資本主義の中で生きるということ(岩井克人 筑摩書房)
経済学者である著者の2000年代からのエッセイ(学術的な内容のものも多い)を集めた短文集。
(本書によると)著者の主な研究テーマは3つあって、貨幣論、法人論、信任関係論。
「貨幣とは誰もが貨幣であると予想しているから貨幣である」→貨幣の「価値」とはこの人間の「主観」とは独立に「客観的」に実在している(そうでないと誰も受け取らない)→客観性をもつ「科学」の対象として研究できる。
貨幣とは社会の中で交換を媒介し続けることによって価値が維持されるが、他方で貨幣はその媒介機能によって人間社会を支えている。
資本主義は貨幣を基礎として成立し、その差異(収入マイナス費用)の追求を行動原理といsている単純で(理解しやすいゆえに)普遍的なシステムである。
普遍的な資本主義社会の中で、法人はモノでありながらヒトでもあるという多元的な構造をもっている。会社の株主は会社資産の所有者ではない(スーパーの会社の株主だからといって売り場から商品を持っていったら犯罪だ、という例えがわかりやすかった)。株主は会社をモノとして所有しているが、一方で会社はヒト(法人)として会社資産を所有し、契約の主体となり、裁判の当事者となっている。
会社の唯一の目的は株主の利益であるとする株主主権論は法人化されていない個人企業と法人企業である会社を混同している。
会社と経営者の間にあるのが信任関係。信任は信頼によって任される関係で非対称的であり、契約関係とは対立する概念である。信任関係は「忠実義務」によって維持されており、経営者は自己利益を最小限にして会社の利益に忠実であることが求められる。
アメリカで経済的格差を広げた要因は(資本所得でも企業家所得でもなく)賃金所得である。経営者が報酬として株式を付与される制度の導入によるもので忠実義務からはほど遠い。
米英法において信任法が、忠実義務を外形基準化する方法として「利益相反」と「不当利益」の禁止への置き換えを行っており、これにより法定における証拠認定手続きの原則を「想定無罪」から「想定有罪」へ転換させており、信任受託者は自らの行動が忠実義務違反でないことを「十分な明確性」を持って否定できなければ有罪となってしまう・・・という解説が興味深かった(日本国の法理にはないそうだが)。
経済学者である著者の2000年代からのエッセイ(学術的な内容のものも多い)を集めた短文集。
(本書によると)著者の主な研究テーマは3つあって、貨幣論、法人論、信任関係論。
「貨幣とは誰もが貨幣であると予想しているから貨幣である」→貨幣の「価値」とはこの人間の「主観」とは独立に「客観的」に実在している(そうでないと誰も受け取らない)→客観性をもつ「科学」の対象として研究できる。
貨幣とは社会の中で交換を媒介し続けることによって価値が維持されるが、他方で貨幣はその媒介機能によって人間社会を支えている。
資本主義は貨幣を基礎として成立し、その差異(収入マイナス費用)の追求を行動原理といsている単純で(理解しやすいゆえに)普遍的なシステムである。
普遍的な資本主義社会の中で、法人はモノでありながらヒトでもあるという多元的な構造をもっている。会社の株主は会社資産の所有者ではない(スーパーの会社の株主だからといって売り場から商品を持っていったら犯罪だ、という例えがわかりやすかった)。株主は会社をモノとして所有しているが、一方で会社はヒト(法人)として会社資産を所有し、契約の主体となり、裁判の当事者となっている。
会社の唯一の目的は株主の利益であるとする株主主権論は法人化されていない個人企業と法人企業である会社を混同している。
会社と経営者の間にあるのが信任関係。信任は信頼によって任される関係で非対称的であり、契約関係とは対立する概念である。信任関係は「忠実義務」によって維持されており、経営者は自己利益を最小限にして会社の利益に忠実であることが求められる。
アメリカで経済的格差を広げた要因は(資本所得でも企業家所得でもなく)賃金所得である。経営者が報酬として株式を付与される制度の導入によるもので忠実義務からはほど遠い。
米英法において信任法が、忠実義務を外形基準化する方法として「利益相反」と「不当利益」の禁止への置き換えを行っており、これにより法定における証拠認定手続きの原則を「想定無罪」から「想定有罪」へ転換させており、信任受託者は自らの行動が忠実義務違反でないことを「十分な明確性」を持って否定できなければ有罪となってしまう・・・という解説が興味深かった(日本国の法理にはないそうだが)。
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