連載小説「六連星(むつらぼし)」第41話
「あの日の石巻は、」
「大規模な工業団地として、
丘陵地を利用して開発されたものが、奥松島ひびき工業団地です。
その敷地の一部を使って被災した人たちのための仮設住宅が、急きょ建てられました。
そこにいま入居されている方が、金髪君が探している
伯父さんだといいですね」
この時点になって響はまだ、行き会ったままで
自分たちが自己紹介をしていないことに、初めて気がつきました。
響が苦笑しながら、あらためての自己紹介をはじめます。
金髪の英治も、石巻赤十字病院から届いたメールの経過なども説明も加えながら、
ここまでやってきた理由のあらましを、しどろもどろで話します。
「あらまぁ・・・・訳ありのカップルさんでしたか。
仲がとてもよろしく見えましたので、お若いご夫婦かと思いこんでおりました。
ずいぶんと律儀で、なおかつ健康的なご関係のようですね、・・・・うっふふ。
お嬢さんと同じ名前を持つ、ひびき工業団地は、ここ仙台からは30キロと少しです。
では、甘いものなどを頂いたら、その伯父さんのいる仮設住宅まで
3人でまいりましょう。
ただし、私は運転はすこぶるつきで下手です。
それでもよければ、これから私の車で、まいりましょう」
「えっ。連れて行って頂けるのですか、そこまで!」
思わず金髪の英治が立ちあがります。
浩子さんがそんな英治のあわてぶりを見て、にこやかに笑います。
「当然です、それくらいのことなら。
あの3・11の大震災で、私たちは全国のみなさんから生きる勇気と
たくさんの元気をいただきました。
あの惨状の中からこうして今、元気でいられるのも、
日本全国から集まった、みなさんからの温かいご支援のおかげです。
そのことを考えたら、このくらいの用件ならお安いご用です。
ほんのささやかなお礼返しです。
それにこの、笑顔の可愛いお譲さんとも、もう少しだけ、
お話が、したいと思いますから」
(あらら、やっぱりお話し好きで、人の良いおばちゃん、そのものだ・・・・)
響きもまた、嬉しそうに眼をほそめています。
運転が苦手だと言う浩子さんに変わって、金髪の英治が運転席に座ることになりました。
「高速でも行けますが、急ぐ旅でもありません。
行き先は田舎の一本道ですので、ひたすらまっすぐに走ってください。
小一時間くらいのドライブになると思います・・・・
私は後ろでお嬢ちゃんと、久々のおしゃべりに励みますから、うふふふ」
助手席へ荷物をまとめて置いた浩子さんが、
嬉しそうな顔をしながら、元気よく後部座席のドアを開けます。
「ねぇ、お兄ちゃん。
そのあたりでコンビニさんが有ったら、車を止めてくださいな。
やっぱりお茶菓子などが無いと、お話のほうもまた盛り上がりませんので・・・・。
ではでは、お兄ちゃん。安全運転などでよろしくどうぞ」
と、後部座席から、ポンポンと英治の肩を叩きます。
浩子さんの愛車は、いま流行の経済車で、モダンなハイブリッド・カ―です。
エンジンはこれで動いているのかと思うほど、すこぶる静かに回ります。
モーターが優しく回り始めた後、車は風を切りながら滑るように走り始めます。
小気味よいほどの加速ぶりもみせて、あっというまに制限速度へ達しても、車内に、
エンジン音はまったく聞こえず、相変らず風を切る走行音だけが響いてきます。
「先ほど、3・11直後の病院はまるで、野戦病院のようだったと、
おっしゃっていましたが・・・」
「津波の直後から、大混乱は始まりました。
石巻では、海に面していた市街地のほとんどが、水につかってしまいました。
ほとんどの医療機関また同時に、壊滅な被害を受けました。
すこしだけ奥地に有った私たちの日赤病院だけが、かろうじて被災をまぬがれました。
その時の医療活動についての詳細などは、後日の、『石巻赤十字病院の100日間』
という本の中で、まとめて紹介されています。
東日本大震災で献身的に活動したお医者さんや看護師さんたち、
病院職員たちの苦闘の記録として、文章として残されることになりました」
「浩子さんも、そのおひとりとして活躍された訳ですね。
申しわけありません。私はまだ残念ながら、その本を読んでいません。
被災地の実態をあまり理解をしていない、不心得者の一人です」
「あなたは、とても正直でチャーミングな方です。
普通なら、そんなことは口を濁してとぼけてしまうのに、正直すぎます。
あなたは、直球勝負が専門のようですね。
別に気にすることなどは、ありません。
貴重な記録のひとつだとは思いますが、重く辛い記録であることもまた事実です。
生きることへのおおくの証言が、体験談と共に語られていますが、
同時にまた、それだけおおくの死を見つめてきたという記録でもあるのです。
災害時の記録と言うのは、常に、生と死の境目を冷酷に同時に見つめます。
一瞬の行動が生死を分けて、置かれた環境と運が、またその生死を分離します。
あの日の津波はまさに、その象徴でした・・・・」
「浩子さんは、あの津波以降、何を見つめてきたのですか」
「あの日・・・・
『市街地はほとんどが水に漬かった。救急車は流されて、今は2台しか使えない』
という、消防の一報から私たちの3・11が始まりました。
その日の夜になってから、石巻赤十字病院へけが人を搬送してくる
地元の救急隊からは、次々と悲惨な報告ばかりが入ってくるようになりました。
私はそれらを聞いた瞬間に、
『今、石巻で救出された人を搬送できる病院はここしかない。
きっと、かなりの人が運ばれてくる」と、ようやく事態を直感しました。
私の悪い予感は、ずばりと的中をしました。
自衛隊などの救出が本格的に始まった、翌日の12日のお昼ごろからは、
ヘリコプターや、特殊車両が数分おきに市内外の被災者を
次々と、私たちの病院へ運び込んできました。
搬送されてきた人の多くは、ずぶぬれでふるえ、まったく話もできない状態です。
恐怖のせいからか、ほとんどの人がぼうぜんとしていました。
ねぇ、あなた・・・・
本当に聞きたいの?こんな私の話を 」
「是非。 」
強い意志を込めた響の瞳が、まっすぐ、浩子さんを見つめます。
膝の上で握りしめている響の白い指の上へ、浩子さんの温かい手が降りてきました。
「まず私たちが最初に取り組んだのは、病院の正面玄関の外側に、
治療の優先度を判断するのトリアージのスペースを作る事でした。
またそれと平行をして、軽傷者たちを治療するための大型テントなども設けました。
そうした準備を整えた後、私は、他の医師や看護師たちの10人とともに、
トリアージ作業に当たりました」
「トリア―ジと言う言葉は、災害時などでよく耳にしますが、
実際にはどういう意味をもつものですか。すみません、質問が素人すぎて・・・・」
浩子さんがまた、にこりと笑います。
お尻を少しずらして上半身をひねり、斜め正面から響と向いあう姿勢をとりました。
響の指の上に置かれた浩子さんの温かい手から、少しだけ力が降りてきました。
「大災害などが発生をした時には、
一番有効的な医療活動をおこなう事が、まず求められます。
事前に怪我人たちを振り分けていく作業のことを、トリア―ジと呼びます。
災害時とはいえ、医療資源は限られています。
医療スタッフや医薬品にも、限度があります。
現存する限られた医療資源の中で、まず助かる可能性のある傷病者を救命して、
社会復帰へ結びつけるという行為に トリアージの意義があります。
トリアージとは、負傷者を重症度、緊急度などによって分類をして、
治療や搬送などの優先順位を決めることです。
実はとても悲しいことですが・・・・
助からないと思える人の治療は、後回しにされてしまいます。
限られた条件の中でより多くの人々を救うために、トリア―ジにおいては
時には、重い決断を下す勇気も必要になるのです」
にこにこと、いつも明るく輝いていた浩子さんの瞳が、
なぜかこの一瞬だけに限って、深い悲しみの色を浮かべました。
響もドキリとしながらも、そのわずかな哀しみ色の一瞬を瞬間をしっかりと見届けています。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
・連載中の新作小説は、こちらです
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (74)嵐の果てに
http://novelist.jp/63232_p1.html
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.html
「あの日の石巻は、」
「大規模な工業団地として、
丘陵地を利用して開発されたものが、奥松島ひびき工業団地です。
その敷地の一部を使って被災した人たちのための仮設住宅が、急きょ建てられました。
そこにいま入居されている方が、金髪君が探している
伯父さんだといいですね」
この時点になって響はまだ、行き会ったままで
自分たちが自己紹介をしていないことに、初めて気がつきました。
響が苦笑しながら、あらためての自己紹介をはじめます。
金髪の英治も、石巻赤十字病院から届いたメールの経過なども説明も加えながら、
ここまでやってきた理由のあらましを、しどろもどろで話します。
「あらまぁ・・・・訳ありのカップルさんでしたか。
仲がとてもよろしく見えましたので、お若いご夫婦かと思いこんでおりました。
ずいぶんと律儀で、なおかつ健康的なご関係のようですね、・・・・うっふふ。
お嬢さんと同じ名前を持つ、ひびき工業団地は、ここ仙台からは30キロと少しです。
では、甘いものなどを頂いたら、その伯父さんのいる仮設住宅まで
3人でまいりましょう。
ただし、私は運転はすこぶるつきで下手です。
それでもよければ、これから私の車で、まいりましょう」
「えっ。連れて行って頂けるのですか、そこまで!」
思わず金髪の英治が立ちあがります。
浩子さんがそんな英治のあわてぶりを見て、にこやかに笑います。
「当然です、それくらいのことなら。
あの3・11の大震災で、私たちは全国のみなさんから生きる勇気と
たくさんの元気をいただきました。
あの惨状の中からこうして今、元気でいられるのも、
日本全国から集まった、みなさんからの温かいご支援のおかげです。
そのことを考えたら、このくらいの用件ならお安いご用です。
ほんのささやかなお礼返しです。
それにこの、笑顔の可愛いお譲さんとも、もう少しだけ、
お話が、したいと思いますから」
(あらら、やっぱりお話し好きで、人の良いおばちゃん、そのものだ・・・・)
響きもまた、嬉しそうに眼をほそめています。
運転が苦手だと言う浩子さんに変わって、金髪の英治が運転席に座ることになりました。
「高速でも行けますが、急ぐ旅でもありません。
行き先は田舎の一本道ですので、ひたすらまっすぐに走ってください。
小一時間くらいのドライブになると思います・・・・
私は後ろでお嬢ちゃんと、久々のおしゃべりに励みますから、うふふふ」
助手席へ荷物をまとめて置いた浩子さんが、
嬉しそうな顔をしながら、元気よく後部座席のドアを開けます。
「ねぇ、お兄ちゃん。
そのあたりでコンビニさんが有ったら、車を止めてくださいな。
やっぱりお茶菓子などが無いと、お話のほうもまた盛り上がりませんので・・・・。
ではでは、お兄ちゃん。安全運転などでよろしくどうぞ」
と、後部座席から、ポンポンと英治の肩を叩きます。
浩子さんの愛車は、いま流行の経済車で、モダンなハイブリッド・カ―です。
エンジンはこれで動いているのかと思うほど、すこぶる静かに回ります。
モーターが優しく回り始めた後、車は風を切りながら滑るように走り始めます。
小気味よいほどの加速ぶりもみせて、あっというまに制限速度へ達しても、車内に、
エンジン音はまったく聞こえず、相変らず風を切る走行音だけが響いてきます。
「先ほど、3・11直後の病院はまるで、野戦病院のようだったと、
おっしゃっていましたが・・・」
「津波の直後から、大混乱は始まりました。
石巻では、海に面していた市街地のほとんどが、水につかってしまいました。
ほとんどの医療機関また同時に、壊滅な被害を受けました。
すこしだけ奥地に有った私たちの日赤病院だけが、かろうじて被災をまぬがれました。
その時の医療活動についての詳細などは、後日の、『石巻赤十字病院の100日間』
という本の中で、まとめて紹介されています。
東日本大震災で献身的に活動したお医者さんや看護師さんたち、
病院職員たちの苦闘の記録として、文章として残されることになりました」
「浩子さんも、そのおひとりとして活躍された訳ですね。
申しわけありません。私はまだ残念ながら、その本を読んでいません。
被災地の実態をあまり理解をしていない、不心得者の一人です」
「あなたは、とても正直でチャーミングな方です。
普通なら、そんなことは口を濁してとぼけてしまうのに、正直すぎます。
あなたは、直球勝負が専門のようですね。
別に気にすることなどは、ありません。
貴重な記録のひとつだとは思いますが、重く辛い記録であることもまた事実です。
生きることへのおおくの証言が、体験談と共に語られていますが、
同時にまた、それだけおおくの死を見つめてきたという記録でもあるのです。
災害時の記録と言うのは、常に、生と死の境目を冷酷に同時に見つめます。
一瞬の行動が生死を分けて、置かれた環境と運が、またその生死を分離します。
あの日の津波はまさに、その象徴でした・・・・」
「浩子さんは、あの津波以降、何を見つめてきたのですか」
「あの日・・・・
『市街地はほとんどが水に漬かった。救急車は流されて、今は2台しか使えない』
という、消防の一報から私たちの3・11が始まりました。
その日の夜になってから、石巻赤十字病院へけが人を搬送してくる
地元の救急隊からは、次々と悲惨な報告ばかりが入ってくるようになりました。
私はそれらを聞いた瞬間に、
『今、石巻で救出された人を搬送できる病院はここしかない。
きっと、かなりの人が運ばれてくる」と、ようやく事態を直感しました。
私の悪い予感は、ずばりと的中をしました。
自衛隊などの救出が本格的に始まった、翌日の12日のお昼ごろからは、
ヘリコプターや、特殊車両が数分おきに市内外の被災者を
次々と、私たちの病院へ運び込んできました。
搬送されてきた人の多くは、ずぶぬれでふるえ、まったく話もできない状態です。
恐怖のせいからか、ほとんどの人がぼうぜんとしていました。
ねぇ、あなた・・・・
本当に聞きたいの?こんな私の話を 」
「是非。 」
強い意志を込めた響の瞳が、まっすぐ、浩子さんを見つめます。
膝の上で握りしめている響の白い指の上へ、浩子さんの温かい手が降りてきました。
「まず私たちが最初に取り組んだのは、病院の正面玄関の外側に、
治療の優先度を判断するのトリアージのスペースを作る事でした。
またそれと平行をして、軽傷者たちを治療するための大型テントなども設けました。
そうした準備を整えた後、私は、他の医師や看護師たちの10人とともに、
トリアージ作業に当たりました」
「トリア―ジと言う言葉は、災害時などでよく耳にしますが、
実際にはどういう意味をもつものですか。すみません、質問が素人すぎて・・・・」
浩子さんがまた、にこりと笑います。
お尻を少しずらして上半身をひねり、斜め正面から響と向いあう姿勢をとりました。
響の指の上に置かれた浩子さんの温かい手から、少しだけ力が降りてきました。
「大災害などが発生をした時には、
一番有効的な医療活動をおこなう事が、まず求められます。
事前に怪我人たちを振り分けていく作業のことを、トリア―ジと呼びます。
災害時とはいえ、医療資源は限られています。
医療スタッフや医薬品にも、限度があります。
現存する限られた医療資源の中で、まず助かる可能性のある傷病者を救命して、
社会復帰へ結びつけるという行為に トリアージの意義があります。
トリアージとは、負傷者を重症度、緊急度などによって分類をして、
治療や搬送などの優先順位を決めることです。
実はとても悲しいことですが・・・・
助からないと思える人の治療は、後回しにされてしまいます。
限られた条件の中でより多くの人々を救うために、トリア―ジにおいては
時には、重い決断を下す勇気も必要になるのです」
にこにこと、いつも明るく輝いていた浩子さんの瞳が、
なぜかこの一瞬だけに限って、深い悲しみの色を浮かべました。
響もドキリとしながらも、そのわずかな哀しみ色の一瞬を瞬間をしっかりと見届けています。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
・連載中の新作小説は、こちらです
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (74)嵐の果てに
http://novelist.jp/63232_p1.html
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.html