@この書籍『廃県置藩』は「廃藩置県」の逆転発想を現代に採用できないかというものだ。現在の東京一極集中機能を地方に分散させる方法を歴史から紐解き提案している。現在の地方の財源から見ると、とてつもなく「親方日の丸」頼りになっており、従って様々な権限も地方には委せきれない状況ではないかと予測できる。但し、出来ないからと言っていつまでも「負んぶに抱っこ」では中央の役人に権限が集中し、腐乱(不正)を起こしかねない。すでに権限を利用した事件等が多発しているが、監視体制の優でいうならば、家康の「一人に花と実を与えない」方式を取るべきだと思う。コストはかかるかもしれないが、競争することにより充実したより良い政策が実行されると思う。 さて地方機能分散も含め、地方での「発信力」はネット等の利便性もあり、格段に伸ばしており世界を視野にした「新たな文化創造」となる柱を作る良いタイミングではないかと予測できる。インバウンド効果、オリンピック開催効果など地方への呼び込みの期待は今が大事だと痛感する。具体的には紙幣を持ち歩かなくてもよい「デジタルウオレット(電子決済・ApplePay, AliPay, WeChatPay, Suica, QR etc)地方の独自の通貨もあり」、どこでも無料「Wi-Fi設備」、なんでも相談・案内「デジタル翻訳・観光ガイド案内人検索機能」、どこでもホットスポット発見機能・自動情報収集「ビーコン的システム」(歩いているだけで欲しい情報が自動的にスマホに入る)、写真の自動アップロード・発信・同じ旅人をつなぐ仕組み(地方版ローカルインスタグラムSNS)などなど。発想次第では地方に多くの人を誘致、地元の人々も活性化するチャンスである。 莫大な費用を追加しなくともできる知恵・工夫はたくさんある。
『廃県置藩』童門冬二
- 進まない東京の機能分散、町興しから、地方の活性化行動をみる
- 東京は今や13百万人が住む町であり、諸機能が一極集中している
- 「町興し・村興しで必要な条件」=「地方の活性化行動」
- 死ぬまで住みたいという魅力
- 子供、孫まで住ませたい思う様な魅力
- 他の人にも推薦できる「何か」を言える事
- 交通網が整備されている
- ゴミ焼却、上下水道施設の完備、生活に必要な基盤施設
- 生涯学習ができる施設・仕事があり、収入が確保できる
- 発信できる情報に魅力がある事
- 「なぜ廃藩置県なのか」
- 江戸時代は江戸一極集中という事はなかった
- 皇居・伝統文化・出版の拠点は京都
- 政治機能は幕府のある江戸のみ
- 経済機能は、米相場、その他物価基準は大阪
- 貿易や外交機能、国際港は長崎
- 藩政時代の方が、地方がはるかに権限を保持していた
- 現在地方は3割自治となり、財源も3割しか保持していない
- 残り7割は国からの補助金や交付金が補う構造
- 「信長・小林一三の先見性」
- 欧米諸国の中央集権は地方自治の土台に乗っている構造
- 日本の資本主義は崩壊する(地方に権限がなく、人も流出)
- 信長・小林は「文化生活」を地方に組織した
- 価値観を文化産業(伝統・遺産)に置く必要性を説く
- 「徳川家康の機能分存戦略」
- 「権力」と「給与・領土」分散(一人に花と実を与えない)
- 北条氏の税制は「金銭納」永楽銭を利用(農民軽負担)
- 家康の得意とする事は多くの敵将も抱き込み、適所に採用した
- 武田家臣・大久保長安、八王子城・小田原城主北条氏直
- 家康の「分断政治」
- 駿府・家康のブレーンによる政策作り(知恵)
- 江戸・家光等の政策実践(実行)
- 与える領土の少ない者ほど江戸城の近くに住ませる
- 領土の広い者は関東一円に配置する
- 「人は城、人は石垣、人は壁」押し付けてはならない
- 農民の年貢は収穫高から生活、経費を引いたものとした
- 家康自身も財力を持つ必要があり収入源を自ら確保した
- 武蔵、相模、伊豆、上総、下総(800万石)
- 家康の「政策立案機能」ブレーン
- 譜代大名・僧・学者・商人・技能者・外国人
- 外国人はウイリアム・アダムス(三浦按針)
- ヤン・ヨーステン(オランダ人・八重洲の名残)
- 役職者は全て複数とした(監視体制を常に保つ役割)
- 南・北奉行所
- 京都敬遠するための「禁裏諸法度」「公家諸法度」(政治分散)
- 2代目徳川秀忠「ブリッジ」機能・3代目家光で一元化した
- 家康死後、江戸に集中させ、家康のブレーンは自然崩壊
- 物事の進め方で採用したのは極力対立者を少なくする事
- 家光の政策は、関東一円に信頼した家臣(学友同胞)を配置
- 謀反があれば即座に潰す
- 外様・譜代にも同等の厳しさの武家諸法度に設けた
- 実権は家光、集団指導制・合議制を採用
- 老中・若年寄・大目付・3奉行を設け、老中に権限集中
- 譜代大名の世子を人質として江戸に置き参勤交代採用
- 5百石以上の船舶建造禁止
- 貿易は長崎・出島のみ、鎖国令発令
- 箱根等の関所を設け出入りを厳しく取り締まった
- 農村での酒造や酒販を禁止、酒造量半減、新規酒造禁止
- 商人は冥加金や運上金を政治献金として取り立てた
- 江戸は「政治・消費」都市
- 大名は全て自前の知恵と工夫で資金を調達「自己完結制」
- 参勤交代での多大な出費・江戸在住費用が掛かった
- 人づくり・付加価値製品の見直し「名産品発掘」
- 知恵を絞り「自治性」「自立心」を旺盛に仕向けた
- 地方・大名の不満が「幕府不要論」として出始める
- 横井小楠(熊本藩出身)越前藩主松平春嶽最高顧問なる
- 参勤交代廃止を提言、実行・江戸都市の衰退化と進む
- 越前藩は殖産興業に由利公正を採用、貿易で大儲け
- 幕末の江戸が寂れた理由
- 参勤交代廃止で京都に政治政策・幕府首脳の移動
- 江戸っ子の「宵越しの銭を持たない」は閉鎖的となる
- 京都が天皇の所在地で諸文化の発祥地となる
- 寺・公家が花・茶など生産・販売パテントを保持
- 政治の主権が京都・天皇にあり、朝廷主権に変化
- 「与良しむべし・知らしむべからず」の方針が変わる
- 政治は徳川幕府がするから心配することはない
- 幕末老中阿部正弘(26歳)による米国との通商開港
- 譜代・旗本等にも多くの意見を求めた
- 重大情報を庶民にまで漏らしたこと
- 攘夷・次期将軍慶喜擁立の水戸斉昭を顧問に
- (阿部は十二指潰瘍で急死、井伊直弼が引き継ぐ)
- 大阪淀屋の発想
- 大坂の陣にて家康に陣屋を無料提供
- 家康より遺体処理で得た利権で兜・武器を販売する
- 大阪での相場安定を提案、 野菜・魚・米相場を握る
- インフラ整備を独自整備、米相場を独占し、豪商となる
- 息子辰五郎の贅沢三昧で大坂城代により財産没収
- 蔵屋敷・蔵元
- 大名の品を売りさばく蔵を建て、商人を雇う(蔵元)
- 蔵元は大名の名代として大名への両替商を始める
- 大阪で扱う大名の米は約4百石
- そのうち3百石は大名に貸した金の利子だった
- 遷都決定
- 東京案は江藤新平の助言と江戸の疲弊状況から決定
- 政治機能は江戸・皇室機能は京都を東京に統一させた
- 京都の産業復興
- 遷都で会津藩山本覚馬による地代免除・勧業資金導入
- 舎密局(薬物飲料製造・石鹸・氷砂糖・ラムネ)
- 養蚕場・製糸場・牧畜場など海外からの指導者雇用
- 親王邸宅等は相撲場・演劇場・学校に変わる
- 「与太郎とバカ旦那の活用」
- 「甲府勤番支配」「小普請奉行」ははみ出し、余り者
- ぶらぶらして何も役に立たない役人のポスト
- 「ムダの効用」として文化面での寄与を期待した
- 「覇道から王道」
- 王道の論理「仁と徳を持って国を治める」
- 「地域活性化に努力したベンチャー」
- 佐竹義宣(常陸の大名)が秋田に転封された時の行動
- 52万石から20万石へと減封で人選する
- 家臣の選別で一門や門閥を排除した人選を実行
- 従来の合議制の取りやめ
- 責任・意見を言わないなあなあ人材の保留
- 松平頼恕(讃岐高松藩主)塩田開発
- 家臣に無理やり押し付ける方法ではなく納得行く方法
- 家臣に「鯛」を淡水で育て発想の転換を促した方法
- 伊達政宗(東北の雄・伊達者)
- 秀吉の命で上洛、猿の手なずけ方法を事前に知り実行
- 京からの行列で絢爛たる服装で行進し姿を見せた(ダテ)
- 青葉城・仙台城・松島5大堂・塩釜神社・大崎八幡宮
- 陸奥国分寺薬師寺堂・松島瑞巌寺等への最新文化導入
- 「模倣は創造の始まり」「技術は精神が駆使する」
- 京都から有名人を招き一流建築で「新文化創造」促した
- 長谷部九兵衛(松山藩での四国伊予塩田開発)
- 他国にて苦労・労働して学び、自国で開発した塩田
- 飯田覚兵衛・森本儀大夫(城の石積み)
- 加藤清正の人使いの妙・褒め殺し
- 江戸入りえの沼への萱遊びで子供を使い、基盤を作る
- 石運びを酒・肴・餅で村人を競争させ、和ませた
- 浜田唔稜(津波を稲叢の火で知らせ、堤防を作る)
- 自分の稲を燃やし農民に津波を知らせた
- 浜口儀兵衛(醤油)
- 中国から伝来された「径山寺みそ」の製法から
- 「金山寺味噌」が生まれ底に溜まる汁が醤油となった
- 1535年湯浅醤油が販売され、江戸に1645年
- 場所は銚子の湿地帯(ヒゲタ醤油・田中玄蕃)創設
- 1688年儀兵衛がヤマサ醤油を創設
- 共同で仕事をした(漁師・海商売)
- 既得権者を刺激しなかった