「大正も今は昔のコブシ哉」

2009年03月27日 | ふるさとの話

                           (出石町・小坂地区、森井山はコブシが満開)

「出石ふれあいセンターです。蛍光管を3箱持ってきて下さい」と、事務員さんから電話です。
予算の都合でしょうか、3月末になりますと市立の学校や事業所からの蛍光管の注文が入ります。
『3月もあと数日、伝票も添えてすぐにお持ちいたします』と、電話を切って駆けつけます。
出石ふれあいセンターは、旧出石藩の城下町の中心にあり、センターの駐車場からは真正面に見える高い山、その頂上には山名氏が築いた有子山城の城跡、
本日は冷たい雨が降り続き、頂上は霞か雲かに遮られ、城址もとぎれとぎれに見え隠れしています。
有子山の中腹には、白鷺が群れているような白い模様、コブシの花が満開です。
近くには由緒ある弘道小学校があります。

明治37年、岡山生れの木山捷平(きやましょうへい)は、姫路師範から初任地、弘道尋常高等小学校の若き教師、
その後作家の道に進み、処女小説『出石』では、
「戸数は千軒にも足りない小さな町だ。昔、山名慶五郎氏が城を築いて以来、明治初年に至るまで相当殷賑を極めたそうだが……」と、書き出しています。
木山捷平が大成し、40年後に弘道小学校を再訪した時詠んだ詩が、
「大正も今は昔のコブシ哉」です。
きっと出石ふれあいセンターのある鉄砲町のあたりから眺めた、3月下旬の有子山のコブシだったのでしょう。

帰り道、出石川に架かる小坂橋を渡ります。
真正面に見える山が小坂地区の森井山です。森井地区を中心に周囲2~3kmの山肌にはみごとなコブシの群生、それが冷たい雨にもめげず満開です。
地区の人々が近年植栽して、「こぶしの里」としてうり出し、但馬では最も有名なコブシの里なのです。
まるで千昌夫が唄う、「北国の春」の一節、『コブシ咲く、あの丘、北国の、ああ、北国の春~~』の情景そのまま、北国・出石の今日の春です。