忠治が愛した4人の女 (57)
第四章 お町ふたたび ⑨

最初の襲撃に失敗した日から2日後。
新五郎がふたたび、2人の子分を連れて柴宿へ殴り込みをかけた。
しかし敬蔵たちは、すでに旅に出た後だ。
子分たちも誰ひとり残っていない。
(遅かったか。おそらく伊三郎の入れ知恵で旅に出たんだろう。
つくづく運のいいやつだぜ、敬蔵のやろうは・・・)
今まで賭場をひらいてきた若松屋も、すでに伊三郎の手に落ちている。
若松屋の前に、これ見よがしに伊三郎の子分が、5人も見張りに立っている。
これでは近づくこともできない。
しかし。2人の子分が引き下がろうとしない。
「新五郎の兄貴。
こうなりゃ、若松屋の賭場を荒らしてやりましょう。
裏切り者の敬蔵は居ませんが、かわりに伊三郎一家の代貸をたた斬れば、
いくらか気も晴れますぜ」
「そいつは駄目だ。肝心の敬蔵が旅に出たんじゃ話にならねぇ。
それに伊三郎の代貸を斬ったんじゃ、よけいな詮議がウチにふりかかってくる。
境の宿場を、十手もちがウロウロしていたんじゃ、客人たちも安心して遊べねぇ。
賭場に客が来なくなれば、百々一家は潰れることになる」
「じゃ、どうすりゃいいでぇ、新五郎の兄貴。
このままじゃ武士からこっちのシマは、伊三郎のやつにとられちまいます!」
「悔しいが、しょうがねぇ。いまは我慢するしかねぇ。
境の賭場が安泰なら、百々一家が潰れるようなことはねえだろう。
親分が言うように、いまはじっと我慢するしか、ほかに手はねぇようだ・・・」
新五郎と2人の子分が、唾を吐き捨てて柴宿から引き返していく。
この頃から百々一家の紋次親分が酒浸りになる。
信頼していた敬蔵に裏切られたことが、よほどこたえたのだろう。
大酒を呑み、気をまぎらわすようになる。
だがこの大酒が、紋次の命を縮めることになる。
百々一家の縄張りが、ずいぶん狭くなってきた。
しかしそのことが、一家の結束をかえって堅いものにした。
柴宿を手に入れた伊三郎も、すこしばかり静観の気配を見せている。
伊三郎という男は、根っからずる賢い男だ。
自分から墓穴を掘るような真似は、絶対しない。
手に入れた柴宿も、「旅に出た敬蔵に、留守を頼まれただけだ」
と周りの親分衆たちにうそぶいている。
百々一家と伊三郎一家は膠着状態を保ったまま、その年が暮れていく。
境宿に、木枯らしの冬がやって来る。
いつものように新年の挨拶が終わり、松が取れても、伊三郎の側に動きは無い。
旅に出た敬蔵も一向に帰って来る様子がない。
人の噂も75日。
裏切り者の敬蔵もいつの間にか、百々一家から忘れられた存在になる。
忠治と文蔵は壺振りになった。以前から比べれば、はるかに忙しくなっている。
そのぶん羽振りもよくなってきた。
弟分たちを引き連れて、女郎宿や居酒屋をあそび回る。
桜の花がふくらみかけてきた3月の末。水面下で伊三郎が動き出す。
狙われたのは、代貸の助次郎と胴元を務めている武士(たけし)村の惣次郎。
花が散り、すっかり葉桜にかわった4月の末。事態が露呈する。
忠治がお町と会い、いい気分で帰って来ると、座敷で親分がしおれきっている。
親分の前に、代貸の新五郎と中盆の岩吉が渋い顔で座っている。
「何かあったんですかい?」忠治が、廊下へ座っている三下の清蔵に声をかける。
「実は・・・代貸と胴元の2人が、伊三郎のとこに行っちゃったんです」
「えっ、ええ・・・!」忠治が驚きを隠せない。
穏便状態が続いていると思い、忠治もすっかり油断していた。
だが伊三郎は、ひそかに水面下で動いていた。
百々一家を弱体化させる工作が、水面下でちゃくちゃくと進行していた。
重要な賭場をしきっていた代貸と胴元が、同時に百々一家を裏切った。
事態は、きわめて深刻だ。
「親分。代貸と胴元が裏切ったてのは、本当なんですかい?」
「本当だ・・・くやしいがな」
答えたのは代貸の新五郎だ。
いつもならみんなの先頭に立ち、いまから殴り込みだと威勢良く吠える新五郎が、
今日に限っておとなしい。
忠治があらためて部屋の中を見回す。
たしかに、代貸の助次郎と、武士の惣次郎の姿が見えない。
そしてその子分たちも、ひとりも姿が見当たらない。
(58)へつづく
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第四章 お町ふたたび ⑨

最初の襲撃に失敗した日から2日後。
新五郎がふたたび、2人の子分を連れて柴宿へ殴り込みをかけた。
しかし敬蔵たちは、すでに旅に出た後だ。
子分たちも誰ひとり残っていない。
(遅かったか。おそらく伊三郎の入れ知恵で旅に出たんだろう。
つくづく運のいいやつだぜ、敬蔵のやろうは・・・)
今まで賭場をひらいてきた若松屋も、すでに伊三郎の手に落ちている。
若松屋の前に、これ見よがしに伊三郎の子分が、5人も見張りに立っている。
これでは近づくこともできない。
しかし。2人の子分が引き下がろうとしない。
「新五郎の兄貴。
こうなりゃ、若松屋の賭場を荒らしてやりましょう。
裏切り者の敬蔵は居ませんが、かわりに伊三郎一家の代貸をたた斬れば、
いくらか気も晴れますぜ」
「そいつは駄目だ。肝心の敬蔵が旅に出たんじゃ話にならねぇ。
それに伊三郎の代貸を斬ったんじゃ、よけいな詮議がウチにふりかかってくる。
境の宿場を、十手もちがウロウロしていたんじゃ、客人たちも安心して遊べねぇ。
賭場に客が来なくなれば、百々一家は潰れることになる」
「じゃ、どうすりゃいいでぇ、新五郎の兄貴。
このままじゃ武士からこっちのシマは、伊三郎のやつにとられちまいます!」
「悔しいが、しょうがねぇ。いまは我慢するしかねぇ。
境の賭場が安泰なら、百々一家が潰れるようなことはねえだろう。
親分が言うように、いまはじっと我慢するしか、ほかに手はねぇようだ・・・」
新五郎と2人の子分が、唾を吐き捨てて柴宿から引き返していく。
この頃から百々一家の紋次親分が酒浸りになる。
信頼していた敬蔵に裏切られたことが、よほどこたえたのだろう。
大酒を呑み、気をまぎらわすようになる。
だがこの大酒が、紋次の命を縮めることになる。
百々一家の縄張りが、ずいぶん狭くなってきた。
しかしそのことが、一家の結束をかえって堅いものにした。
柴宿を手に入れた伊三郎も、すこしばかり静観の気配を見せている。
伊三郎という男は、根っからずる賢い男だ。
自分から墓穴を掘るような真似は、絶対しない。
手に入れた柴宿も、「旅に出た敬蔵に、留守を頼まれただけだ」
と周りの親分衆たちにうそぶいている。
百々一家と伊三郎一家は膠着状態を保ったまま、その年が暮れていく。
境宿に、木枯らしの冬がやって来る。
いつものように新年の挨拶が終わり、松が取れても、伊三郎の側に動きは無い。
旅に出た敬蔵も一向に帰って来る様子がない。
人の噂も75日。
裏切り者の敬蔵もいつの間にか、百々一家から忘れられた存在になる。
忠治と文蔵は壺振りになった。以前から比べれば、はるかに忙しくなっている。
そのぶん羽振りもよくなってきた。
弟分たちを引き連れて、女郎宿や居酒屋をあそび回る。
桜の花がふくらみかけてきた3月の末。水面下で伊三郎が動き出す。
狙われたのは、代貸の助次郎と胴元を務めている武士(たけし)村の惣次郎。
花が散り、すっかり葉桜にかわった4月の末。事態が露呈する。
忠治がお町と会い、いい気分で帰って来ると、座敷で親分がしおれきっている。
親分の前に、代貸の新五郎と中盆の岩吉が渋い顔で座っている。
「何かあったんですかい?」忠治が、廊下へ座っている三下の清蔵に声をかける。
「実は・・・代貸と胴元の2人が、伊三郎のとこに行っちゃったんです」
「えっ、ええ・・・!」忠治が驚きを隠せない。
穏便状態が続いていると思い、忠治もすっかり油断していた。
だが伊三郎は、ひそかに水面下で動いていた。
百々一家を弱体化させる工作が、水面下でちゃくちゃくと進行していた。
重要な賭場をしきっていた代貸と胴元が、同時に百々一家を裏切った。
事態は、きわめて深刻だ。
「親分。代貸と胴元が裏切ったてのは、本当なんですかい?」
「本当だ・・・くやしいがな」
答えたのは代貸の新五郎だ。
いつもならみんなの先頭に立ち、いまから殴り込みだと威勢良く吠える新五郎が、
今日に限っておとなしい。
忠治があらためて部屋の中を見回す。
たしかに、代貸の助次郎と、武士の惣次郎の姿が見えない。
そしてその子分たちも、ひとりも姿が見当たらない。
(58)へつづく
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