落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第44話 

2013-04-20 10:35:30 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第44話 
「がれきの中の桜貝」




 松島湾に沿って、仙石線と並行して走る『奥松島パークライン』は、
野蒜(のびる)の駅を過ぎてから、鳴瀬川と吉田川のふたつの河口に向かって最接近をします。
この河口には、かつて大規模な港を作ろうとした古い遺跡が残されています。
『野蒜築港跡』と呼ばれるもので、その着工は明治11年までさかのぼります。
外港を作り、河口には市街地を造成をして、北上川と松島湾を運河で結ぶという計画で
実に当時としては壮大きわまる一大事業でした。
しかし明治17年に、松島湾を襲った台風によって一瞬のうちに崩壊をしてしまい、
この建設は頓挫をしてしまいます。
明治政府の本格的な国際貿易港として誕生するはずだったこの野蒜築港は、
その後の計画はすべて白紙となり、"幻の港"となってしまいます。


 「金髪のお兄ちゃん。
 その橋を渡ったら、すぐ山の方向へ曲がってくださいな。
 すこしだけ走るとその先で、三陸自動車道の鳴瀬奥松島ICが現れますから、
 そこが、伯父さんの居るはずの仮設住宅の目的地です。
 高速道路に隣接してつくられた奥松島ひびき工業団地という処で、
 仮設住宅はその敷地の一角に、大規模に建てられています。
 お兄ちゃん急ぎたい気持ちは解りますが、アクセルは『ひかえめ』でいきましょう。
 残りは、ほんのわずかです。
 あせらずに、安全運転でまいりましょうね」


 金髪の英治にそう声をかけた浩子さんが、後部座敷の窓ガラスを開けました。
上を見て・・・と言う風に、響にも合図を送ります。


 「この一帯も、高さが12mを越える大津波に襲われました。
 野蒜築港跡といい、今回の大震災と言い、
 野蒜(のびる)はわずかの間に、二度にわたる災害の通り道になってしまいました。
 お二人が、朝に乗ってきたバスとは、まったく逆の進路にあたりますので、
 この道はちょうど、津波の進行方向と同じということになります。
 私たちの居るこのはるか頭上を、あの日の津波が押し寄せてきたのです。
 そう言う意味から言えば、この道路は、はるかな波の底部分ということになります。
 自然の力には、まったくもって、測り知れないものがありますねぇ」

 窓を開けた浩子さんが感慨深そうに、はるかな頭上を見上げています。
やがて浩子さんの説明通りに、高台を横断していく三陸自動車道の堰堤が見えてきました。
(いよいよだわね・・・・英治。)響も、後部座席から思わず身体を乗り出します。



 「高速のすぐ脇へ、仮設住宅は作られました。
 このまま道なりに進んで、仮設住宅が見えた処で車は止めて下さい。
 200軒あまり有りますが、ここでは自治組織がしっかりと機能していますので、
 入口で聞けば、たぶん伯父さんの居場所は、すぐにわかると思います。
 ここから先は、金髪君。 あなたが一人でいきなさい


 前方に、一列に並ぶ仮設住宅の屋根群が見えてきたところで、
金髪の英治が、路肩へ車を止めました。
何か言おうとしている響を、浩子さんが目で止めています。
無言で運転席から降りた英治は、1度だけ二人に向かって手を振ってから、
仮設住宅へ向かってゆっくりとした足取りで歩きはじめました。


 「お嬢ちゃん。
 私は、あなたに意地悪をする意味で、引きとめたのではありません。
 探している伯父さんも、他人には聞かれたくない事情などが有るかもしれません。
 訪ねて行く金髪君にも、やはり似たような事情が有ると思います。
 ましてや数年ぶりの再会ともなれば、そのあたりの事情はもっと複雑だと思います。
 他人には、聞かせたくない話なども、きっと有るでしょう。
 ここは黙って二人で車で待ちましょう。
 うまくいけば、きっと二人でここへまた姿をあらわします。
 もしも駄目であっても、その時は、何も行かずにここから立ち去りましょう。
 そのあたりが、たぶん身内と他人の境界線でしょう。
 さて、お天気が良さそうなので、表の空気などをすってみましょうか」

 
 浩子さんが、ドアを大きく開けました。
エアコンが効きすぎていて、少しほてり気味だった車内へ涼しい風が吹き込んできます。
ひんやりとはしますが、寒いというほどの外気温でもありません。
響も降りると、空へ向かって浩子さんと同じような背伸びをしました。
振り返ると、車の屋根越しには、ニコニコと笑う浩子さんの顔が待っていました。


 「上手くいくといいですね。
 あなたも此処まで来たからには、どうぞ、伯父さんと金髪君の再会が
 いい結果になるように祈ってあげてください。
 私はさっきほどから、そのことばかりを心の底から願っています・・・・
 あっ、そうだ。
 私の話を沢山聞いてくれたお礼を、あなたにあげましょう。
 ちょっと待ってくださいな」



 浩子さんが、助手席に置いたバッグを手に取ります。
バッグの口を開けながら車を半周して、響のとなりへやってきました。
「手を出してちょうだいな」と、そこでまた、にっこりとほほ笑みます。
響が言われた通りに手のひらを拡げると、綺麗に輝く小さな貝殻がコロコロと並びました。
幅が2cm余りの、小さなピンク色をした二枚貝です。


 「さくら貝。私は、『瓦礫からの奇跡の贈り物』と呼んでいます」

 
 「綺麗な貝ですね、はじめて見ました。
 へぇ~、これが、さくら貝ですか。
 ネーミングから推察すると、これにはなにか深い訳がお有りのようですね」



 「はい。これにはたいへんな事情が籠っています。
 石巻日赤で私がもらった、唯一の勲章ともいえます。
 それほど大切なものです。
 これをくれたのは、10歳になったばかりの小学校4年の幼い少女です。
 良い意味と、悪い意味の両方において、私には決して忘れることのできない
 出来ごとのひとつなのです。
 いいえ・・・・あの非常事態が続いていた石巻日赤の医療では、
 許されない失敗例の一つだったと思います。
 それも自分が承知の上で、間違えてしまったという出来ごとです。
 医療に働くものとしては、犯してはならない、
 私の確信的な『ミス』でした」


 「それにしては、とても素敵すぎる記念品だと思います。
 それはいつ頃の、おはなしでしょうか」


 「津波から、3日後のことでした。
 津波に流されて屋根とがれきに挟まれたまま3日間も水につかっていた親子が
 かろうじて救出をされて、私たちの病院へ搬送をされてきました。
 患者は、私にさくら貝をくれた10歳の少女と、そのお母さんです。
 奇跡的に、がれきと屋根のあいだにはかすかな隙間が残されていたために、
 二人は辛うじて溺れずにはすんだそうです。
 極めて狭いその空間で、お母さんが支えとなって、
 少女を水から守り続けていたそうです。
 3日後に、なんとか救出に成功をしたというものの、この時点でお母さんはもう
 重度の低体温症の状態で、助かる見込みはもうまったくありませんでした。
 トリア―ジの担当だった私も、『もう、この人は助からない』と
 直感でそう思い込みました。
 でも、その女の子は・・・・真っ青な口びるをしたまま、
 掻き集めてきた毛布と一緒にお母さんに寄り添って、
 冷たくなってしまったその身体を、必死になって温め続けていました」


 「ずいぶん、辛いお話でね・・・・
 緊急時のトリア―ジの鉄則でいけばそのお母さんは、見捨てなければならない
 患者さんの一人と言うことになってしまいます。
 せっかくぎりぎりで、お子さんは助かったと言うのに・・・・」


 「その少女は、ひとことも、何も言いません。
 少女から私に、何かをお願いされたわけでもありません。
 ただひたすらお母さんを、温め続けているその小女の姿を見た瞬間に、
 思わず私は冷静さを失いました。
 そしてその結果、トリア―ジを担当する者としては、
 有りえないほどの、間違ったままの判断をついに下してしまいました。
 この子のためにも、何があってもこのお母さんを救いたい。
 そう心に決めてしまいました。
 これはまったく私の個人的な、私情におぼれた判断でした。
 トリア―ジに携わる医療チームのひとりとしては、
 ありえない『誤診』であり、かつ『暴挙』といえるものです。
 
 しかし事態は、一刻を争いました。
 即座にその場で、トリア―ジの最優先患者として
 とにかく緊急の治療を必要としている、と書類に記入をしました。
 急いでチームの責任者へ、その旨を伝えに飛んで行きました。
 リーダー役のその看護師さんも、私の書類を見て、たいへんに驚いていました。
 それでも私の顔を見てから、無言でお母さんを温め続けている
 その幼い小女の姿を確認すると、すべてを察知したらしく、
 何も言わずに急いで、ドクターを呼びに行ってくれました。
 ドクターも急いでやってきてチームとともに、
 できるかぎりの治療をかかりっきりで、このお母さんに施してくれました。
 しかし実はこの間、私たちのチームは、このお母さんの治療に
 かかりきりになってしまったのです。
 本来のトリア―ジの機能を、麻痺させながらの医療行為そのものといえました。
 あとは本人の体力次第だということになり、治療を済ませた後は、
 入院させるために2階の部屋へ運び入れました。
 少女も、同じようにこの2階に泊ることが許されました。


  お母さんの治療は、その後は病院内の別のチームに引き継ぐことになりました。
 それからは忙しさのため、時々、病院内でこの小女を見かけましたが、
 その後のお母さんの病状は確認することなどが、なかなかにできずにいました。
 チームのみんなも、そんな出来ごとが有ったことなども
 すっかり忘れかけていました。
 それほど目まぐるしい日々が続き、私たちの医療チームは
 いつまで経っても多忙そのものでした。


  そんなある日、ひょっこりとこの小女が私たちの医療チームに姿を現しました。
 何も言わずに、チームの一人一人に会いに来て、この貝殻を配って歩きました。
 私の所までやってきたので、『どうしたの、これは』と聞いたら、
 少女は、がれきの中から拾い集めてきたと答えてくれました。
 驚いた話ですが、がれきの中には、
 海からやってきたさくら貝たちも混じっているそうです。
 当然すぎるといえばそれまでですが、誰もそんなことまでには気がつきません。
 でも津波は、海からやってきたのです・・・・
 お母さんが元気になったあと、『なにか欲しいものがある?』と少女が聞いたら、
 がれきのなかに隠れていた、あの時のさくら貝が欲しいと
 お母さんが答えたそうです。
 あの津波から3日3晩、水に漬かりながらもあきらめずに、救助を待っていたとき、
 たまたま、がれきにまじっている小さな貝たちをいくつも見つけたそうです。
 少女にも、お母さんにも、このさくら貝は、『希望』の貝だったのです・・・・


 
  お世話になったせめてものお礼に、私たち二人を勇気づけてくれたこの貝を
 あなたがお医者さんや、看護師のお姉さんたちへ、
 上げて来てきちょうだい、と、そう言われて配って歩いていると、
 その子が笑顔と一緒に、私にもくれました。
 情に流され過ぎて、大誤診をしてしまったという、私のたわいもない失敗話です。
 でも私たちは、あの女の子とあのお母さんと、そしてこのさくら貝に救われました。
 お母さんの命と、私の過ちを救ってくれた、がれきの中の『奇跡』です。
 あなたにも、幸運をおすそ分けをします・・・・
 きっとあなたにも、何か良いことがあるといいですね」




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