私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

二つのモードの犠牲者

2011年02月23日 08時44分40秒 | 過食症
東野圭吾の「片想い」を読みました。

図書館で借りた本ですが、これと一緒に他にも二冊借りています。

藤沢周平と伊坂幸太郎の本です。

この三冊は、私が通常期をエンジョイしてるときに予約を入れて、生活が崩壊して過食期に入ったときに借りる羽目になった三冊です。

「片想い」だけは一度、過食期中に140ページくらいまで読みまして、そのまま手つかずでした。

先日、過食期から通常期に戻り、読みかけの「片想い」の残りのページを読むことにしました。

無事読み終わりまして、残りの二冊にも手をつけたいのですが、返却期日をむかえてしまいました。

返さねばなりません。

あら勿体なや。

崩壊と再生の繰り返し

2011年02月19日 23時08分36秒 | 過食症
過食しました。

非過食の通常期に入ってもう少しで二ヶ月間が経過、というところでした。

またもや二ヶ月を手前にしての崩壊。

四日手前での崩壊。

二日手前まで行けたこともあったから、まだまだ。

でも今回は、ほぼ間違いなく二ヶ月の壁は越えられるだろうと思ってました。

でも、母が私の家に訪ねて来て、3月に今の住まいを出るようにと告げたあの日、私のモチベーションはもろくも崩れました。

母が家に来たその当日は何とか持ち堪えたのですが、結局翌日アウトです。

崩壊したあの日、たしか午前中は問題なくやれたと思います。

でも昼食を終えるとそのまま過食に走りました。

なんせ、昼食後の時間をどう過ごせばいいかわかりませんでした。

空っぽだろうと思いました。

母が告げたことによって生じた先々の不安のせいで何も手につかずに過ごす時間が怖くて、過食に走ったようなものです。

それから今日まで、一カ月弱ほど過食しました。

何も手につかないまま不毛な時間を過ごしました。

いつものことです。

過食しては「自分はどうなるんだろう」と、そんなことを想う。

これまたいつものことです。

繰り返しです。

同じことを何度も何度も。

何も生み出さない不毛な繰り返しです。


明日からまた過食しない通常期の一日目を切りだそうと思います。

そうすると二ヶ月の経過地点は4月22日。

例によってその直前で崩壊するでしょう。

崩壊すればそこから一カ月ほどの過食期に入ります。

過食期からやがてまた非過食に挑みます。

そして通常期を開始し、二ヶ月が経過する直前で崩壊しまた過食期へ。

そして「自分はどうなるんだろう」なんてことを想います。

要は繰り返しです。

精神状態から何から何まで。

生きてる間続く繰り返しなら、早いとこ死ねばいいのにと思います。