落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第47話

2013-04-23 10:10:46 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第47話
「ベクレル(becquerel)の表示」




 響が乗車をした東北新幹線は、
13時13分、仙台駅始発の上り「やまびこ」216号です。
福島へは13時36分に着き、両毛線に乗り換えるための栃木県小山駅への到着は
15時ちょうどの予定になっています。


 「ほぅら、ごらんなさい。
 やっぱり栃木県は北関東のど田舎です。
 最速の『はやて』が停まらないのは、田舎の駅の証です。
 ほほほ・・・・ごめんなさいね、響ちゃん。
 でもねぇ、ここでお別れかと思うとやっぱり私も寂しいわ。
 ねぇ、きっとまた松島へ絶対に遊びに来て頂戴。
 せっかく知り合えたのに、あなたはさっさと帰っちゃうし、
 金髪君と伯父さんも、そのうちに秋田へ帰ってしまうんだもの、
 残された私が、あっというまに寂しくなっちゃうわ。
 帰り道、気をつけて帰ってね。
 いやだわぁ、そんなことばかりを言っているうちに、
 もう、涙が出てきちゃった・・・・」

 
 にぎやかな浩子さんに、最後まで笑わされ、
金髪の英治と伯父さんに別れを告げて、響が帰りの旅路につきます。
(もう少しだけ私に『ときめき』があれば、英治とは恋に落ちたかもしれない・・)
土産代りにもらった英治のノートパソコンを手で触れながら、
響がそんなことをつぶやいています。



(醒めた目で男を見るのは、私が歳をとってしまったせいかしら。
それとも、男に魅力が足りなかったせいなのかしら・・・いずれにしても
最近の私は、恋にまったく縁がないままの、今日この頃だわねぇ・・・・)
などと、あらためて金髪の英治を思い出しながら、響が、少しばかり
自虐的に笑っています。


 20分ほどで到着をした福島駅では、発車の間際になると、
またあの懐かしい高校野球の応援歌『栄冠は君に輝く』の、すこぶる軽快な
発車メロディが聞こえてきました。
(そうか、まもなく春の選抜高校野球も始まる季節だ・・・・)
窓にもたれ、頬ひじをついてぼんやりとしていると、空いていた通路側の席へ、
大きな手提げバックをかかえこんだ、中年の女性が突然現れました。
息を切らしているところをみると、発車寸前にあわてて飛び込んできたのかもしれません。


 かるく会釈をして隣へ座った女性は、座った瞬間から早くも
バッグ中の手探りをはじめました。
やがて、赤いノートパソコンと黒ふちの眼鏡を、ひょいと取り出します。
(あら可愛い。ドクタースランプあられちゃんみたいな、愛嬌たっぷりの黒メガネだわ)
興味をひかれた響が、横目で女性の様子を観察します。


 歳の頃なら40歳そこそこに見え、化粧っ気などはまったくといっていいほどありません。
充分に理知的な雰囲気を漂わせていますが、それでいて黒メガネの似合う横顔を見ると
何とも言えない愛嬌があり、なぜか初対面でも親しみなどを感じさせる女性です。
女性がふたたびバックの中へ手を入れています。
今度は手ごたえ十分で、かなり厚い書類の束を取り出しました。
書類のページのあちこちを、いったりきたりしながら
忙しく何やら確認をし始めます。
やがて、自分の膝に置いたノートパソコンへ、人差し指一本のみを使っての、
データ―の打ち込みを始めました。


(あらま、見るからに初心者モードだわ・・・それもおばちゃんパターンそのものだ)



 見られているとは知らずにこのおばちゃんは、あちこちの書類の数字を確認しては
パソコンの画面をクリックし、ファイルのあちこちを転々と移動しています。
その操作にはいかにも初心者といった戸惑いぶりが、随所に見えています。
(あら、画面を並べて同時に使えるということを、知らないのかしら。
ずいぶんと効率の悪い操作を繰り返しているわねぇ、まったく・・・・よぅし!)


 「すみません。少しいいかしら?」


 精いっぱい、にこやかな笑顔をつくって響が中年女性へ声をかけます。
「はい?」と、女性も黒ブチメガネを押し上げて、少女のような可愛い顔を上げます。
響が、指でノートパソコンの画面を指し示します。


 「必要な画面をいっぺんに呼び出しておいて、一度に並べて置きながら
 それらを必要に応じて交互に操作をして、入力をするというやり方があります。
 窓をいっぺんに沢山開けると言う操作の意味が、ウィンドウズの語源です。
 パソコンはもともと、そういう操作を最も得意とする道具です。
 ごめんなさい。横から出しゃばったりして。
 でもいいかしら、
 すこしだけ、お節介をしても?」

 
 「あら、そう。へぇ~そうなんだ・・・・そんな便利な使い方もあるの。
 教えていただけるとたいへんに助かるわぁ~
 私、パソコンだけは大の苦手なんです・・・・見た通りで
 この通り、いつも四苦八苦をしています」


 響が身体を乗り出し、お互いの肩が触れ合うほど女性へ近寄ります。
女性も響が見やすいように、膝へ置いたパソコンをすこし斜めに傾けました。



 「それではまず最初に、必要なファイルを全部呼び出してください。
 呼び出した画面をひとつづつ、画面右上のマイナスのような記号を押してあげると
 縮小化されて、画面一番下のタスクバーへ収納されます。
 縮小化した画面を、必要なものから順に呼び出して画面上に重ねていきます。
 その状態からタスクバーの余白の部分で右クリックをすると
 『並べて配置する』という設定が出てきます。
 例えば、『横に並べる」をクリックすれば、このふたつが横に並びます。
 これの繰り返しで、いくつもの画面を同時に並べて操作をすることが出来るようになります。
 どうです。見やすいでしょう。これなら数値の入力も簡単になります」


 「あら本当だ。ねぇ、あなたはパソコンの先生?」


 「いいえ、これはウィンド―ズが持っている、もともとの機能です。
 窓をいくつも開けて、同時に操作をするという方法はこのほかにもありますが、
 とりあえずは、こんな風にして操作をしてみてください。
 それにしても、細かい数字の最後についているこの記号『 Bq 』は、
 たしか・・・・ベクレルを意味する記号ですよね]


 「放射能の量を表す単位のことで、SI組立単位の1つです。
 よくこれをご存知ですね、あなたは。
 1 秒間に1つの原子核が崩壊をして、放射線を放つ放射能の量が、1 Bqです。
 例えば、毎秒370個の原子核が崩壊をして、放射線を発している場合は、
 放射能の量を 370 Bqと呼びます。
 最近、水や食べ物に含まれる放射性物質の量のことを
 「ベクレル」というこの単位で、あらわすようになりました。
 もう一つよく耳にする「シーベルト」(Sv)は、
 生体への影響を表す量のことです。
 ちなみに、
 1ミリシーベルト(mSv)は1シーベルトの1000分の1
 1マイクロシーベルト(μSv)は1ミリシーベルトの1000分の1です。
 国際放射線防護委員会(ICRP)によれば、1年に1mSvの放射線を受けると、
 一生のうちにガンになる確率は、0.000073増えるといわれています。
 1年に1mSvの放射線を浴びた人が1万4000人いたとすると、
 1人はそれが理由でガンになるよいうわけです」



 「あら、ごめんなさい専門的な話で」と、女性がメガネを外します。
理性にあふれた黒い瞳が、そこに現れました。
あらためてにこやかな笑顔を、響へ向けます。


 「宇都宮市で会社員をしている川崎亜希子といいます。
 もっともそれは本社の話で、私はもっぱら那須の山奥で牛の管理などを担当しています。
 今日は福島県内での調査を終えて、これからその那須へ帰る途中です」


 「あら、ご近所です。
 私は塩原に近い、湯西川の出身です。
 正田 響と言います。ついこの間までは学生でしたが
 いまは訳ありで家出中の親不孝な娘です。
 被災地の石巻で人探しを終えて、おなじく私も家に帰る途中です」



 「自己紹介が、とてもはっきりしていて良いですね・・・・うふふふ。
 私は、放射線取扱主任者という資格を持っていますので
 大学連合チームによる福島県内での被ばくの調査に、協力をしています。
 牛の部位の体内被ばく量と、減衰の様子などを研究中です。
 空間線量の測定や警戒区域内での土や水、草の採取なども実施しています。
 こうして福島で集めたデータが、将来、栃木でも必要になるかもしれません。
 フィードバックして、産業振興などにも役立てたいと考えています」

 「素晴らしい活動だと思います。
 警戒区域内といいましたが、立ち入りは解除になったのですか?」


 「いいえ、一般人はまだ入ることはできません。
 私たちは学術調査と言うことで、特別に許可をされました。
 もともとは「動物保護」から始まった活動です。
 10年前から所属をしている日本動物福祉協会が、今回の震災と原発事故を受けて
 緊急救援本部の一翼を担ったことから、私も福島県へ足を運ぶようになりました。
 最初のうちは、置き去りとなったペットを飼い主に届けたり、
 衰弱した動物の保護などで奔走をしました。
 生き別れた愛猫との再会に、号泣をした飼い主さんたちも沢山いました。
 そうした一方で、餓死とみられる動物の死骸なども
 実に多く目の当たりにしました。
 『人間が安心して暮らせる環境を整えないと、動物の問題も解決しない』
 そう痛感したことが、現在の活動の始まりです」


 「原発のもたらした放射能の影響は、私でも
 きわめて深刻なものがあると、実感をしています。
 そうですか、一年が経つと言うのに、いまだ立ち入り禁止のままですか」


 「原発から20キロ圏内ぎりぎりにある、
 福島県広野町が、3月1日にいわき市に移していた役場の機能を
 1年ぶりに本来の庁舎へ戻したというニュースを聞きました。
 原発事故で役場の機能を移転した福島県内の9町村では、初の帰還になります。
 町は町民への避難指示を3月末に解除して帰町を促す予定もたてています。
 そこまでなら、今からでも行くことが出来るでしょう」


 「避難していた街の人たちは、戻ってくるのでしょうか?」


 「ご自分の目で、確かめられたらいかがです?
 ずいぶんと、そのことに興味が有りそうなお顔をしていらっしゃいます。
 家出中ならなおのこと、暇も時間も余っているでしょう。
 パソコンを教えていただいたお礼に、そこへの道のりなどを教えましょう。
 あなたなら、広野は、一見の価値があると思います。
 行って見ますか?」


 また、響の中で何かがぞくりと、動きはじめました。






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