落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第28話

2013-04-04 10:09:04 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第28話
「お揃いのジョギングウエア」




 英治に付き添い病室で徹夜をした響が、すっかりとしおれ切った顔で戻ってきました。
「ただいま」と言うやいなや、ペタリと玄関に座りこんでしまいます。
「ご苦労さん。疲れたろう、そんな処で休まないで、すこし2階で寝たらどうだ」
茶の間から俊彦がそう声をかけると、響が寂しく笑いながら答えます。


 「さっき、お母さんからメールが戻ってきました。
 覚悟はしていましたが・・・・やはり、こっぴどく叱られてしまいました。
 人様に怪我をさせるなんて、あなたは何を勘違いして生きているのと、
 朝いちから、徹底的に怒られました。
 これから、英治のお見舞いのために、桐生まで飛んでくるそうです。
 顔を合わせたら、メールでは書き足りなかった分まで含めて、
 さらにたっぷりと、口頭で叱られてしまいそうです。
 私の身から出た錆びとはいえ、実に、憂鬱です・・・・」

 「お母さんは怒ると、そんに怖いの?」


 「いいえ。母はめったに怒りません。
 でも、今回だけは今までとは、まったく事情が異なるとカンカンに怒っています。
 だいいち、俊彦さんの処に甘えて、居候をして迷惑をかけているくせに、
 さらに貴方自身の不注意から喧嘩の原因を作るなんて、貴方は、まったくもって
 不謹慎すぎますと、朝から烈火のごとく怒っています。
 どうしましょう。連れ戻されるような事になってしまったら・・・・」


 「なるほどね・・・・
 お母さんが怒るのも無理は無い。
 英治君をまきこんで怪我をさせてしまった事実は、もう取り返しはつかないことだ。
 だが大切なことは、相手を想いやる気持ちを最優先すべきなのに、
 その配慮が、君の場合、少し希薄になっていたようだ。
 感謝の気持ちや、相手をいたわる気持ちを、ちゃんと伝えていなかった響の姿勢が、
 お母さんに見透かされて、見破られてしまったようだ。
 あの喧嘩騒ぎではひとつ間違えば、君が大怪我をしたんだからね」



 「そういえばそうですね。その通りです・・・・
 そういえば英治にちゃんと謝罪もしてもいないし、お礼も言ってないわ。
 そうか。やっぱり私の配慮が足りなすぎるから、
 それでお母さんが、怒っているだ」


 「君は察しが良い。
 そうやって、たくさんの失敗を経験をしながら、人は成長する。
 きっと君への教育の良い機会だと思って、お母さんが必死になって飛んでくるんだろう。
 怖いけど、いいお母さんじゃないか。君のお母さんは」


 「あっ、言っている傍からもう、やってきた!
 間違いなく、あれは私の『じゃじゃ馬」』号のエンジン音だ。
 速いわね~、いったい何時に湯西川を出てきたんだろう。
 まずいなぁ・・・・私ったら、まだ、
 心の準備が、何ひとつできていないというのに」


 俊彦が、窓から表を覗いています。
たしかに響が言うように、見覚えのある真っ赤なミニクーパーが、
アパートの駐車場へその姿を見せました。
響が、うろたえながら玄関で、そわそわと立ち上がります。



 「早く2階へ上がって寝てしまえ。
 俺がうまく切り抜けておくから、心配しないで言うとおりにしろ。
 できれば今は、お母さんの顔は見たくないんだろう?お前さんとしては」


 響が言われた通りに、あわてて階段を駆け上がります。
その後ろ姿を、苦笑したまま俊彦が見上げています。
バタバタと2階の部屋で足音が何度か響いた後、ドスンと最後に大きな物音がして、
どうやら響が、無事に布団にもぐりこんだような気配がしました。
(やれやら・・・)サンダルを突っかけた俊彦が、何食わぬ顔で表へ出ます。
ちょうど清子がミニクーパーを降りて、荷物を片手に
歩きだそうとしている矢先です。


 「あら嬉しい。あなたが、わざわざ出迎えに来てくださるなんて。
 でも、良くわかったわね、私が此処へ来ることが。」


 「朝早くから御苦労さま。聞いたよ、響から」

 「あら、そう。ふ~ん。
 もう、桐生の下町の道なんか、すっかり忘れたかと思って
 来るまでは心配をしたけど、案外、昔のままなのね。
 たしかに桐生は古いい町のままだわね。
 ここの露地さえ何一つ変わらないままだし、すっかり昔のままだもの。
 あの頃から、本当になにひとつ変わっていないわねぇ、ここは。」


 「この一帯は、この夏には、伝統的建築群の保存地区として
 国から認定を受ける予定になっている。
 昭和初めからの古い建物が、全体戸数の半数以上も残ったままだ。
 俺たちよりもはるかに年寄りの町だぜ、桐生の町は。
 でも、それにしても、ずいぶんと飛ばしてきたみたいだねぇ。
 響は、さっき帰ってきたが、徹夜の看病疲れで今頃は高いびきだろう。
 君が来ると言ってはいたが、どうする?
 起こしてこようか」


 「あら、そうなの・・・・
 じゃ、可哀そうだから、そのまま寝かせておいて。
 でも、階下であなたと話し込んだりしたら、、
 あの娘も落ち着かないだろうし、安心して眠ることができないか・・・・
 ちょっぴり、叱りすぎちゃったから、
 あの子も今頃は反省をしているだろうし、まぁそれで良しとするか。
 かと言って、今の時間では病院へ行くのには早すぎる。
 あらまぁ、私ったら・・・・あっというまに
 することが無くなって、手持無沙汰になっちゃった」


 確かに、時間はまだ朝の8時を回ったばかりです。
先ほどまで露地を賑やかに通り過ぎていった、子供たちの黄色い歓声は、
いまは校庭でひとつにまとまり、間もなく聞こえてくるはずの始業の
チャイムなどを待っています。
俊彦が助け船を出しました。



 「だいぶ朝も暖かくなってきたし、春の花たちもずいぶんと咲きはじめた。
 そのあたりから公園まで、二人で散策でもするか。
 哲学の小路辺りまでいけば、君の大好きなスイセンが咲いているかもしれない。
 どうする?」

 「そうね、それも悪くない。じゃあ、ちょっと着替えさせて」


 清子が、ミニクーパーの後部座席から大きな紙袋を取り出しています。
「あなたは覗かないでね。もう見た目に応えられるほどの身体の線ではありませんから」
そう笑いながら、清子が玄関に隠れて着替えを始めます。


 ものの数分もしないうちに、薄いピンク色の上下のランニングウエアに
同じ色のランニングシューズという清子が、首に青いタオルを巻いて現れました。
大きめのウエアのせいもありますが、確かに腰のあたりを中心にして
清子の身体全体が、ふくよかな風に見えてしまいます。


 「へぇ・・・見るからに本格的なジョギング女子だ。
 たしかにそう言われると、少しだけふくよかになったようだね」

 「少しどころか、大ピンチです。
 あっというまに脂肪が増えて、お腹回りなんかもう危機的状態そのものだわ。
 もう昔のようにはいかないけれど、あまりぽっちゃりしすぎると
 着るものが無くなるために、とても不経済になるのよ」


 「昔は着物のラインを整えるために、よくタオルなどを入れていたけど
 今はもう、その必要もなくなったと言う訳かい。
 うん・・・・見るからに、確かに大変な状態のようだ」

 「よく言うわ。あなたのお腹だって人のことなど言えないくせに。
 ずいぶんと、大きさが目立ってきたわ。
 昔はウエストは78センチだったはずなのに、今ではまるで
 見るからの、『タヌキ』そのものだわ」


 「やれやれ、中年にさしかかると、会話にも色気がなくなる。
 ん、なんだ、それ・・・・」

 
 清子が大きな紙袋を、俊彦の目の前に突き出しました。
袋の中には男物と思われる、上下のジョギングウエアと運動靴が入っています。


 「お揃いのピンクにしようと思ったけれど、それもこの歳になると、さすがにね。
 だから、あなたの分は、薄いブルーにしました。
 靴は25・5センチで、ウエアは万一も考えてLサイズです。
 ほらぁ、笑っていないで着替えてよ。
 走れとはいいませんが、これで少し歩きましょう。
 いいでしょう。同じメーカーの同一仕様の、お揃いのランニングウエアです。
 これならどこからどう見ても、長年連れ添った、
 中年のジョギングカップルよね。うっふふ」
 
 



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