ロンドンオリンピックで、男子柔道が初めて金メダルゼロに終わったことが話題となっています。
というか、日本柔道界の指導的な立場にあると思われる方々が、「由々しきことだ」という感じの仰々しいコメントを出していることが話題となっています。
精神論に偏った指導であるとか、世界の柔道の流れの問題とか、それらを生かせない監督をはじめとする指導者に問題があるとか、色々な意見が出されています。
しかし金メダルの数よりも私が問題と思うのは、金を取れなかったことに深刻になっているこれらの人たちが、オリンピックというものの意味を理解しないままにオリンピックに出ているのではないか、オリンピックから浮いちゃっているのではないかということです。
オリンピック憲章にはこう書かれています。
1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。
2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
4.スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
オリンピックは「心も身体も高度に磨かれた人間を目指すものであり、人間の尊厳が保たれた平和な社会を推進することを目的とするものである」「フェアプレー精神で認め合い、友情を深めよう」といった感じでしょうか。
力を尽くしてゴールしたランナーが、サッカー選手が、競泳選手が、レース後に他国の選手と笑顔で言葉を交わし抱き合う姿には、4年間鍛え合ってきた者たちならではの友情を感じ、心が洗われるような感動を覚えました。
日本の柔道はどうだったでしょう。
今大会は、柔道のメダル獲得国・地域が23と過去最多となったといいます。
各国にすばらしい選手が育った証であり、そうしたライバルと凌ぎを削った試合ができれば、充実の笑顔と、互いにたたえ合う場面が生まれてもいいはずです。
指導的な立場にある人なら、各国の柔道が成長を遂げていること自体を歓迎し、日本の巻き返しの決意を明るく表明して欲しいところです。
しかし、銀や銅のメダルを獲得した選手達をテレビに向かってこきおろす篠原監督を見ていると、日本の選手達が、世界の仲間との相互理解を深める心境には無いんだろうなと思ってしまいます。
メダルの如何を問わず感動を与えてくれる他の競技と、別の世界で孤立してやっていているようにすら見えました。
柔道で7つのメダルを獲得して日本と並んだフランスは、柔道人口で日本の約20万人に対し、約60~80万人にも達しているといいます。
そして、日本の柔道が27年間で110人もの死亡事故を発生させて社会問題になっているのに対し、フランスではそのような事故は皆無だと伝えられています。
金メダルの数などよりもっと大事な問題で、日本が大きな遅れをとっていることがここにも現れているように思われます。
柔道の創始者、講道館師範の嘉納治五郎氏は「精力善用」「自他共栄」「礼節」などを柔道の目的として教えたとされます。
戦前という時代の影はあるとしても、今日のスポーツマンシップに通ずる卓越した思想が感じられます。
関係者の方々には、オリンピック精神を学び直して、柔道という競技のあるべき姿をよーく考えてもらいたいと思います。
柔道も、柔道に関心の無い人にも、もっともっと感動を与えることができるはずです。
66kg級3位決定戦、海老沼選手の鮮やかな大腰。柔道の魅力が爆発しました。
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