蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

補給戦

2020年07月12日 | 本の感想
補給戦(マーチン・ファン・クレフェルト 中公文庫)

16世紀から第二次世界大戦にかけての有名な遠征における兵站の難しさを解説した評論。

高校で世界史を習った時、グスタフ・アドルフは、本国(スウェーデン)から遠く離れた地で、どうしてあんなに長期間遠征できて、かつ激しく機動できたのだろう、と不思議に思ったのだけど、授業ではそんなことを解説するわけもなく、忘れ去っていたのだが、本書の説明には納得できた。

当時は補給拠点(本国とか)からの兵站という概念はないに等しくて、補給=略奪だったので、略奪するために同じ地点に留まることは難しく、戦略的目的ではなくて、ひたすら物資や食糧を求めて移動せざるを得なかったらしい。逆に移動しているうちは軍隊は飢えず、攻城戦とかで一か所に留まってしまうととたんに補給?に窮したという。

第二次世界大戦の佳境に入るころまで、軍隊輸送の主力は馬匹で、兵站=かいばの確保だったというのも、なるほど、と思えた。石油や石炭は略奪(現地調達)が難しいが、かいばは可能で、これも軍隊が移動せざる得ない有力な(というより最も強い)理由だったという。

ナポレオン時代も事情は似たようなもので、著者によるとナポレオン戦争の中でも最も周到に兵站計画がたてられたのはロシア遠征だったらしい。著者の評価では軍勢の約1/3がモスクワに到達したのは上出来だったらしい。

著者が最も辛口に評するのは(世間的には非常に評価が高い)モルトケの鉄道による兵站計画。ただ、ちょっと厳しすぎて、軍事の理論家としての嫉妬みたいなものすら感じられるほ辛辣なものであるように感じられた。

ロンメルの暴走ぶりもあらためて認識させられた。もっとも彼がトリポリやベンガジあたりを確保し続けたとしても戦争全体に何等かの影響を与えられたとも思えず、イチかバチかアレキサンドリアを目指すことでしか歴史(戦争の大勢)にインパクトを与えられない、という判断もまた正しかったようにも(素人目にはやっぱり)思えてならないのだった。

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