スキー指導者協会副会長を辞し、まったくのフリーに(8/6)
5/15には北海道退職校長会副会長を辞し、唯一残っていた12年間務めた北海道スキー指導者協会副会長も降りることができた。
これで、これまで務めたこれらの役職の母体となっていた函館スキー指導員会会長も退職校長会函館支部長も2年前に降りているので、これでまったくのフリーになった。肩の荷が軽くなり、ますます自由になる時間が増えた。しかし、人前で緊張して話や挨拶などをする機会がなくなったことは少し寂しい気がする。
◎73歳の大冒険 羊蹄山8の字縦走(8/31)
体力試しを兼ねて、歳甲斐もなく、無謀な大冒険「羊蹄山8の字縦走」を考えた。要は4本ある登山道と車道を繋いで、1日に2度頂上に立ち、8の字を完成するというものである。
いろいろな場合を想定して、対策を講じておいたが、結果的に、すべて杞憂に終わり、予定の20時間に1時間お釣りの来る18時間50分で踏破することができた。
真夜中の1:20、真狩コースをスタートし、京極コース(下り)~喜茂別コース登山口
~喜茂別コース(登り)~比羅夫コース(下り)~真狩コース登山口に20:10ゴール。歩数計87,705歩、獲得標高差3400m、すべてにおいて初体験づくしの山行だった。
◎東海道(残り)~伊勢街道~熊野古道伊勢路歩き旅(11/3~16)
5月から6月にかけて歩いた東海道の残りを歩き、日永追分まで戻って、昔の「お伊勢参り」の道である伊勢街道を伊勢神宮まで歩き、その足で、伊勢神宮から熊野本宮を結ぶ熊野古道伊勢路を歩いた。
東海道は42次の桑名宿から52次の草津宿まで歩いてゴールとした。それは、昨年の中山道の時に、草津で合流する東海道部分の京都三条大橋まで踏破済みだったからである。
東海道は、わずか3日間だけの歩きだったが、東海道にしては珍しい歴史的建造物保存地区として町並み保存活動に取り組んでいる関宿が印象的だった。
3日間の伊勢街道は、街道の雰囲気は東海道の延長といった感じでこちらもずっと家並みが続く平坦な道が多かった。現在の歩き旅のための標識は全くと言っていいほどなかったが、昔のお伊勢参りの人に対する古い道標やあちこちに設置されている常夜燈が充実していた。
8日間で歩いた熊野古道伊勢路は、東海道や伊勢街道とはまったく趣を異にする。リアス式海岸の地形と最後の2日間は直接熊野本宮をへ向かう山中の本宮道を歩いたこともあり、連日峠越えの続く登山モードの古道歩きだった。
初対面の湧別では、お土産まで頂きありがとうございました。
ハマナスさんの素敵な写真満載のブログも楽しませていただきました。
お互いに、来年も充実した1年になるようアクティブに活動しましょう。
そして、大変お疲れさまでした。
湧別では初めてお目にかかれ、とても感激でした。
4月ご出版の『ほっかいどう山楽紀行』は、読みやすい”楽しい”と友人たちの間でも大好評です。
圧巻の”羊蹄山8の字縦走”、ドキドキしながら拝見しておりました。
秋の東海道~熊野古道伊勢路は、歴史を感じながら興味深く、熊野古道は行ってみたいと思っています。
来年はどんな冒険が待っているのでしょう。
どうぞ体調にご留意され、お元気でご活躍ください。