忠治が愛した4人の女 (59)
第四章 お町ふたたび ⑪
「おいらにはよく分んないんですが、どうしてみんなウチの親分を裏切って、
次から次に、伊三郎のところへ行っちゃうんですか?」
「決まってらぁな。銭に目がくらむからさ。
中には伊三郎みたいに、十手を欲しがる奴もいる」
「伊三郎のとこへ行ったウチの代貸たちはみんな、銭と十手に、
目がくらんだのですか?・・・」
「その通りよ。
伊三郎のやつは、銭と十手で勢力を広げてきた。
あいつのところへ集まっている代貸たちは、もともとは小さいながらも、
一家を張っていた親分衆たちだ。
伊三郎の傘下へ入ったほうが勢力をひろげられると、2つ返事で子分になった。
うちの親分も声をかけられた。
だがよ、うちの親分は、きっぱりと断った。
二足のワラジを履くような奴は渡世人じゃねぇと、はっきり言ってな」
2足のワラジは、相反する仕事を同時にこなすことをいう。
ひとりの人間が、同時に、2足のワラジを履くことは出来ない。
この時代。博徒が自分の仕事と相反する十手を預かることを、「2足のワラジ」と呼んだ。
汚い男、あるいは、裏表の有る生き方の別称でもある。
しかし博徒の中で、2足のワラジを履いたのは、島村の伊三郎だけではない。
おおくの博徒が自分の縄張りを守るため、2足のワラジを履いた。
博奕打ちが十手をあずかる。
自分たちを取り締まるはずの岡っ引きの役を、同時に兼ねることになる。
なんとも矛盾した話だ。
博奕打ちと岡っ引きでは、立場がまったく異なる。
絶対に両立しないはずだ。
だが悪賢い人間は、相反するこの2つの立場を、最大限に利用する。
十手の威力を巧妙にかつ最大限に駆使する男、それが島村一家の伊三郎という男だ。
翌日。いつものように、境の宿に市が立つ。
伊三郎の子分たちが俺たちの賭場だという顔つきで、境の宿へ乗り込んで来る。
子分たちが大黒屋、佐野屋、さらに桐屋の3ヵ所で賭場をひらく。
百々一家の賭場はついに、伊勢屋の一ケ所だけになってしまった。
そんな中でも親分の紋次は、子分たちに厳しい命令を出す。
「市の開催中は、島村一家と面倒をおこすんじゃねぇ。
堅気の衆たちに迷惑がかかる。
命令を無視して面倒をおこしたやつは、親分子分の縁を切る!」
全員にきつく言いわたす。
しかし宿場では、伊三郎の子分たちが、でかい面をして歩き回っている。
忠治と文蔵ははらわたが煮えくり返る思いで、歯をくいしばる。
ひたすら我慢を重ねていく。
その日は何もおこらなかった。しかし。市が終えた次の日の朝。
百々一家の子分のひとりが、伊三郎の子分たちに取り囲まれ、袋叩きにされた。
傷だらけで帰って来た子分を見て、思わず、忠治と文蔵が長脇差をつかんで
立ち上がる。
「おい。どこへいくんだ、おまえら!」
いきり立つ2人を、代貸の新五郎が制止する。
「代貸。もう、止めねえでくだせぇ。
仲間が、袋叩きにされたんだ。
このまま黙って見過ごしていたら、百々一家が世間の笑いものになる。
もうおとなしくしていられねぇ。
境宿に居る伊三郎の子分どもを片っ端から、俺たちが、たたっ斬ってやる!」
「馬鹿やろう。軽はずみな真似をするんじゃねぇ。
おめえたちが刀を振り回してどうすんだ。伊三郎の奴は、それを待っている。
伊三郎のたくらみなんかに乗るんじゃねぇ。
頭を冷やせ。この、とうへんぼく」
新五郎が両手を広げて2人を止める。厳しい顔で忠治と文蔵の顔を睨む。
「何です代貸、その企みというのは?」
負けじと文蔵も、怖い目で新五郎を睨み返す。
「伊三郎のやつは、俺たちがカッときて、子分の誰かを斬るのを待ってるんだ。
おまえらがのこのこ出かけて伊三郎の子分どもと喧嘩してみろ。
けが人が出た瞬間、待ってましたとばかりに十手を構えて、
伊三郎のやつが、ここへ乗り込んでくる」
「どうして代貸に、そんなことが分かるんでぇ」
語気を強めて文蔵が、代貸に詰め寄る。
悪い男ではない。だが文蔵という男は、すぐ頭に血がのぼる。
喧嘩早いのが難点なのだ。だがそれもまた、この男の持っている魅力の
ひとつでもある。
(60)へつづく
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第四章 お町ふたたび ⑪
「おいらにはよく分んないんですが、どうしてみんなウチの親分を裏切って、
次から次に、伊三郎のところへ行っちゃうんですか?」
「決まってらぁな。銭に目がくらむからさ。
中には伊三郎みたいに、十手を欲しがる奴もいる」
「伊三郎のとこへ行ったウチの代貸たちはみんな、銭と十手に、
目がくらんだのですか?・・・」
「その通りよ。
伊三郎のやつは、銭と十手で勢力を広げてきた。
あいつのところへ集まっている代貸たちは、もともとは小さいながらも、
一家を張っていた親分衆たちだ。
伊三郎の傘下へ入ったほうが勢力をひろげられると、2つ返事で子分になった。
うちの親分も声をかけられた。
だがよ、うちの親分は、きっぱりと断った。
二足のワラジを履くような奴は渡世人じゃねぇと、はっきり言ってな」
2足のワラジは、相反する仕事を同時にこなすことをいう。
ひとりの人間が、同時に、2足のワラジを履くことは出来ない。
この時代。博徒が自分の仕事と相反する十手を預かることを、「2足のワラジ」と呼んだ。
汚い男、あるいは、裏表の有る生き方の別称でもある。
しかし博徒の中で、2足のワラジを履いたのは、島村の伊三郎だけではない。
おおくの博徒が自分の縄張りを守るため、2足のワラジを履いた。
博奕打ちが十手をあずかる。
自分たちを取り締まるはずの岡っ引きの役を、同時に兼ねることになる。
なんとも矛盾した話だ。
博奕打ちと岡っ引きでは、立場がまったく異なる。
絶対に両立しないはずだ。
だが悪賢い人間は、相反するこの2つの立場を、最大限に利用する。
十手の威力を巧妙にかつ最大限に駆使する男、それが島村一家の伊三郎という男だ。
翌日。いつものように、境の宿に市が立つ。
伊三郎の子分たちが俺たちの賭場だという顔つきで、境の宿へ乗り込んで来る。
子分たちが大黒屋、佐野屋、さらに桐屋の3ヵ所で賭場をひらく。
百々一家の賭場はついに、伊勢屋の一ケ所だけになってしまった。
そんな中でも親分の紋次は、子分たちに厳しい命令を出す。
「市の開催中は、島村一家と面倒をおこすんじゃねぇ。
堅気の衆たちに迷惑がかかる。
命令を無視して面倒をおこしたやつは、親分子分の縁を切る!」
全員にきつく言いわたす。
しかし宿場では、伊三郎の子分たちが、でかい面をして歩き回っている。
忠治と文蔵ははらわたが煮えくり返る思いで、歯をくいしばる。
ひたすら我慢を重ねていく。
その日は何もおこらなかった。しかし。市が終えた次の日の朝。
百々一家の子分のひとりが、伊三郎の子分たちに取り囲まれ、袋叩きにされた。
傷だらけで帰って来た子分を見て、思わず、忠治と文蔵が長脇差をつかんで
立ち上がる。
「おい。どこへいくんだ、おまえら!」
いきり立つ2人を、代貸の新五郎が制止する。
「代貸。もう、止めねえでくだせぇ。
仲間が、袋叩きにされたんだ。
このまま黙って見過ごしていたら、百々一家が世間の笑いものになる。
もうおとなしくしていられねぇ。
境宿に居る伊三郎の子分どもを片っ端から、俺たちが、たたっ斬ってやる!」
「馬鹿やろう。軽はずみな真似をするんじゃねぇ。
おめえたちが刀を振り回してどうすんだ。伊三郎の奴は、それを待っている。
伊三郎のたくらみなんかに乗るんじゃねぇ。
頭を冷やせ。この、とうへんぼく」
新五郎が両手を広げて2人を止める。厳しい顔で忠治と文蔵の顔を睨む。
「何です代貸、その企みというのは?」
負けじと文蔵も、怖い目で新五郎を睨み返す。
「伊三郎のやつは、俺たちがカッときて、子分の誰かを斬るのを待ってるんだ。
おまえらがのこのこ出かけて伊三郎の子分どもと喧嘩してみろ。
けが人が出た瞬間、待ってましたとばかりに十手を構えて、
伊三郎のやつが、ここへ乗り込んでくる」
「どうして代貸に、そんなことが分かるんでぇ」
語気を強めて文蔵が、代貸に詰め寄る。
悪い男ではない。だが文蔵という男は、すぐ頭に血がのぼる。
喧嘩早いのが難点なのだ。だがそれもまた、この男の持っている魅力の
ひとつでもある。
(60)へつづく
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