日常散策

日々の記録とその他のこと

天王寺駅前 昭和51年

2023年12月25日 | 大阪の近代建築


 昭和51年の阪堺線天王寺駅。阪堺線の電車と奥が三和銀行阿倍野支店(昭和8年)と手前が大和銀行阿部野橋支店(昭和3年)です。



 阪堺線は今も走っていて、車両もひょっとしたら現役かもしれません。
 両側はすっかり変わってしまいました。



 写真はAIカラー化してみましたが、こちらがオリジナルのモノクロ写真です。


大阪市立集英小学校

2023年08月20日 | 大阪の近代建築


 1927年に建てられた、集英小学校。宗兵蔵設計。
 撮影時には本校舎はすでに解体されていましたが、門と行燈?のような飾りは、まだ残っていました。
 これはどこかに保存されているのでしょうか。



 門を入ると、鷹が羽根を広げている噴水がありました。
 現在は建て替えられていて、一部の装飾は塀などにはめ込まれて保存されています。

大阪マルビル

2023年06月10日 | 大阪の近代建築


 1976年竣工の大阪マルビル。建て替えが決まって、25年の万博時には敷地がバスターミナルになるとのこと。
 竣工時にオーナーの吉本さんが、テレビに、どケチ教の教祖と名乗って出ていました。土地は相続で得たものとか。

 マルビルはビルの形状から来ているのが由来らしい。でも東京の丸ビルに対抗してると思いますね。(知らんけど)



 円筒形でビルの維持費も嵩んだらしい。(その辺りは建設時に精査しなかったのか疑問ではあります。)
 新ビルは2030年です。

芝川ビル 問題の写真

2022年04月05日 | 大阪の近代建築


 写真は芝川ビル。昭和2年建築で今も現役で色々なお店もあって、楽しい建物です。
 その左に少し写っているのが、秀光社(旧芝川邸洋館)で、煉瓦造りの明治建築でした。
 が、何と云うことか写してない。。道路を入れるならもう少し左に振っておけ、と昔の自分に言ってやりたいです。フィルム時代だったからかな。今はスマホかデジカメなので、何でも写しておくことが出来るようになりました。便利になったものです。

大中証券、浪花教会、秀光社

2022年04月03日 | 大阪の近代建築


 3棟写真。。手前はサイディングされているのか。



 これが多分私の撮影した一番古い写真だと思います。奥に茶色っぽい建物が見えます。先の写真は2001年なので、その後サイディングされて、解体、駐車場の流れでしょうか。
 しかし、目的の建物しか眼中になかった時があって、後になってもっと左とか右とかにカメラを振っておけば良かったと思うことがあります。

 次回、それを紹介します。

中央公会堂の定礎

2022年02月25日 | 大阪の近代建築


 見学会の説明であった中央公会堂の定礎石設置に、渋沢栄一がやって来た際の写真です。
 副館長の説明で、辰野金吾が写っています、とのことでした。

 右から3人目?の方かな。
 写真は公会堂の資料室にあります。



 こちらが現状です。スロープの後ろにありました。

第一勧業銀行高麗橋支店

2022年02月13日 | 大阪の近代建築


 大大阪の言い方が一般化してきたのは、1925年に大阪が13区になったころらしい。
 高麗橋支店は1926年築。西村好時が設計。今は正面玄関に建つ2本の列柱の一部が保存されている。袴建築でも残っていたらと思いますね。

久金属工業

2020年10月18日 | 大阪の近代建築


 久金属工場さんの見学会が、近代化遺産全国一斉公開の一環であって行って来ました。
 昭和9年、昭和12年建築の工場建物群が残されていました。

 ウイスキーなどのガラス瓶のキャップなどを製造する会社で、戦前には薬きょうも作られていたそうです。
 建物もモダンなデザインです。



 おととしの台風で被害を受けて、倉庫・工場などの補修がされていました。
 写真は台風後に行った際に撮影したものです。中央の工場建物は被害が大きく解体されていました。

 敷地内の旧社洋室や防空壕。守衛室など興味深い建物があります。備品も天井扇などが残されていました。

西ニ看板 四ツ橋の電気科学館

2020年04月21日 | 大阪の近代建築


 もう解体工事が進行中だった、大阪市立電気科学館の案内看板です。1990年の5月31日の閉館。
 大阪近辺に住んでいらっしゃる方なら、何度か行かれていると思います。
 


 四ツ橋駅にあったプラネタリウムのタイル画です。ポスターがちょっと残念です。同時期に改装工事があって撤去されてしまいました。