関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

 柔道男子「金ゼロ」より大変なこと

2012年08月06日 | よろず

 ロンドンオリンピックで、男子柔道が初めて金メダルゼロに終わったことが話題となっています。
 というか、日本柔道界の指導的な立場にあると思われる方々が、「由々しきことだ」という感じの仰々しいコメントを出していることが話題となっています。

 精神論に偏った指導であるとか、世界の柔道の流れの問題とか、それらを生かせない監督をはじめとする指導者に問題があるとか、色々な意見が出されています。
 しかし金メダルの数よりも私が問題と思うのは、金を取れなかったことに深刻になっているこれらの人たちが、オリンピックというものの意味を理解しないままにオリンピックに出ているのではないか、オリンピックから浮いちゃっているのではないかということです。

オリンピック憲章にはこう書かれています。
1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。
2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
4.スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
 オリンピックは「心も身体も高度に磨かれた人間を目指すものであり、人間の尊厳が保たれた平和な社会を推進することを目的とするものである」「フェアプレー精神で認め合い、友情を深めよう」といった感じでしょうか。

 力を尽くしてゴールしたランナーが、サッカー選手が、競泳選手が、レース後に他国の選手と笑顔で言葉を交わし抱き合う姿には、4年間鍛え合ってきた者たちならではの友情を感じ、心が洗われるような感動を覚えました。
 日本の柔道はどうだったでしょう。

 今大会は、柔道のメダル獲得国・地域が23と過去最多となったといいます。
 各国にすばらしい選手が育った証であり、そうしたライバルと凌ぎを削った試合ができれば、充実の笑顔と、互いにたたえ合う場面が生まれてもいいはずです。
 指導的な立場にある人なら、各国の柔道が成長を遂げていること自体を歓迎し、日本の巻き返しの決意を明るく表明して欲しいところです。

 しかし、銀や銅のメダルを獲得した選手達をテレビに向かってこきおろす篠原監督を見ていると、日本の選手達が、世界の仲間との相互理解を深める心境には無いんだろうなと思ってしまいます。
メダルの如何を問わず感動を与えてくれる他の競技と、別の世界で孤立してやっていているようにすら見えました。

  柔道で7つのメダルを獲得して日本と並んだフランスは、柔道人口で日本の約20万人に対し、約60~80万人にも達しているといいます。
 そして、日本の柔道が27年間で110人もの死亡事故を発生させて社会問題になっているのに対し、フランスではそのような事故は皆無だと伝えられています。
  金メダルの数などよりもっと大事な問題で、日本が大きな遅れをとっていることがここにも現れているように思われます。

 柔道の創始者、講道館師範の嘉納治五郎氏は「精力善用」「自他共栄」「礼節」などを柔道の目的として教えたとされます。
 戦前という時代の影はあるとしても、今日のスポーツマンシップに通ずる卓越した思想が感じられます。

 関係者の方々には、オリンピック精神を学び直して、柔道という競技のあるべき姿をよーく考えてもらいたいと思います。
 柔道も、柔道に関心の無い人にも、もっともっと感動を与えることができるはずです。


66kg級3位決定戦、海老沼選手の鮮やかな大腰。柔道の魅力が爆発しました。

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原問題、プロ野球機構は何してる?~プロ野球の体質に疑問~

2012年06月23日 | よろず

プロ野球巨人軍の原辰徳監督が、過去に女性問題で強請られて一億円を支払ったことが報道されていますが、朝日新聞は強請った犯人らを「元組員」
と掲載しています。
読売新聞は朝日新聞の報道に抗議しているようですが、朝日側も相当の確証が無ければこのような報道はしないものと思われます。

仮に朝日報道の通りであれば、原氏は即刻クビどころか、野球界追放となるべき重大問題なのではないかと思います。
私は、読売新聞や巨人軍はともかく、原氏に何の悪い印象も持っていませんが、プロ野球が社会貢献を目的とする団体であるならば、避けられないことです。

プロ野球機構のHPには、次のような「宣言」がありました。
暴力団等排除宣言 http://www.npb.or.jp/npb/20031209declaration.html
これを明確に踏みにじったことになります。
(ちなみに、日本サッカー協会は、「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と、社会の発展に貢献すること」を目的として謳う、「定款」をHPにも掲載していますが、プロ野球機構のHPの中にはそのような目的や理念のようなものは見あたりませんでした。)
 
それにしては、マスコミの報道は及び腰です。
昨年の島田紳助氏の際の連日の報道と比べると非常におかしな状況です。

まあ、消費税増税問題、原発再稼働問題など、より重要な問題もある訳ですから仕方がないか、
と思ったら、そっちの報道もさっぱりじゃないですか!!

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食文化鶴岡で日本酒を!

2012年05月11日 | よろず

先日、市内某店で会食した時の事。

飲み物メニューには「日本酒」としか記載が無いので、「他にありませんか?」と聞いたところ、白露垂珠の純米が出てきました。
「よっしゃ!」と歓声を上げて、栓を開けたのですがアラ残念。
香りが乏しく、味も何ともやせたと言うか、枯れたと言うか。




ラベルを見ると、「上槽火入年月10.3」とあります。一昨年の酒、それもあまり保管も良くなかったのかも・・。

料理の方は、鶴岡のおいしい食材を見事に仕上げた素晴らしい品の数々、しかもリーズナブル、「鶴岡に住んでてよかったあ~」と何度も思わされる素晴らしいものだっただけに惜しい。

日本酒なんかにこだわる私がワガママなのか?




いや、鶴岡の酒は全国に誇れる宝であり、世界に誇る鶴岡の食文化の重要な一翼ではないかと思うのです。
近年は、おいしい料理においしい酒を揃えるお店も増えてきたようですが、お酒が料理に追いついていない、追いつかせようと思っていないお店は沢山あります。
おいしい酒を揃えようとすれば、当然コストがかかる訳ですが、「食文化」を深く捉えれば出来る範囲でいいから何か揃えて頂きたいし、「食文化」でお客が増えるとするなら揃える値打ちはあると思うのですがねえ。

まあ、私の「食文化」「日本酒文化」に関する知識などまだまだ幼稚なものですから、これからもっと勉強し、鶴岡の地域振興に資するものとして日本酒の値打ちを広めるために微力ながら取り組んでいこうと思っているところです。

自他共に認める日本酒好きですが、そのためだけでは無い積もりです。
信じて下さい。ホントです。

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桜花から新緑へ

2012年04月30日 | よろず

今年の桜は、鶴岡公園の蕾がほころびかけたところで大風となって心配しましたが、結構長く楽しめたようです。

私の花見は、24日に用があって公園に行ったついでに、一人でグルッと一周して来た程度ですが、それでもとてもいい時間でした。
友人同士、親子連れ、三世代(見た目ですが)、行き交う人もにこやかで、みんなで幸せを分け合っているような気持ちになります。












日はばたばたと過ぎて昨日29日、近所の藤原安産地蔵尊の桜がハラハラと散り、葉桜に移り変わっていくところでした。
小さなお宮のささやかな桜、ここにゴザを敷いて花見をする人はいませんが、やっぱり近所の人が毎日眺めて歩く大切な桜です。





(かつてここに聳えていた大ケヤキの幹が祀られています)

今月は、悲惨な交通事故が続き、政治の世界は相変わらず国民を苛立たせる動きが目につきますが、花見は人々の心を暫し明るくしてくれます。

私の好きな和風総本家なら、「にっぽんて、いいなあ」というところです。

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「紳助引退惜しむ」、にムカッ 

2011年08月25日 | よろず

 タレントの島田紳助氏(親しみが感じられる「島田さん」という呼び方には違和感を持ちます)が暴力団との交際を理由に突然芸能界引退を表明したことがマスコミの最大のニュースになっています。
 
 私は、報道の多くが「引退を惜しむ」的なものになっていることに強い憤りを感じています。

 暴力団とは、「その団体の構成員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」と定義(暴力団対策法)され、「威力を示しての民事介入暴力などの暴力的要求行為」(同)をおこない、その存在そのものが「付近住民に不安を与え」、平穏な市民生活を脅かす反社会的集団です。
 たとえば、人格と生活を破壊し、親族縁者をも地獄に引き込む覚醒剤中毒について見ても、覚醒剤取締法違反で検挙される人数が年間一万人超(H19年度12211人。その内308人が少年!)にも達しています(もちろん氷山の一角です)が、それは覚醒剤を重要な資金源とする暴力団の密売によってもたらされているものです。

 暴力団は、人間の尊重を基本的価値とする市民社会とはまったく相容れない存在であり、それに対する対応は、「排除し、撲滅を図る」ことしかありません。
 この集団と厳しく対決することが社会に求められる中、島田氏のような著名人が「関係を持つ」ことは、絶対に容認されるものではありません。

  マスコミは、島田氏と暴力団の関係の糾明とともに、その行為の重大性を徹底的に明らかにすべきであり、個人的な感情から引退を惜しむ芸能人などの声を垂れ流すことは、やめるべきです。

 暴力団のニュースを浅はかな芸能ニュースの基準で扱うことは、報道機関としての使命の放棄でしょう。
 そもそも、「使命」の自覚があるのかどうかすら定かではありませんが・・。

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 「まちキネ」にて「一枚のハガキ」に感動

2011年08月17日 | よろず

 まちなかキネマで、映画「一枚のハガキ」を観ました。公式HPhttp://www.ichimai-no-hagaki.jp/
 実にすばらしい映画でした。
 
 赤紙一枚でかり出された海軍二等兵松山啓太(豊川悦司)の一枚のハガキとの出会いとそれからの人生と、
 ハガキを書いた森川友子(大竹しのぶ)の人生が同時並行のように進み、そして破滅の縁での二人の出会い。
 
 百名の部隊の中で、くじ運によって生き残った6人の一人としての松山の苦渋、
 死んだ(殺された)94人の恨みであるかのような、松山に対する友子の罵倒、
  重く、息を呑むシーンが続きます。
 
 戦中の農民の極貧の暮らし、「家」の奴隷としての嫁、
 その中にも存在した夫婦の情愛、
 それを理不尽にも踏みにじる戦争、

 設定はリアリティーがあり、かつ人間と社会の本質的テーマを幾重にも重ねた分厚いものであり、それを、今を生きる私たちにどっぷり感情移入させる演出と演技。

 極限的な状況の中で見せるユーモアも特別な力を持っていました。
 それは何も上品なものでは無く、素朴な、愚直な笑いが、
 重苦しい状況から、最後に示される希望のシーンに、観る者の心を橋渡ししてくれたように感じられました。

  大竹しのぶの演技がスゴかった。
 運命に虐げられて、人間の感情を無くした貧農の嫁の姿
 巨大な運命の力に対して遂に激しい怒りを吐く鬼の形相、
 感情が破綻し炎に焼かれようとするおどろおどろしい姿。
 ずたずたになった自分を「こんなぼろくずみたいな女」と言うシーンがありますが
 どん底の暮らしの中でも亡夫への愛情をそこはかとなく漂わせる姿には、松山を(男心を)引きつけるものが確かに表現されていました。
 私は、強烈に惹きつけられましたね、正直言って。

 映画を観て心に残ったものは、「戦争」と「(庶民の)幸せ」ですね。
 前者が絶対的な権力であり、最悪の人間破壊であることが暴かれるとともに、
 後者が戦争に簡単に踏みにじられる儚いものであるけれども、美しく希望に溢れたものとして力強く復活します。
 
 夫婦が、一歩いっぽ踏みしめながら生み出そうとしている「幸せ」の姿は、私が観てきた数ある映画の中でも出色のシーンでした。

 感動したという他ありません。
 
 以上、映画評論(?)をしようとは毛頭思っていませんで、多くの方に是非とも観て頂きたいというメッセージにさせて頂きます。

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天神祭で正体不明の化け物に遭遇

2010年05月25日 | よろず

 5月25日(火)、鶴岡天神祭がおこなわれました。
 前日の雨で天気が心配されましたが何とか持ちこたえ、夕方になってパレード終了を見計らったかのようにドッと雨が落ちてきました。
 パレード参加は去年の116%ということでなかなか盛り上がったようです。
 
 午前中、自宅近くにある春日神社に立ち寄り、羽黒街道に出たら第二コミセン前で獅子舞がおこなわれていましたのでそれぞれ撮影してみました。
 

 

 健康のこと、仕事のこと、家族のこと、etc.・・、多くの方が忙しい日々を過ごし、色んな悩みを抱えているのでしょうが、この日ばかりは皆さん明るく幸せな顔です。
 市民が一緒に笑顔で過ごせる祭りの日、本当にいいものです。

 途中、「化け物」さんから「おう、関さん」と声をかけられました。
 私と同年配かそれより上の男性だと言うことしかわかりませんので、私が「あれ~?」と呻きますと、「オレだ、佐藤だ、まんずよ!」と去っていきました。
 しかし・・。
 私には約百人の「佐藤さん」の知り合いがいますので、残念ながら「佐藤さんの化け物」は正体不明のままになりました。
 「3年間化け物をやって誰にもバレなければ願いが叶う」と言い伝えられていますから、このような大物の化け物さんは、きっと大願を成就させるだろうナと思いました。
 
 


新緑の羽黒山麓

2010年05月06日 | よろず

 連休最終日の5日午後、羽黒山麓をちょこっとドライブしてみました。

 「大鳥居」をくぐって、月山方面に向かう道路沿いには、新緑の中に桜や桃がそこかしこと花を咲かせ、間近に見える月山の残雪とのコントラストが鮮やかです。

 

 

 

 1日以降の5日間、いつもと同じく色々な仕事をしてました。
 しかし、5日は2時間ばかりではありましたがカミさんと春の羽黒山を回ったものですから、「ゴールデンウィークを過ごした」ような気持ちになりました。
 
 「錯覚」ですね。

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花冷えの鶴岡公園

2010年04月21日 | よろず
 今年の鶴岡公園の桜は、開花直前に酷い冷え込みがあり、開花宣言が出てからも寒い日が続いてさんざんでした。
 しかしまあ、開花してすぐに大風で散ってしまった年もありますから、それに比べればマシな方かも知れません。

 
 政治がダメで景気が世相が暗くても、桜は一時華やいだ気持ちにさせてくれます。

 


 

  ゆっくり花見の時間はありませんが、市役所にちょくちょく行くのでその行き帰りにせっせと撮影しました。

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さくら、開花前日

2010年04月13日 | よろず
 13日(火)、鶴岡公園の桜の開花宣言が出されました。
 これは、その前日の画像です。

 ほとんどの木の蕾がふくらみ、全体が桜色に見えます。
 
 
出店も準備が整ったようで、あとは3分、5分と、花が咲き広がるのを待つばかりです。





 明日は、エライ天気が悪くなりそうですが、その後、花見は何日がいいかな?