@「足るを知るものは富む」とは、満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ。 幸不幸は他人とは比べられない。ここにある罪人は仕事を転々とし、ひもじい生活の中、さらに弟の病気で日々の生活が追い込まれる。 弟が兄の負担をなくそうと自殺すると言う悲しく、その自殺が兄の弟殺しの罪人となる悔しい人生を送る。だがその罪人兄は「幸福」だと言う。正に「足るを知る」である。
『高瀬舟』森鴎外
高瀬舟とは京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代にはその小舟に罪人を乗せて遠島に護送する役割をしていた。ある時乗り合わせた弟殺しの罪人と護送した同心は、罪人があまりにも遊楽的な顔をして夜空を仰いでいたので不思議だと思いその経緯を聞いた。すると捕縛された時には仕事に恵まれず転々とししながら仕事で得た金銭は貰ったらすぐ借金として消え、ひもじい暮らしをしていたと言う。そもそも幼い時両親が亡くなり二人兄弟だけとなり、その後いつも一緒に仕事をしながら生活していた。やがて弟が病気になり、快復の見込みが無くなると弟は兄貴にこれ以上の面倒を掛けるのを心苦しく思い、断ち切るために自殺を試みた。だが瀕死の状態で死にきれず兄に介添を頼み安らかに亡くなった。だがその介添が弟殺しとして罪となったのだ。船の上では罪人は仕事もせず食べ物を頂き、今遠島ということで奉行所から200文を頂き、遠島で仕事にもありつけるありがたさに感謝していた。方や護送している同心は七人家族で贅沢は一切できない、いつもギリギリの生活を余儀なくされ、妻に迷惑をかけていた。