忠治が愛した4人の女 (56)
第四章 お町ふたたび ⑧
激しい衝撃が、百々一家の中を駆け抜けていく。
無理もない。大黒柱のひとり。代貸しの柴の啓蔵が百々一家を裏切ったからだ。
啓蔵は、佐野屋の賭場を仕切っていた。
その啓蔵が、前触れもなく突然、宿敵の伊三郎一家に子分全員をつれて、
寝返っていったという。
百々一家に残った啓蔵の子分はただひとり。
目の前でただただ呆然としている三下の清蔵だけだ。
「あのバカやろう。
敵に寝返るとは、いってぇどういう神経をしてやがる。
長年の紋次親分の恩を仇で返すとは、この俺が絶対に許さねぇ。
止めるんじゃねぇぞ。啓蔵の馬鹿野郎をたたっ斬ってくる!」
裏切り者は許せねぇと、代貸の新五郎が長脇差を握って立ちあがる。
絶対に息の根をとめてやると、激しくいきり起つ。
しかし。紋次親分が、それを許さない。
「冷静になれ、新五郎。明日は市が立つ日だ。
啓蔵がいなくなったからといって、佐野屋の賭場を閉めるわけにはいかねぇ。
殴り込みをかける前に、明日のことを考えるのが先決だ」
紋次親分が、中盆の武士(たけし)村の惣次郎を呼びつける。
「明日から、おめえは代貸だ。そのまま、佐野屋の賭場を守ってくれ」
紋次親分が、残った子分たちをぐるりと見回す。
中盆に、伊与久村の鶴八。つづいて忠治が指名される。
「忠治。おめえは佐野屋の賭場で壺を振れ」
文蔵も伊勢屋の賭場で、壺を振ることが決まる。
2人にとって、棚からぼたもちと言える昇進だ。
「いいか、みんな。くれぐれも早まるんじゃねぇぞ。
騒ぎなんか起こすんじゃねぇ。すべては市を無事に終わりにしてからだ」
わかったなと、紋次親分がじろりと、子分たちを睨む。
「下手に動くなよ。それこそ伊三郎の思うつぼだ。
あの野郎は俺たちが啓蔵を殺しに行くのを、十手を片手に待ち構えている。
啓蔵の首を取ったとたん、かたっぱしからお縄にされちまうだろう。
あいつはそうなるのを待ってるんだ。
そんなことになってみろ。百々一家は伊三郎と戦う前に自滅しちまう。
悔しいだろうがここは我慢しろ。
いいな、みんな。ここが辛抱のしどころだ」
紋次親分のいましめは正しい。子分たちもそれ以上、何も言えない。
誰もが我慢した。そして客人たちに気付かれないよう、翌日の賭場を全員で仕切る。
しかし次の日の未明。代貸の新五郎を筆頭に10人の子分が集まって来た。
もちろん、紋次親分はこのことを一切知らない。
11人の集団が武器を手に、暗い中、柴宿へ向かう。
いずれも鉢巻きにたすき掛け。腰に長脇差をぶち込んでの喧嘩支度(したく)。
中には槍を担いでいる者さえいる。
もちろんこの中に、手裏剣をにぎりしめた文蔵と愛刀を腰に差した忠治がいる。
街道が川の手前で途切れる。武士(たけし)の渡しだ。
この向こう側が、柴宿。だが川を渡ることは出来ない。
十手を持った伊三郎が、おおぜいの子分を引き連れて対岸を埋めつくしている。
巡回に来た八州取締役の姿も、その中に見える。
悔しいが、これではどうしょうもない。
広瀬川を渡った瞬間、おそらく全員が捕まってしまうことになる。
「くそ。悔しいが出直しだ・・・おい。けえるぞ」
歯を食いしばった新五郎が、その場から全員を引き揚げさせる。
権力と十手に刃向うことはできない。
武士(たけし)の渡し場から引き返すということは、その先に有る柴宿が、
伊三郎のものになったことを認めるものだ。
百々一家が守って来た縄張りの中に、ついに島村の伊三郎が
食い込んできたことを意味する。
(畜生。裏切り者の敬蔵は、絶対に許しちゃおかねぇ。
しかしそれ以上に、島村の伊三郎のやつも許せねぇ。
十手を持っていることをいいことに、伊三郎のやつめ、好き放題をやりやがる。
いまにみてろ。俺が天罰を下してやる。
お天道様がおめぇの罪を許しても、この国定忠治が、絶対におめえを許さねぇ)
(57)へつづく
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第四章 お町ふたたび ⑧
激しい衝撃が、百々一家の中を駆け抜けていく。
無理もない。大黒柱のひとり。代貸しの柴の啓蔵が百々一家を裏切ったからだ。
啓蔵は、佐野屋の賭場を仕切っていた。
その啓蔵が、前触れもなく突然、宿敵の伊三郎一家に子分全員をつれて、
寝返っていったという。
百々一家に残った啓蔵の子分はただひとり。
目の前でただただ呆然としている三下の清蔵だけだ。
「あのバカやろう。
敵に寝返るとは、いってぇどういう神経をしてやがる。
長年の紋次親分の恩を仇で返すとは、この俺が絶対に許さねぇ。
止めるんじゃねぇぞ。啓蔵の馬鹿野郎をたたっ斬ってくる!」
裏切り者は許せねぇと、代貸の新五郎が長脇差を握って立ちあがる。
絶対に息の根をとめてやると、激しくいきり起つ。
しかし。紋次親分が、それを許さない。
「冷静になれ、新五郎。明日は市が立つ日だ。
啓蔵がいなくなったからといって、佐野屋の賭場を閉めるわけにはいかねぇ。
殴り込みをかける前に、明日のことを考えるのが先決だ」
紋次親分が、中盆の武士(たけし)村の惣次郎を呼びつける。
「明日から、おめえは代貸だ。そのまま、佐野屋の賭場を守ってくれ」
紋次親分が、残った子分たちをぐるりと見回す。
中盆に、伊与久村の鶴八。つづいて忠治が指名される。
「忠治。おめえは佐野屋の賭場で壺を振れ」
文蔵も伊勢屋の賭場で、壺を振ることが決まる。
2人にとって、棚からぼたもちと言える昇進だ。
「いいか、みんな。くれぐれも早まるんじゃねぇぞ。
騒ぎなんか起こすんじゃねぇ。すべては市を無事に終わりにしてからだ」
わかったなと、紋次親分がじろりと、子分たちを睨む。
「下手に動くなよ。それこそ伊三郎の思うつぼだ。
あの野郎は俺たちが啓蔵を殺しに行くのを、十手を片手に待ち構えている。
啓蔵の首を取ったとたん、かたっぱしからお縄にされちまうだろう。
あいつはそうなるのを待ってるんだ。
そんなことになってみろ。百々一家は伊三郎と戦う前に自滅しちまう。
悔しいだろうがここは我慢しろ。
いいな、みんな。ここが辛抱のしどころだ」
紋次親分のいましめは正しい。子分たちもそれ以上、何も言えない。
誰もが我慢した。そして客人たちに気付かれないよう、翌日の賭場を全員で仕切る。
しかし次の日の未明。代貸の新五郎を筆頭に10人の子分が集まって来た。
もちろん、紋次親分はこのことを一切知らない。
11人の集団が武器を手に、暗い中、柴宿へ向かう。
いずれも鉢巻きにたすき掛け。腰に長脇差をぶち込んでの喧嘩支度(したく)。
中には槍を担いでいる者さえいる。
もちろんこの中に、手裏剣をにぎりしめた文蔵と愛刀を腰に差した忠治がいる。
街道が川の手前で途切れる。武士(たけし)の渡しだ。
この向こう側が、柴宿。だが川を渡ることは出来ない。
十手を持った伊三郎が、おおぜいの子分を引き連れて対岸を埋めつくしている。
巡回に来た八州取締役の姿も、その中に見える。
悔しいが、これではどうしょうもない。
広瀬川を渡った瞬間、おそらく全員が捕まってしまうことになる。
「くそ。悔しいが出直しだ・・・おい。けえるぞ」
歯を食いしばった新五郎が、その場から全員を引き揚げさせる。
権力と十手に刃向うことはできない。
武士(たけし)の渡し場から引き返すということは、その先に有る柴宿が、
伊三郎のものになったことを認めるものだ。
百々一家が守って来た縄張りの中に、ついに島村の伊三郎が
食い込んできたことを意味する。
(畜生。裏切り者の敬蔵は、絶対に許しちゃおかねぇ。
しかしそれ以上に、島村の伊三郎のやつも許せねぇ。
十手を持っていることをいいことに、伊三郎のやつめ、好き放題をやりやがる。
いまにみてろ。俺が天罰を下してやる。
お天道様がおめぇの罪を許しても、この国定忠治が、絶対におめえを許さねぇ)
(57)へつづく
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