所蔵の「山陰線写真帖」より余部鉄橋です。
本では福知山から出雲今市間が紹介されていますので、1922年(大正11年)よりも後に発行されたものと思います。山陰線と呼称されたのもその頃のようです。
写真には、解体された足場用の材木があり、橋上には線路敷設用の資材運搬車が写っています。今の駅とは反対側から撮影されたものと推察されます。
当時で三十二萬八千円の費用がかけられたとありました。(そばは三銭の頃です。)
本では福知山から出雲今市間が紹介されていますので、1922年(大正11年)よりも後に発行されたものと思います。山陰線と呼称されたのもその頃のようです。
写真には、解体された足場用の材木があり、橋上には線路敷設用の資材運搬車が写っています。今の駅とは反対側から撮影されたものと推察されます。
当時で三十二萬八千円の費用がかけられたとありました。(そばは三銭の頃です。)