落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第50話

2013-04-26 07:18:28 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第50話
「ふたたびの被災地へ」




 「さて、ここからが、被災地を走る常磐線だ。
 ここから北への列車の旅は、あの日の海岸線に沿いながら、
 被災地へ逆戻りをする旅ということなる。
 何かが私の胸の中で、好奇心を探究心くすぐり続けている。
 性に合っているとでもいうのかしら・・・・
 怖い想いは有るのに、どこかで『何か』を期待をしている自分自身が居る。
 さぁて。この先で私を待っているのものは、いったい何なのだろう」

 
 JR常磐線(じょうばんせん)は、
日本の首都・東京から千葉県北西部の松戸・茨城県の水戸・いわきといった、
東関東の各都市を経由しながら、終点となる宮城県までの太平洋に面した海岸線を
ひたすら北上をしていきます。
東北地方の内陸部を縦走していく東北本線と比べ、海岸部をより多く走るこの常磐線は
東日本大震災では、きわめて大きな被害を受けました。


 損傷の大きさは深刻で、震災から一年を経過した今でも至る所に傷跡が残っています。
いまだに広野~原ノ町、相馬~亘理駅間の運転は見合わせたままの状態で、
相馬~亘理駅の間は、バスによる代行輸送に頼っています。
列車本数も通常よりも大幅に減らされたままで、現在もその運転が続いています。
さらに原ノ町~広野駅間は、福島第一原発で立ち入り禁止の警戒区域内にあたるため、
線路は閉ざされたまま、いまだに復旧の見込みすら立っていません。


 震災の当日に、常磐線では新地駅と坂元駅が津波により崩壊をしました。
新地駅では4両編成の列車が脱線をして大破しましたが、乗客と乗員は
事前に全員が避難をして、死傷者は皆無でした。
たまたま電車に乗りあわせていた福島県警の、新任警察官二人による避難誘導で、
全員が助かったと言うエピソードは、ここで生まれました。
浜吉田駅 - 山下駅間では、JR貨物コンテナの貨物列車が脱線をしましたが、
こちらでも幸いなことに、機関士は無事に難をのがれています。
勝田駅 - 水戸駅間では、盛り土が完全に変形をしたために、レールは
100メートル以上にわたって歪んでしまいました。


 「ということは、私の行く先は、広野駅がその終点ということなるわけだ。
 そのさきには、福島第一原発の警戒区域内が横たわっている。
 亜希子さんの言っていた、自然までが崩壊を始めたというゴーストタウンが・・・・」



 常磐線は、海岸線を何処までも走る、非常に長い鉄路です。
そのために、スーパーひたちや、フレッシュひたちといった特急電車が、数多く走っています。
スーパーひたちは停車駅を少なくした特急列車で、グリーン車なども連結しています。
一方の特急、フレッシュひたちは、スーパーひたちが止まらない駅でも停車をします。
友部駅から響が乗車をしたのは、そのフレッシュひたちです。


 いわき駅までの所要時間は、およそ1時間と30分。
小山駅から順調に水戸線に乗り換え、うまくフレッシュひたちに乗車をしたとはいえ、
すでにこの時点で、時刻は4時を回り始めています。
折り返し地点となっている終着駅の広野町へは、日没前後の到着に
なってしまいそうな気配が濃厚です。 



 「でも、何が私を呼んでいるのだろう・・・・
 被災地の石巻でなにかを見落としたような気がして、私はふたたびここから
 Uターンをしようとしている。
 今度は、海岸沿いから福島の被災地へ入ろうとしている。
 私の胸の中でドキドキとしながらも、なぜか躍動までしているこの期待感と、
 正反対ともいえる、得体の知れない恐怖心は、いったいなんなのだろう・・・・
 私はなにを見たくて、また被災地へ戻っていくのだろう。
 私の中で、また何か新しい感情が目覚めようとしている。
 期待と不安を、交互に同時に抱きながら・・・・」


 常磐線をひた走る特急のフレッシュひたちは山間の狭い谷と、突然開けてくる
海岸線の風景を交互に何度も繰り返しながら、一路、終点のいわき駅をめざします。
いわき方面へ向かう乗客たちで、座席がほぼ埋められているのにもかかわらず、
列車内は、意外なほどの静かさを保ったままです。
震災や原発事故発生の時の様子を話題にする乗客は、ほとんど見当たらず
ただ静かに、一様に目的地までの時間をあえて押し黙ったまま過ごしているような、
そんな雰囲気がかすかにながらに漂っています。
延々と流れていく野山の景色と、日暮れ前の最後の明るい春の光とは裏腹に、どことなく、
ただなんとはなく、重苦しいような空気が潜んでいます。


 17時42分、フレッシュひたちは定刻通りに終点となるいわき駅へ到着をしました。
駅舎はガラスをふんだんに多用した、きわめて斬新なデザインです。
さらに北上をしていくために響が、普通列車用のホームに向かって移動します。
ホーム越しには駅前にある、高架の歩行者用通路が見えます。
その向こう側には、大型商業施設などが建ちならんでいるような気配があります。



 パラパラと小雨が降りはじめてきましたが、
見える限りの範囲では、多くの人々は傘も差さずに、無言のままに歩道を歩いています。
あの日、放射能をまき散らした福島第一原発は、ここから北へ40キロ余りです。


 (あの日以来、福島からの多くの避難民を受け入れたいわきでは、
 もう日常をすっかりと取り戻したのかしら・・・・ここから見る限り、
 ここも何処にでもある地方都市のひとつに見えるけど、
 ここもやはり、あの日、津波の被害を受けたはずの被災地のひとつのはずだ)



 普通列車の下りホームでは、すでに4両編成の広野行きが待機をしていました。
この辺りの常磐線は、地震の影響で線路が陥没したり、津波で駅や列車が
押し流されたりするなどの、きわめて甚大な被害をいたるところで受けました。
復旧工事が終わった区間から、徐々に運転が再開をされたために、
現在では久ノ浜駅を経て広野駅(福島県広野町)までを列車で行くことが
できるようになりました。
しかしその先にあたる路線は、原発の20キロ圏内の強制避難区域を通過するために
復旧はおろか、線路の状態すら確認が出来ていない状態が続いています。


 4両編成の広野行きは,買い物帰りの女性や
帰宅途中の高校生たちを乗せて、ほぼ定刻通りにいわき駅を発車をしました。
列車内は閑散としており、1両には数人程度という乗車率です。
いわき駅からは約15分。少し前まではここが終点となっていた久ノ浜駅へ到着をします。
プラットホームからは、海がきわめて近くに見えています。
駅前には商店が広がり、その周辺にはかろうじて数軒の民家なども見えています。
しかし、ここも一年前には、東日本大震災による大津波で、
集落ぐるみが壊滅的な被害を受けてしまったという、地区のひとつになりました。
海沿いに広がっている枯れ草ばかりの荒野には、おそらく相当数の人家があっただろうと、
容易に想像することができます。


 1日に9本しか運行をされていない広野行きは、ここからさらに北へ向います。
それはまた、東日本の全域を放射能汚染の恐怖に陥れた、福島第一原発へ
さらに近づいていくことを意味します。
久ノ浜を出た列車は、わずか5分ほどで日没直後の広野駅へ(福島県双葉郡広野町)到着をしました。
福島第一原発は、ここから25キロ余り北の方角に位置しています。
これより先は、福島第一原発事故の警戒区域(半径20キロメートル圏内)にあたるため,
全ての列車がここで行き停まりとなります。



 広野町も昨年9月まで、緊急時避難準備区域に指定をされていました。
住民の大半が避難をしたあと、役場の機能や小中学校なども町外へと移転をしました。
その指定が9月に解除をされたために、昨年の10月10日から、JR東日本は、
この広野駅までの運転も再開しました。
さらに役場の機能が、 今年の3月1日に本来の庁舎へ戻ってきます。
これは福島での移転自治体としては、先陣を切る勇気ある初の事例になりました。




 いわき駅から降り始めた雨は、一向に止む気配を見せません。
細かい雨が降り続く外の様子を確認した響が、すっぽりと大きな帽子をかぶりました。
10人ほどの乗客たちと共に、響も暗くなりはじめたプラットホームを改札口へ向かいます。
入れ替わりで、数人の客が列車に乗りこんできました。
しかしそれ以外は、まったく静かなままの駅舎です



 5分後に童謡「汽車」のメロディが鳴りはじめ、
合図を受けて、列車が静かにホームを離れていきます。
「今は山中,今は浜」で始まる「汽車」は、広野駅周辺の車窓を歌ったという
説があり、駅の構内には、それを記念した歌碑が建っています。
小雨が静かに降りしきる中、響は改札口の庇(ひさし)の下で
遠く去っていく列車の赤いテールランプを、無言のままにポツンと一人で見送っています。




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