落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第42話 

2013-04-18 05:54:41 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第42話 
「まるで野戦病院のように」




 「病院の外。
 玄関の付近には、絶え間なく常に患者さん達が運ばれてきました。
 また津波で失った薬をもらいに来る人たちも、たくさんいました。
 行方不明になった親族たちの安否確認に来る人たちなども、次々とやってきました。
 私たちがトリアージの最中にも『どうやって帰ればいいのか』
 『薬をもらうのにいつまで待たせるんだ』などと次々聞かれ、
 それらの応対などにも追われました。
 途絶えることのない人の波が、地震の発生以来、何日間も続きました・・・・
 そうなると、当然のように哀しい事態も発生します。
 私が今でも忘れられない出来ごとは、既に亡くなってしまったお孫さんを、
 毛布にくるんで抱きながら、走って病院に駆けつけきたお年寄りの姿を見た時です。
 『これは、ほんとうに現実の姿なのだろうか・・・』と、
 その時だけは心底、そう思いました。
 あの時のことだけは、今でもしっかりと私の目に焼き付いています。
 私はおそらく、あのお年寄りの姿を、一生忘れることができないと思います」


 浩子さんの瞳が、その時の光景を思い出して、見るまに曇ってきます。
響は、重ねられている浩子さんの指の上へ、自分のもう片方の手を想いも乗せて重ねます。
浩子さんの口元に少しだけ、先ほどまでの笑みが、はにかみながら戻ってきます。


 「病院の外の様子も大変でしたが、病院内も騒然としていました。
 通常時は待合室になっている1階ロビーでは、診療室が間にあわないために、
 中レベル程度の患者さんたちの処置が行われていました。
 それはまるで映画でよく見た、戦場の救護所みたいな有様そのものです」

 「震災発生の日よりも、日を追うごとに怪我をした人や
 要救助者たちが増えたようですが、それはいったいどんな理由ですか?」


 「ほとんどの患者さんが、津波による被災者たちです。
 要救助者たちが救助を求めて居ても、水が引かないうちは近寄れないし、
 瓦礫が散乱をしているために、道路も通れません。
 受け入れる側の医療機関をはじめ、救助する側の地元の救急隊や
 消防までも被災をしてしまっています。
 あの時、海に面したいた石巻の市街地のほとんどが、ほぼ壊滅状態になっていたのです。
 高台に避難できた人たちも見守るのだけが精一杯で、とても救助まで手が回りません。
 外部からの応援部隊が入る前までは、石巻の被災した市街地部分では、
 まったく、手のつかない状態が続いていました」



 「そうですよね・・・・
 たしかに、あの凄まじい津波の映像には息をのみました。
 あっというまに海面が盛り上がってきて、車が木の葉のように押し流され、
 家やビルが呑みこまれて崩壊する様子を、私は何度もテレビで目撃をしました。
 そういえば多くの犠牲者は、その津波によるものですね」



 「震災から3日後の14日になると、
 被災した患者さんたちの数が、一気にピークに達しました。
 病院内のロビーでは、担架やストレッチャーが忙しく行き来して、
 その日一日で最大となる700人近くが、石巻赤十字病院へ搬送をされてきました。
 病院内は患者さんたちでごった返し、スタッフたちも汗だくで走り回りました。
 2階の廊下も、病院内に避難している人が横になるなどして
 足の踏み場もないほどに混雑をしていました。
 ロビーに運ばれてきた患者さん達も、けがや低体温症などで自力では歩けません。
 病院で用意をした80台の災害用ベッドでは間に会わず、
 ついには、入院患者用のマットや、外来診察で使うベッドなどへ
 患者さんを寝かせることになりました。
 とにかく忙しすぎて・・・・とてもあの時には、
 何かを考えるゆとりはなんかは、全くありませんでした」




 「野戦病院のようだったというその意味が、よくわかります・・・・」



 「トリア―ジから治療班の応援のために走り回り、
 さらには津波にのまれた人の着替えや、その応急処置の介助などにも追われました。
 収容されてから、急に高熱を出すお年寄りなどがたくさん出ました。
 付き添う家族もなく、身元も分からないまま、
 院内で息を引き取ってしまったという人も、少なくありません。
 何とかしてあげたかった・・・・
 でも、私たちには、何もできませんでした。
 辛かったし、虚しかった。そしてとても悔しい思いをしました。
 私が記憶しているだけでも、地震後のわずか1週間あまりで
 石巻赤十字病院で治療を受けた患者さんは、合計で4000人を越えました。
 そのうちに・・・・実に残念なことですが、手当ての甲斐もなく
 79人が病院で亡くなってしまいました」


 響が身体を横に運び、浩子さんに寄り添うような形で座り直します。
「あなたは本当に、優しいお嬢さんです・・・・」愛嬌のあふれていた浩子さんの目じりに
またうっすりと、新しい涙がにじんできました。


 「被災地医療の現場は、それほどまでに凄まじく、例えようがないほど深刻でした。
 でもそれ以外にも、私たちは、もうひとつの大きな障害とも戦いました。
 石巻を襲ったあの大津波は、人が暮らし生きるために必要な全ての物を、
 それこそ、根こそぎで奪い取っていきました。
 電気や水、ガスなどのライフラインの破壊は、私たちの想像をはるかに絶していました。
 なにひとつとして被災地には、生活に必要なものが残っていないのです・・・・
 私たちは、ほんの一瞬の間にして、全て失ってしまいました」



 「それも・・・・実は、拝見ました。
 私は、ほんとうに不謹慎者です。
 雪が降る、見るからに寒そうな避難所の光景を見ながら、
 3月の半ばだと言うのに、まだ東北は冬なんだ・・・などと、
 ただただ、ぼんやりとしながら、他人事のようにテレビの画面を眺めていたのです。
 そうですよね。
 家と生きる場と失いながらも、やっとの思いで助かった人々たちが、
 水も電気もない中で、真冬と向き合っていたと言うのに、
 私は、ビールを飲みながら、呑気に炬燵でテレビを見ていました・・・・
 あまりにも無関心すぎて、他人事のように見ていた私が、
 今となると、顔から火が出るほどに恥ずかしい想いがします」

 
 「恥じることなどは決して有りません。
 あなたは一年後の被災地の実際の様子を、その目で見るために、
 こうしてその足で確認に来てくれました。
 そのうえ私の話にも、あなたはこうして、優しく耳を傾けてくれています。
 こうしてすべてのお話しをするのも、実は私も震災以来、
 初めてのことなのです。
 私こそ、どこかで胸のつかえが取れるような、そんな気がします・・・・
 それほどに、3・11直後の石巻は、実に悲惨な状況そのものでした。
 でも、被災地としての本当の、本来の苦しみは、被災後にあらためてやってきました。
 私たちの石巻赤十字病院で受け入れた急患は、本震から1週間がたったも
 一日平均で、300人以上がやってきました。
 震災前が1日平均60人くらいでしたから、実に5倍以上にあたる人数です。
 同時にこの頃から、正体不明のあたらしい病気が発生しました。
 その原因は避難所における、あまりにも非衛生的な環境と、
 食料や物資の日常的な不足でした。
 約200人が避難した、石巻市の渡波公民館では
 本震から1週間以上もたってから、高熱を出すという避難者が相次ぎました。
 水もなければ電気もガスもない、寄り集まり集団での避難生活の場です。
 沢水を沸かして飲み、周りでくんだ井戸水を手洗い用などに使っていました。
 もちろん、マスクや消毒薬などといった類は、一切ありません。
 避難者が体調を崩すたびに、200メートルほど離れた消防署まで職員が走っていって
 救急車を呼び、私たちの赤十字病院まで搬送をしました。
 食料や飲み水の確保に必死で、十分な衛生管理をする余裕がなかったことの結果です。
 搬送された患者の多くが、肺炎や胃腸炎などの感染症や、
 油断の出来ない、脱水症状などにかかっていました。
 避難した人たちの生活環境が悪すぎたために、被災地では、
 いつまでたっても、こうした患者の数が減りません。
 こうして石巻では、あたらしい負のスパイラルがはじまりました・・・・」


 重い沈黙が後部座席の二人を支配し始めた頃、
突然、運転席から英治の、乾いた声が聞こえてきます。


 「おい、お二人さん。コンビニが見えてきたぜ。ちょっと寄って休憩をしょうぜ」



 「何言ってんの英治ったら。こんなときに」

 「勘弁しろよ、響。
 なんだか俺まで、目の前がぼやけてきた・・・頼むから、一休みしょうや」



 

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