![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/8c/9d8c32f0c85839f091c26ad16a9688df.jpg)
先日大沼旧道を通ってみて新たに気になったのが、地形図に載っている大沼トンネルの上を通っている旧道だ。実は、高校生の頃、列車の窓から、この道をバスが走っているのを見た記憶があり、このトンネルの上の道をずっと大沼旧道だと思っていたからだ。
そこで、今日は、大沼旧道の峠下側の入口に車をデポし、300mほど進んだところから分かれるトンネルの上を通るこの旧道を歩いてみた。そして、江戸時代峠下と大沼を結ぶ古峠経由の古道と合流してから峠下台場山に登り、峠下側へ周回して、再び古峠の道を歩いて、小沼湖畔へ出た。その後、トンネルを潜って、車のデポ地点まで戻った。
道南の古道や旧道のオーソリティであるも~さんによると、現在地元の人が「古峠」と呼んでいるこの峠は、江戸時代の文献によると「大峠」や「長坂峠」と呼ばれていたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/5d/9bed6bedb84deabc2d6063df931a26dd.jpg)
トンネルの上を通る旧道は、今では車で通ることは不可能だが、道路自体は両側が笹で覆われてはいるが、車がすれ違うことのできるほど幅が広く、法面もしっかりと造られていた。これは林道ではなく、明らかに車道だったと確信した。
つまり、車で森方面へは行くには、じゅんさい沼へ抜ける大沼旧道を利用して、大沼公園や鹿部方面へは、この旧道を通ったに違いない・・・と思って、帰宅したら、子供の頃、隣に住んでいたみきちゃん(七飯のこなひき小屋と函館のpain屋の親方)から「大野から鹿部に引っ越したときに、このトンネルの上の道路を通りました。その後、バスも通っていました。」とのコメントが入っていた。期せずして、グッドタイミングで裏付けが取れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a3/e27e6aa4b8e8803266f6b2ae41cb771d.jpg)
左が台場山への登山道で。右が明治5年に札幌本道(大沼旧道)ができるまで、歩かれていた峠下から古峠経由の古道・・・松浦武四郎もこの道を通っているが、鷲の木に上陸した幕府軍の大鳥圭介隊もこの道を通り、峠下へ下ったところで(現在の七飯発電所の近く)待ち伏せていた新政府軍と戦い、箱館戦争の火蓋が切られた地となった。七飯発電所の東側にその戦死者の墓地や「戊辰役勃発之地」の碑も建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/5f/795490c43a3ddc3bafa2406def6c29ca.jpg)
峠下台場跡~旧幕府軍が森・大沼方面からの侵攻に備え、わずか3日で築いたとのこと。
前回は峠下側から登って、周回して峠下側へ下ったので、今回は、トンネル上の道の途中の大沼側から登って、同じように周回して大沼側へ下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dd/0b8957110226408cb54504a1476ec411.jpg)
台場山から峠下側の登山道を少し下った地点にある絶景ポイント
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/04/8795dcd6bc57c66268c732c8a9bcd854.jpg)
台場山から下りて七飯林道へ抜けた地点から眺める函館山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/94/7aec9f0272ca3fe3af22b4bd07627c0e.jpg)
跨線橋の根元で国道へ抜けた地点から眺めた駒ヶ岳・・・この後、トンネルを潜ってスタート地点へ戻った。所要時間2時間。
この後、紅葉狙いで、大沼公園へ向かったが、今年の紅葉はあまりきれいでなかった。 昨年の今日の「初冠雪の駒ヶ岳と大沼の紅葉」の方がずっときれいだった。
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/cda425e9d831cd83ada5789566ec99c0
そこで、今日は、大沼旧道の峠下側の入口に車をデポし、300mほど進んだところから分かれるトンネルの上を通るこの旧道を歩いてみた。そして、江戸時代峠下と大沼を結ぶ古峠経由の古道と合流してから峠下台場山に登り、峠下側へ周回して、再び古峠の道を歩いて、小沼湖畔へ出た。その後、トンネルを潜って、車のデポ地点まで戻った。
道南の古道や旧道のオーソリティであるも~さんによると、現在地元の人が「古峠」と呼んでいるこの峠は、江戸時代の文献によると「大峠」や「長坂峠」と呼ばれていたとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/5d/9bed6bedb84deabc2d6063df931a26dd.jpg)
トンネルの上を通る旧道は、今では車で通ることは不可能だが、道路自体は両側が笹で覆われてはいるが、車がすれ違うことのできるほど幅が広く、法面もしっかりと造られていた。これは林道ではなく、明らかに車道だったと確信した。
つまり、車で森方面へは行くには、じゅんさい沼へ抜ける大沼旧道を利用して、大沼公園や鹿部方面へは、この旧道を通ったに違いない・・・と思って、帰宅したら、子供の頃、隣に住んでいたみきちゃん(七飯のこなひき小屋と函館のpain屋の親方)から「大野から鹿部に引っ越したときに、このトンネルの上の道路を通りました。その後、バスも通っていました。」とのコメントが入っていた。期せずして、グッドタイミングで裏付けが取れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a3/e27e6aa4b8e8803266f6b2ae41cb771d.jpg)
左が台場山への登山道で。右が明治5年に札幌本道(大沼旧道)ができるまで、歩かれていた峠下から古峠経由の古道・・・松浦武四郎もこの道を通っているが、鷲の木に上陸した幕府軍の大鳥圭介隊もこの道を通り、峠下へ下ったところで(現在の七飯発電所の近く)待ち伏せていた新政府軍と戦い、箱館戦争の火蓋が切られた地となった。七飯発電所の東側にその戦死者の墓地や「戊辰役勃発之地」の碑も建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/5f/795490c43a3ddc3bafa2406def6c29ca.jpg)
峠下台場跡~旧幕府軍が森・大沼方面からの侵攻に備え、わずか3日で築いたとのこと。
前回は峠下側から登って、周回して峠下側へ下ったので、今回は、トンネル上の道の途中の大沼側から登って、同じように周回して大沼側へ下った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/dd/0b8957110226408cb54504a1476ec411.jpg)
台場山から峠下側の登山道を少し下った地点にある絶景ポイント
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/04/8795dcd6bc57c66268c732c8a9bcd854.jpg)
台場山から下りて七飯林道へ抜けた地点から眺める函館山
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跨線橋の根元で国道へ抜けた地点から眺めた駒ヶ岳・・・この後、トンネルを潜ってスタート地点へ戻った。所要時間2時間。
この後、紅葉狙いで、大沼公園へ向かったが、今年の紅葉はあまりきれいでなかった。 昨年の今日の「初冠雪の駒ヶ岳と大沼の紅葉」の方がずっときれいだった。
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/cda425e9d831cd83ada5789566ec99c0
昨年の初冠雪と今年の初冠雪と同じ日だったのでしょうか?紅葉も雪の多さも迫力も有り良い写真ですね。
私も、今日、駒ケ岳の初冠雪狙いでウロチョロして来ましたが、雪がうっすらと、もう少し雪が欲しかったです。
昨年の初冠雪は同じ日でしたが、雪の量が違いますね。今日も朝のうちは剣が峰の斜面がうっすらと白かったのですが、昼には解けてしまいました。
(まぁ、たんなる山道マニアのバリエーションかも知れませんが・・・)
あたくしは史実とかよりも物資流通の産業的な方面に興味があるので、これも老後の楽しみでございます。
(例えば、とりあへずは身近な小樽~札幌の軍用道路など、・・・サトマサさんが触れていましたけど・・)
軍用道路ってなんだ?函館の自衛隊の前を通る広い道路にはグリンベルトがありません。これって、有事のときに滑走路代わりにつかうためだとか・・・・?これも、ある意味軍用道路?
赤ワインさんのコメントじゃありませんが、旧礼文華峠といい今年はこういう探訪が結構ありますね。
個人的にはこういう身近な探訪が大好きです(笑)
話は変わり、私事なんですけど・・・
私は小樽峠に行って見たかったです。
そばには穴滝や松倉岩なる名所?もあり楽しみにしてましたが、来年のお楽しみになりそうです。
これって吹上石系探訪?でしょうね(笑)
小樽峠だなんて、渋い所を知っていますね。
穴滝や松倉岩は聞いたことがありますが、ここが赤ワインさんの言われる軍事道路の歴史があるようです。
古峠ですが、大峠または長坂峠が正しいのではないでしょうか。
古峠は台場の東にある363.35mのピークだと思います。この道も大沼湖畔に抜けれると思います。私はまだ行っていません。地図を送ります。
大峠は堀田正敦(1807=蝦夷紀行)、松浦武四郎(1845=蝦夷日誌)、伊能忠敬(1800)、ゴローニン(1811=日本幽因記上巻)が通っています。今の蓴菜沼は当時は小沼、小沼は現在の大沼を含めて大沼と称していました。
したがって、文献による大峠または長坂峠がその当時の正しい地名だと思います。
三角点名の古峠は、その三角点を設置した当時、近くの峠を地元の人が呼んでいた「古峠」を付けたのだと思います。
いろいろお役に立つ情報ありがとうございます。
空撮写真なんかも併用すると良いかも知れませんが、知ってる人間には何の問題も無いというあたりが、今イチ気に入らない(笑)自分ではあります。
なので、暇さえあれば地図とニラメッコしてました(←ちょっとオーバー)
地図とGPSを併用しますから大丈夫だと思ってるんですが、まあ、道を間違ったら間違ったでそれなりに楽しもうと思ってます(笑)
穴滝を見て小樽峠、そして松倉岩でしょ?
その後は、松倉岩北側の廃道が生き返ってるという情報を頂いてましたので、
出来れば常盤貯水池&落合ダムへ抜けられればって思ってます。