落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第45話 

2013-04-21 10:22:05 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第45話 
「ヒューマンエラー」




 浩子さんは、自分の掌の中でキラキラと輝いているさくら貝を
目を細め、懐かしく見つめています。


 「人は、時々、思いもかけずに間違いを犯します。
 間違いたくはありませんが、結果とてして間違うこともあります。
 でも私の場合は、今思えばあの場合の決断は、やはり誤りでした。
 こうして、あの少女がくれたこのさくら貝を見るたびに、やはりそんな風に、
 少しほろ苦い想いでそのことを思いだします」


 「そうは思えません。私には美談として聞こえました。
 でもやはり、被災地の医療の現場では、それでは駄目なのですか」


 「他に重大事態の患者さんがいなかったために、
 結果的に、ただ深刻な混乱状態に至らずに済んだだけの話です。
 結果が、単に幸運だっただけのようです。
 私は看護師としての資質をあげるために、もっと努力をしなければなりません。
 しかしそう思った矢先に残念ながら、私は体調を崩してしまいました・・・・
 私も、被災地同様、ここからまた再出発をする予定です。
 ところでお嬢さん、いえ、響さん。
 ヒューマンエラーと言う言葉は、ご存知ですか」


 「人為的ミスや、人が犯しやすい失敗と言う意味だと記憶をしています。
 確か・・・・『意図しない結果を生じる、人間の行為」と規定されていたと思います。
 設備や機械の操作、乗り物の操縦などにおいて、
 事故や災害などの不本意な結果が生まれた時などに、よくつかわています。
 言い方を変えて、『人災』と呼ぶ場合などもあります。
 安全工学や人間工学においては、事故原因となる作業員や操縦者の
 故意や過失などのことを指す・・・・と記憶をしています」


 浩子さんが、響を見てまたほほ笑んでいます。
手のひらからもうひとつのさくら貝をつまむと、それをそっと響の手のひらへ置きます。



 「正解です。聡明ですね、やはり、あなたは。
 私のとってしまったあの行動も、やはりただの単純な「人為的ミス」のようです。
 でも私は、再び医療の世界へ戻り、またあのような現場に立ち会った時に、
 わたしはまた、あの時と同じ過ちを繰り返すかもしれません・・・・
 人が人として生きるために、過酷な状況下での被災地では、すべての人たちの人間性が
 むき出しにされてしまいます。
 弱い者たちが、必死に肩を寄せ合って、生きるために励まし合うのです。
 少なくとも震災直後はそうでした。
 しかし、その後の対応ぶりに、この国には重大なヒューマンミスが
 存在していることを身体で実感しました。
 そして重大なことにそのヒューマンミスは、一年たったいまでも、
 被災地に重大な暗い影を落としています。
 昨日と今日、被災地の様子を見つめてきたあなたには、
 そのヒューマンミスの姿が見えますか?」


 「大規模な、ヒューマンミスですか・・・・
 どういう意味でしょう。
 たいへん興味のあるお話のようですが、私には、まったく見当がつきません」


 「福島県の人々は、福島第一原発による放射能汚染のために、
 多くの人たちが、いまだに住み慣れた我が家を追われたままです。
 政府や東電のあいまいな表現や、小出しの情報に翻弄されて、
 わずかな期間と思われていた避難の生活は、いまだに帰宅のめども立たず、
 相変わらずの仮の暮らしが続いています。
 炉心の溶解によって各地に飛散をしてしまった放射能の影響も、
 きわめて深刻なままの状態で、有効な手だてなども講じられていません。
 福島に限らずそれはまた、宮城や岩手にも同じ事がいえるようです。
 海沿いの我が家を失った人たちは、いまだに高所への移転が始まりません。
 あれから一年が経つと言うのに、国が責任を持って
 被災地の再生計画など整備しないために、東北は未だに立ち往生をしたままです。
 放射能を含んだ大量のがれきも、いまだに放置をされています。
 一年間で処理できたのは、わずかに全体の5%にすぎません。
 発生の直後には、あれほど『絆』の文字を掲げて支援をしてくれた日本中の皆さんも、
 がれきだけは駄目だとばかりに、がれき処理の受け入れに、
 市民団体などが圧力をかけて阻止をして居るという始末です。
 まるで行政や政府が、『支援をあてにしないで、自力で復興をしろ』と、
 言い捨てているような事態ばかりが続いています。
 日本における、政治の遅れは深刻です。
 経済は世界に誇れる先進国でも、政治と政治家に限っては
 日本は後進国そのものといえるようです。
 事実、すべてを含めて東北の被災地には、対処が遅れてたままの政府や
 行政による『ヒューマンエラー』が、随所に蔓延をしています。
 地震と津波は、文字通り『天災』です。
 しかし、それ以降の原子力発電所の炉心溶解や、放射能の飛散は
 あきらかに、歴代の政府が押す進めてきた無謀による末路です。
 これはもう誰が見ても、『人災』と呼べるものだと思います。
 一向に進まない復興地政策や、がれき処理の停滞なども
 おなじように、政府が手をこまねいているための『人災』です。
 政府や政治家たちは、今回の震災に関する限り、
 すべてにおいて中途半端で、行動や施策が遅きに過ぎました。
 あらぁ、まあぁ私ったら・・・・思わず力が入ってしまい
 被災地の一住民としては、あまりにも不謹慎で
 あまりにも過激すぎる発言などを、ついしてしまいました。・・・・
 でもね、これが被災者たちの、偽りのない今の本音だと思います」



 響の胸を、激しい衝撃が走りぬけます。
英治と共に、被災地に足を踏み入れた瞬間から感じていた、得体の知れないもどかしさが、
ようやく響の中でそのベールを脱ぎ始めました。
本質へなかなか迫りきれずにいた、響の中のわだかまりの正体が
浩子さんの話を聞いているうちに、ついにその姿を見せはじめました。


 被災地への同調とは全く異なる感情です。
それが何処から産まれてくるのか自覚は出来ないものの、
怒りにちかい哀しみの気持ちが、響の中で渦を巻きはじめました。


 『違う。哀しみじゃない、これは怒りだ。
 憤りとも言えるほどの、きわめて激しい、わたしの内部に有る強い怒りの気持ちだ。』



 私が見つめてきた被災地は、あの日のままだ・・・・
がれきや崩壊をした家々は、跡形もなく片付けられているが、人々が
いつもの、いままでの日常を、しっかちと取り戻したわけじゃない・・・・

『おざなりすぎた原発政策のあり方や、いっこうに復興政策に本腰を上げない
政府にたいしての、激しい怒りが、やっぱり私の中にも
どこかでしっかりと、棲みついていたんだ!』
響が自分の心の中に棲みついていた、得体の知れなかった感情の正体を
ついに初めて、自らの手で掴み取ります。


 (憤(いきどお)りだ。
 東日本をこんなにしてしまった人たちへの、心の底からの怒りの気持ちだ。
 地震や津波ならば自然からの脅威として、人々は心のどこかであきらめをつける。
 だが・・・・あれほどまでに安全性を吹聴をして、
 国民を欺いて稼働を続けてきた原子力発電所は、あの大地震のせいで、
 あっさりと、あまりにも危険な核の脅威の実態を、ついに如実に露呈をさせた。
 原発がいかに危険なものであるのかと言う事実が、ついに明らかになった。
 平和利用と言う美辞麗句などでは誤魔化せず、やはり原子力は
 人間の力では、制御できないと言う事実が証明された。
 アメリカのマンスリー島での原発事故、
 ロシアにおけるチェルノブイリ原子力発電所の事故、等々、
 そして、ここ福島においての炉心溶解の事実・・・・
 この3度における原子炉の危機は、人類がもたらした3度にわたる『ヒューマンミス』だ。
 原子力が、きわめて危険極まりのない代物であることを、
 あらためて、ものの見事に照明をした。
 私はそのことにずっと以前から気がついていたくせに、あえて無視をしたまま、
 あの原発騒ぎの福島を、ただ黙したまま通り過ぎて来てしまった。
 東日本大震災と原発の崩壊は、まったく別次元の、
 まったく別の問題なんだ。
 そのことに早く気がつけと、私の心が、いつも私に催促を促していた・・・・
 それをこの人が、この浩子さんが、
 あらためて正面から、私に突きつけてくれんだわ。)



 「ほら・・・・響ちゃん。金髪君が手を振ってる。
 こちらに来いと呼んでいるみたいです。
 あらまあ・・・・お嬢ちゃん、どうしたの。
 随分とまた怖い顔をしていますが、なにかお気に障りましたか?」



 『はっ』と気がついて、響が我に戻ります。
激しく脈打つ胸の高鳴りを抑えながら、眼差しをあげます。
確信をようやく見つけた響の凛とした眼差しが、浩子さんを正面から見つめます。
『おや?・・・・』と、軽い驚きを見せながらも浩子さんは、やんわりと
響のその眼差しを受け止めてくれました。

 「あら、お嬢ちゃん。
 見違えるほど、綺麗で、とても素敵なお顔つきなどになりました。
 何かが見つかったようですねぇ、その様子では・・・・
 解けきれなかった宿題が、もの見事に突然解けた時のような、
 そんなお顔をしています。
 やっぱり、このさくら貝には『奇跡』をもたらす不思議な力が
 あったようですね・・・・ねぇ?」


 「はい。
 これから自分がなにをすべきかを、たった今、私は見つけました。
 私は、ここで浩子さんと、このさくら貝と出会えたことに心の底から、感謝をしています。
 神からの「啓示」がたった今、私に聞こえました」


 「それは良かったですねぇ。
 でもあちらにはそれ以上に・・・・
 神からのの『ご加護』があったようです。
 お隣に現れた人は、あれがやはり、金髪君が探していた伯父さんのようですね。
 よかったですねぇ。心配をしていたのですが、
 あの姿を見る限り、思いのほか健康で元気な様子です。
 ほら、呼んでいますよ、二人して。
 あんなに嬉しそうに手などを振っております。
 やっぱりいいですねぇ、こういう光景が見られるのは。
 長い間、哀しいことばかりを見つめてきましたので、
 嬉しい事や、元気な姿を見せてもらうだけで、こちらも元気になれます。
 私のほうこそ、価値ある再会を見せてもらって、もう嬉しくたまりません。
 お節介をした甲斐と言うものがありました。
 さくら貝、お節介、再会、甲斐があった・・・・
 あらまぁ、今日は見事に「かい』づくしになってしまいました!
 まだ何か、良いことが他にも有るかしら」



 そう言うなり、一番嬉しそうな浩子さんが、
早くも身体を弾ませて、金髪くんと伯父さんのもとへ駆けだして行ってしまいます。
響も、あわててその後を追って走りだしました。




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