私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

紫ピクミンが足りない

2013年04月29日 18時40分17秒 | Weblog
通常状態39日目。

日々することもなく、ただ通常状態が3ヵ月経過するのを待つ。

これじゃあいけないと、先日ゲームソフト「ピクミン2」を買いました。

いつか手に入れようと、前々からそう思っていたゲームソフトです。

たしかにおもしろい。


毎日の充実のさせ方ってどんなだろうって思いますね。

「妄想銀行」 星新一

2013年04月19日 23時28分27秒 | 読書感想
通常状態29日目。

久しぶりに本を一冊読み終えました。

星新一の「妄想銀行」です。

この本はたしか、前回の通常状態の時に買ったんだと思います。

ということは、去年の暮れごろでしょうか。

途中まで読んで、過食状態になって放置していた本です。

このほど通常状態に戻ったため再び手に取ってみました。

そんなことでして、記憶が曖昧な話が多い。

そんななかでも妙に覚えているのは「さまよう犬」。

とても短い話です。

でも長くする必要のない話です。

映画やドラマなんかが、これを原案にして無駄に長い作品にしかねない。

でも、そうじゃない。

そんなことする必要がない。

ショートショートがあるのだから。

4点で420円

2013年04月15日 11時57分31秒 | Weblog
通常状態25日目。

今日は久しぶりに遠出しました。

といっても、自転車で10分ほどですが。

100円ショップのダイソーに行ってきました。

コロコロクリーナーのテープを買いに。

他に、絆創膏なども買いました。

右手中指の第一関節の皮膚がパックリ割れて、手を洗うたびに痛いので。

眉毛カット用のハサミや櫛も欲しかったのですが、買いませんでした。

おそらく女性化粧品の売り場に置いてあるのでしょうが、男が足を運ぶには勇気が要ります。


ここ最近は、毎日一時間近く御守りご本尊に向かって題目を上げています。

何も生み出さない毎日ですが、何かが変わってくれることを祈ります。

羨ましいの一言に尽きる

2013年04月13日 01時24分59秒 | Weblog
まともに見れないものがあります。

人様の恋愛です。

ドラマや漫画の作りものですらきついのに、生身の恋愛となると如何ともしがたい。

熱ければ熱いほど、そして、若ければ若いほど、心に刺さる。

テレビ番組はやたらと恋愛をテーマにしたがる。

迷惑な話です。

そういえば「恋のから騒ぎ」なんかも、昔は普通に見ていたのに、気が付けばいつからか見なくなっていた。

いや、見れなくなっていた。

「あいのり」なんかもってのほか。

見せつけられると惨めになる。

わかってる。

そんな見せつけなくたってわかってる。

心だろうか、頭だろうか、何かが爆発しそうになる。

しみったれた考え方に、しみったれた生き方。

年をとることが怖くなってきた。

生き遅れに拍車がかかる。

一生誰かに嫉妬しながら生きるのも辛い。

祖母の思い出

2013年04月01日 23時22分16秒 | Weblog

去年の年末に通常状態を取り戻す。

しかし今年の正月、実家に帰省した際に過食発生。

その後、一人暮らしの自宅に帰っても元に戻せずに過食状態を続行。

愛用していたHDDのデッキが壊れていて、泣きっ面に蜂で、もはや戻す気が失せたのです。

その後、ずっとゲームをしていました。

昼も夜も関係なく。

3月下旬、過食状態をとめた数日後におばあちゃんが亡くなった。

過食状態のままで葬式に参列するのは辛かったろうと思う。

虫の知らせってやつだろうか。

葬儀後も通常状態をキープ。

今日で11日目。

ゲームもやめた。


葬式ではたくさんの人に会った。

こういうことがないと会うことのない親戚や創価学会員。

人見知りな私は誰ともまともに会話しなかった。

怖かった。

「いま何してるんですか」と訊かれるのが。

「無職です」と答えるのが怖い。

無職という身の上が深い溝となる。

まともに会話できない。

ただでさえそうなのに。

私は人に言えないことだらけだ。


いま住んでいる家にはおばあちゃんの御本尊が置いてあります。

しかし、おばあちゃんが亡くなったことでこの御本尊を返還することとなり、ついては私個人が御本尊を受ける必要が出てきました。

そのためには、私の創価学会の籍をこの住所に移す必要があり、そうなると学会員による家庭訪問も免れないでしょう。

私が強く拒めばなんとかなったのでしょうが、母の言われるがままにしました。

もう潮時かな、なんて気になっている。


亡くなったおばあちゃんは、わりと熱心な学会員でした。

自宅を会合の拠点として提供したり、若いころは聖教新聞の配達員をしたり。

題目をよくあげる人でした。

私が家を訪れると、たいていご本尊に向かうおばあちゃんの後ろ姿を目にしました。

あるとき、こんなことを言われたのを覚えています。

「あんたも組織について人間革命せな」

いろんな思い出があるだろうに、なんでこんなのが思い出されるんでしょうか。