落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第48話

2013-04-24 11:04:58 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第48話
「三種の神器と口紅」




 「緊急時避難準備区域内にある広野町は、昨年の9月に慨に
 その指定を解除されています。
 しかしその時点で帰ろうという機運はまったく産まれず、
 いまでも、町民約5300人のうち4100人がいわき市などに避難をしたままです。
 町に戻ったのは今年の2月29日現在でも、わずか250人にすぎません」

 パタンと、ノートパソコンを閉めた川崎亜希子が、
響へ「じゃ、その広野町についてのお話をしましょうね」と顔を向け直してきました。
「福島から私が降りる那須塩原駅までは、1時間足らずで到着をしてしまいます。
時間は、お互いに有効に使いましょう」とほほ笑んでいます。
響にしても、それにはまったく異存がありません。


 「最近の報道によれば、職員約70人を前に山田基星町長は庁舎で、
 『役場の復帰は本格的な再生復興の始まりであり、町民たちの帰還に向けた
 環境整備でもある』と、話したそうです。
 町立の幼稚園と小中の各1校は、新年度の2学期には、
 広野町で授業を再開するという予定をたてました。
 地震や津波で自宅を失った町民向けの仮設住宅も、町内の2カ所で
 計46戸が、3月中までに完成をするなど、受け入れの準備のほうも
 それなりには進んでいるようです。
 ここまでは、先日までに報道をされた内容の話しです。
 しかし現実は、それほど甘くはないようです。
 昨年の9月に広野町へ戻ってきたという、農家のある女性は、
 こうした事態をかなり冷ややかな目で見ています。
 私たちが避難区域への潜入調査を終えて、帰り際に立ち寄った広野町の
 ある商店の女性から聞かされた話も、実に辛辣でした。


 『空間放射線量は(役場周辺で毎時0.18マイクロシーベルトと)低い。
 町民が帰るきっかけになってほしい」と一応は、役場復帰の動きを歓迎していました。
 しかし、震災まで同居していたという若い息子夫婦と2人の孫は、
 学校や保育園が広野町で再開されても、町にはもう戻って来ないそうです。
 『2歳の娘が入る保育園は既に決まった。
 いくら除染してもやはり将来的には不安なので、もう町には帰らない」と、
 いわきでの生活再建を慨に決めてしまったそうです。
 またたとえ戻ってきたとしても、広野町に息子夫婦たちの仕事の場がないというのも、
 帰って来ない大きな理由にもなったようです。
 役場の機能が戻ってきても、職員たちはいわきから通勤をするというお話です。
 『単なるアピールに過ぎないだろう』と言う皮肉な声も、多く聞かれています。
 『町内の仕事は少なく、農業もできない。
 何もできないのに、多くの町民が帰ってくるとは思えない』
 と、とても悔しそうにお話しをしていました」



 「しかし、そのままでは広野町は、ゴーストタウンになってしまいます」



 響が落胆の吐息とともに、思わずそんな感想をもらしています・・・・。
パソコンの上に指を組んだ亜希子さんは、そんな響の瞳を見詰めたまま、
すこし言葉を強めます。


 「半径20キロ以内の立ち入り禁止区域内で、
 私たちが調査のかたわら、町の様子を見てきた感想では、
 残念ながら、ほとんどのところで、すでにそうした廃墟化が確実にはじまっていました。
 人が居ないと言うことは、日常が全く失われることを意味します。
 人の手によって作られたものが、その維持管理ための手段を失うと、
 そこに待っているのは、すべての崩壊の始まりです。
 町が崩壊すると言うことは、同時に豊かなはずだった自然までも失われてしまいます。
 人の手による人工物がすべて滅ぶだけでは無く、放射能の影響によって、
 自然もまた、すべてにわたって滅びはじめます。
 私たちは、廃墟の町で、それらをつぶさに目の当たりにしてきました。
 広野町の苦悩も『このままでは町が廃墟になる』という、その一点に尽きるようです。
 広野町の復興計画では、全町規模の除染を今年の年末までに終わらせて、
 全町民の帰還を実現させるという、きわめて大きな目標を掲げています。
 山田町長は『段階的に戻ってもらうが、簡単に進むとは思っていない』
 と環境整備に取り組む考えを示しています。
 それ自体が大変な取り組みですが、広野町では、もうひとつ、
 原発立地ゆえの、難しい問題も抱え込んでしまったようです・・・・」


 「もうひとつの問題? なんでしょうか、それは・・・・」


 「行ってみれば解る事です。
 広野の町内では今、作業服にマスク姿という男性たちばかりが目立っています。
 警戒区域に隣接していて福島第1原発にもきわめて近いため、
 事故処理などにあたる作業員たちの宿舎が一気に増えてきたためです。
 広野町に住む町民は、250人なのに対し、
 作業員は、いまでは常時5000人を下らないと言われています。
 策定中の復興計画でも、こうした旧の町民数に匹敵する「新住民」への
 対応などが迫られています。
 山田基星町長は「ピンチをチャンスに変える」として、原発関連の研究機関や
 企業の集積を図るまちづくりを目指して意欲的です。
 しかし依然として、いわき市などを中心に避難している町民たちは、
 仮設住宅から広野町へ通い、夜には戻るという生活を送る人が多いままのようです。
 もともと住んでいた人たちが夜になると町を去り、
 変わって5000人近い、全国からの男たちが屯をする・・・・
 これでは広野が復興したとは言い切れないという、悲観的な見方も、
 静かに蔓延をしています。
 また、『医療や買い物先の確保なども、もっときちんと進まなければ、
 町に戻る人の動きは、おそらくもっと鈍くなる』
 と懸念する声なども、あちこちで聞いてきました」



 「今では原発関連の男たちばかりの町ですか・・・・
 ある意味で、異様な光景が見えるような気がします。
 それも必要悪のひとつだと思いますが、ある意味、すこし恐いような気がします」


 「その通りです。
 そこでは夜間の外出は、細心の注意を必要とするようです。
 まして、あなたのように若くて美しい女性ならば、特にそれが必要でしょう。
 脅かすつもりは有りませんが、日没後には常に注意を怠らないことです。
 自分の身は、ご自分で守らなければなりません。
 どうします、それでもあなたは広野町へ行きますか?
 行くのであれば、これから、乗り換えの路線についてお教えいたしますが」

 「もう今さら、後にはひけません・・・・」


 「なるほど、見上げた覚悟です。
 でも広野へは、そのくらいの気持ちと覚悟で足を踏み入れた方がいいでしょう。
 無用なトラブルを避けるためにも、細心の用心が欠かせません。
 あなた。男性経験のほうは豊富ですか?」


 「えっ!、あ。・・・いぇ、あの、その・・・」


 「その様子では、あまり免疫が無いようですね。
 じぁ、私の三種の神器を差しあげますので、これを持って行きなさい。
 あ。断っておきますが、あくまでもただの気やすめです。
 常時、男性たちの中で働いていますので、私も一応用心のために携行をしています」



 「はい」と言いながら、バックの中から
顔が隠れてしまいそうな大きな帽子。かなり濃い色をした大きなのサングラス。
そしてこれが、とっておきの秘密兵器ですと笑いながら、
辛子スプレーなどを取り出しました。


 「使う事はおそらく無いと思いますが、備えさえあれば憂いなしです。
 もっとも・・・・私にみたいなおばあちゃんであれば、素顔でいても相手にされません。
 私には不要でも、あなたには(たぶん)必要となるかもしれません。
 はい、遠慮しないで持っていって頂戴。あっははは」


 押しつけられるままに、三種の神器を響が受け取ります。
帽子もサングラスも、良く見ると、いずれも名の通った一流のブランドメ―カの品物です。
「あのう・・・・これ」と、響が目を丸くして見上げた時に、もう亜希子さんは
テキパキと降りる支度をはじめています。


 「さすがに新幹線は早いわね。
 あっというまに那須塩原だもの。随分便利になりました。
 あ、これは、私の名刺です。
 裏にメールアドレスをメモしておきましたから、あとで連絡をくださいね。
 どんなふうに、あなたには広野町が見えたのか、とても楽しみです。
 それは確かにブランド物だけど、私が散々使った後だもの、
 もう二束三文の代物です。
 じゃね、また今度、あらためてネットでお会いましょう」



 呼びとめる隙も見せずに、亜希子さんが颯爽と立ち去って行きます。 



(今日はいろんな人と出会う日だわ。午前中の浩子さんといい、
今の亜希子さんといい、とても元気で、ユニークな女性たちと次々と行き会った。
おばちゃん世代が元気なのは、関西や大阪のおばちゃん達だけかと思っていたけど、
けっこう東日本にも、がんばっている女性が居るのねぇ。見直しちゃった・・・・)

 コンコンと、窓ガラスが叩かれました。
目線を上げるとプラットホームの亜希子さんが、窓の向こう側でなにやらしきりに
身ぶり手ぶりでのゼスチャーなどをしています。


 まず帽子を被れと、手で形をしめしています。
次に顔にはサングラスをかけろと、指示をだしているように見えました。
しかし、その次の指示が、良く解りません・・・・
スプレーは邪魔になるからポケットにしまっておけという、そんな身ぶりを見せてから、
『もうひとつ、アイテムが有るから』と、聞こえない音声のその口元が、
なにやらしきりと動いています。
(もう、一つある?)
亜希子さんが指を一本立ててから、まず自分の唇に触れました。
その指がしなやかに動いて、先ほどまで座っていた自分の座席の隅を指し示しています。
さらにその指先が、その辺りをよく見ろという風に動きました。
座席に何かを置いてきたと言う意味で、そこを探せと言う言うことかしら・・・
何があるのかしらと・・・・ふと響がそこを見ると。

有りました。



 新品の口紅が、一本コロンと転がっています。
急いで窓の外へ目をやると、それを唇に使えと言いながら亜希子さんが目を細めています。
響が了解しましたとOKサインを出すと、亜希子さんがひとつ投げキッスを返してから、
くるりと背中を見せました。
響が手にした口紅は、燃えあがるような真紅です。


 (大きな帽子を被り、サングラスをかけて、唇に
しっかりと原色で真っ赤な口紅をつけてから、手には辛子スプレーを持って、
狼たちの群れの中へ飛び込んで来いという亜希子さんからの、メッセージだ・・・・
そうか・・・・
変な小細工なんかしないで、女の美しさを前面に出して、ポジティブに
街を闊歩して来いと言う、亜希子さんからの激励の意味なんだ。
そうだよね。
奪えるものなら奪ってみろという、開き直った姿勢のほうが安全かもしれないし、
第一今日のあたしは、まだ全然お化粧もしてない、ただのすっぴんのままだった。
よぅし。こうなったら腹を決めて、気合を入れて可愛い女に変身するか、
亜希子さんの助言の通りに・・・・
すこぶるつきの良い女になって、これから、広野町へ乗り込むぞ~!)




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