落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第52話 

2013-04-28 10:24:34 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第52話 
「童謡の里・ひろの」




 「ここ広野は、童謡の町です。
 童謡の『とんぼのめがね』も唱歌の『汽車』も此処から生まれたと言われています。
 発者メロディとして流されているから、もうホームで聞いたと思うがね」

 「それでホームに、『汽車』の碑が建っていたのですね。
 待合室には、『とんぼのめがね』のパネルも飾ってありますし」

 「それだけじゃないよ。
 ここでは、平成6年から毎年「ひろの童謡まつり」というのを開催しているんだ。
 そこで生まれた24曲の新しい童謡を、CDに収録して発行をしている。
 広野にかぎらず、福島にはゆかりの唱歌や童謡がたくさんある。
 会津若松市にある鶴ヶ城内には、鶴ヶ城をモデルに作られたといわれている
 「荒城の月」の歌碑がある。
 山間の鏡石町には、岩瀬牧場が歌のモデルだといわれている
 「牧場(まきば)の朝」という歌碑がある。
 檜枝岐村のミニ尾瀬公園には、尾瀬をテーマに歌われている
 『夏の思い出』の碑が置いてある」


 「あら、それなら私、全部を知っています。
 子供の頃によく歌ったし、夏の思い出なんかは、
 尾瀬の木道を歩きながら、よくみんなで声をそろえて歌いました



 『もう一杯、どうだい』と、駅員さんが目を細めています。
『いただきます』と響がうなずくと、嬉しそうに茶碗をもって立ち上がりました。
お湯の入ったポットを取りに行くついでに、一冊のパンフレットを手にします。
『あとで列車の中で読むといい』と言いながら、それを響へ手渡してくれました。

 「とんぼのめがねを作詞した『額賀誠志』先生を紹介しているパンフレットです。
 先生は、昭和12年に当時無医村だったここ広野町(当時は村)に
 内科医院を開業しました。
 このころの先生は、児童文学の執筆活動を休んでいたそうですが
 終戦後(昭和21年ごろ)になってから、やむをえない気持ちから、
 ついに、活動を再開することになりました。
 パンフレットには、そのときの理由などについて、
 額賀氏が情熱的に話をした言葉が、そのまま掲載されています。



 『戦後日本の子どもたちは、楽しい夢をのせた歌を歌えなくなった。
 子どもが、卑俗な流行歌を歌うのは、あたかも、
 煙草の吸いがらを拾ってのむのと同じような、悲惨さを感じさせる。
 私が久しぶりに、童謡を作ろうと発心したのも、
 そうした実情が余りにも濁りきった流れの中に、置き忘れられている現状である。
 しかし、私は子どもたちを信じ、日本民族の飛躍と将来とを堅く信ずる。
 この子どもたちが、やがて大人になる頃には、おそらく世界は自然発生的に、
 その国境を撤廃し、全人類が一丸となって愛情と信頼と平和の中に、
 画期的な文明を現出する時代が来るであろう。
 その時に当って、若い日本民族が世界に大きな役割を果たすことを信じ、
 いささかなりとも今日子どもたちの胸に、愛情の灯をつけておきたいのである。』


 『とんぼのめがね』は、昭和23年の頃に、
 上浅見川の箒平地区へ先生が往診に行った際、
 子ども達がとんぼと遊んでいる情景をみて、作詩をしたと言われています。
 平井康三郎氏が曲をつけて、ラジオ放送によって爆発的に全国へ広まり
 代表作として残ることになりました。
 先生の作品はこの他にも多数存在するそうですが、残念ながら
 私は、それ以上は不勉強のために知りません」



 「とても、美しい話だと思います。
 童謡は、子供たちの心に、愛情の灯をつけるためにある・・・・
 未来を見つめる大人ならではの、本音と言うか、切なる気持ちだと思います。
 児童文学と言うものは、夢や希望や人としてのおおらかさを大切にするところにこそ、
 その本来の意味と価値が有ると、私も思います」

 
 「もうひとつの発車メロディとして使われている『「汽車」は、
 『鉄道唱歌」を作詞した愛媛県宇和島出身の国文学者、大和田健樹先生が
 東北地方を旅行されたおりに、JR常磐線のいわき市久之浜から
 広野町間の景観を唱われたものと、ここらあたりでは
 いまだに語り継がれています」


 一息入れた駅員が、上方の壁を指さしました。
そこには広野町の美しい景色をそのまま写し取った写真パネルが、
いくつも誇らしそうに並んでいます。
その写真を順に眺めて行くうちに、響がひとつのことに気がつきました。



 「原発や火力発電所などの建物が、一切写っていませんね。
 あれほど大きな建物を、あえて避けて写しているようにも見えますが」


 「やはり気がつきましたか、お嬢さん。
 全部、私の趣味による写真ばかりですが、ご指摘のように
 あえてアングルを変えて、そうした施設たちが写らないように工夫をしました。
 原発と火力発電所は、過疎の町にきわめて大きな恩恵をもたらしました。
 しかし、今回の震災や津波が来る前から、
 すでに大きな惨禍をもたらしてきたのです。
 お嬢さんは、原発や火力発電所がなぜ、海の近くに建てられるのかご存知ですか」

 「いいえ。
 例えば、核燃料や火力の原料などが、危険な陸路を使わずに
 海から搬送が出来るようなメリットなどは、考えられますが・・・
 そのこと以外は、ちょっと」


 「110万キロワット級の原子力発電所1基で使われる水の量は、
 原子炉圧力容器内だけでも、約400トンが必要になります。
 これだけの水が原子炉のまわりを、常にぐるぐると回り続けます。
 また、原子力発電所では、蒸気タービンによって発電機を駆動していますが、
 この蒸気タービンで使い終わった蒸気を、復水器(熱交換器)で水に戻すためには、
 1秒間に、78トンという実に大量の冷却水を必要とします。
 日本の場合は、ヨーロッパのように大きな河川や湖などがありません。
 冷却水として海の水を利用せざるをえないために、発電所の立地は、
 冷却水を豊富に利用できる、海に面した地域に限られているのです。
 そのほかにも、原子力発電所の建設地点を選ぶ際には、
 こうした『冷却水が十分確保できること』のほか、
 『地盤がしっかりしていること』や「『充分な広さの用地があること』
 などが、重要な条件になっています」



 「ええぇ!・・・・原発は、それほどに大量の水を必要とするのですか。
 初めて知りました」


 「炉心では、淡水化した海水を冷却用として大量に使っています。
 原子炉で発生した蒸気を水に戻す際にも、また冷却が必要になります。
 その冷却にも、海水を利用します。
 それらの一連の循環の事を、一般に復水器と呼んでいます。
 原発に限らず火力発電所もその腹水器の機能を確保するために
 例外なく、すべて海のそばへ建設をされます。
 問題は、これらに使われた大量の水が、その使用後には
 すべてが、海に排出されるという点です」


 「それでは、今回の事故で問題になる前から、
 海はすでに放射能によって、汚染されていたことになってしまいます・・・・」


 「そうした可能性は、誰にも否定できません。
 がしかし、今となってはそれらを確認する手段はもう残っていません。
 なにしろ、すべてが立ち入り禁止区域内での出来ごとなのですから・・・・
 今回の福島第一原発の事故のために、常磐線はこの広野町が
 南側の折り返し地点になってしまいました。
 残念ながら、ここより北は、立ち入り禁止区域に指定されているために、
 線路の被害状況さえ、いまだに確認することが出来ません」

 「もう、常磐線は、仙台まで繋がらないということですか・・・・」


 「この先の復旧に、どれほどの時間がかかるのかは、
 いまのところ、誰にも解りません。
 しかし・・・・復旧にどれだけの時間がかかったとしても、
 此処に生まれ、此処に生きてきた大人たちの責任として、子供たちの未来のためにも、
 広野は、完全に復活をする必要が有ると思います。
 広野の童謡は、子供たちの夢と未来の象徴です。
 きっと町は復活をして、また元気な子供たちの唄声が聞こえると思います。
 私が撮る写真にも、原発が写らなくなる日がきっと来ると信じています。
 そうなってくれることを、私は毎日願っています」


 「本当ですね・・・・その通りです。
 私も、そうなることを、こころから願いたいと思います」




・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/