私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

納豆 50g → 45g

2010年06月30日 23時07分30秒 | Weblog

私は納豆をよく食べます。

旭松食品の「なっとういち」三箱セットのやつです。

これは一箱50グラムで、他の会社の納豆よりも量が多くて好きです。

なのでいっつもこれにゾッコンでした。

でもこの度、残念ながら45グラムに減って他社製品と同じになってしまいました。

非常残念です。

裏切られた気持ちでいっぱいです。

そんなことブログに書くようなことでもないのですが、こうやってネットを通して訴えることで何か変わればなと思うのです。


求人恐怖症と秋元康

2010年06月20日 23時53分13秒 | Weblog

近所のスーパーにお買い物へ。

そこに求人のフリーペーパーが置いてありました。

まだ早いとは思いながらも一冊持って帰りました。

設置初日の新刊で掲載情報が新鮮で、見る価値はあります。

見るだけならなんの問題もないしと思いまして。

でも見れないや。

俗世の臭いが強すぎます。

自分が入りこめる気がしない。

以前の大敗もあって気が乗りません。

どうせ俺なんて無理なんだろ。

そう思うとまともに見れませんでした。


NHKの番組で、秋元康さんがインタビューに答えていました。

そこで「成功とは98%の運と1%の努力、1%の才能」と言ってました。

たとえ失敗しても、それは運がなかっただけで、必ずしも努力や才能を否定されたわけじゃない、と。


エアコン修復

2010年06月17日 18時47分02秒 | Weblog
梅雨の谷間で今日は晴れ。

暖かい以上暑い未満的な一日でしたね。

以前、エアコンが不調って記事を書きました。

冷房は付くけど暖房がつかない、と。

夏が来る前にフィルターを掃除しておこうとおもって実行したのが10日以上前のこと。

フィルターとりだしたらホコリがびっちりでした。

ある程度きれいにしてみると、暖房もちゃんと機動するようになりました。

いはやは助かりました。

ただ、このエアコン、型がだいぶ古くて、逆省エネが半端ないです。

冷房なんかは、30度に設定してるのにものすごい冷たい風を吹くせいで、すぐに部屋が冷蔵庫みたくなります。

すぐにオフにするのですが、すぐに暑くなり、オンにしてはオフにして、オフにしてはオンにして、その繰り返しです。

しかもリモコンがないので、わざわざエアコンの壁スイッチへ行ったり来たり。

窓を開けっ放しすればちょうどいい気温になります。

ただ当然ながら、そんな異常な冷気なので電気代がえぐいです。

安くてもいいから最新の、30度に設定すればちゃんと30度の冷気を吹いてくれる、そんなエアコンがほしいです。

如何せん、お金ないです。

読了と予約

2010年06月16日 18時28分48秒 | 読書感想

どうも、僕です。

宮部みゆきの「理由」という本を今日読み終えました。

なんか暇ですることもないし、なんとなく東野圭吾の「白夜行」を読みかえそうと思ったのですが、どこにあるのかわかりません。

「幻夜」は図書館から借りたけど「白夜行」は買ったはずでどこかにあるはずなのに、見当たりません。

それで仕方なく、これまた以前に読んだことのある「理由」を手に取ったのが、一週間前のことです。

ページ数の多い本ですが、読むのに一週間もかかってしまいました。

なんか集中できなくて、ちまちま読む感じでした。

3,4年ぶり程度なのに、ところどころストーリーを覚えてませんでした。

一番覚えていたのは八代祐司が宝井家を訪れて、子供を認知しない場面。

一番忘れていたのは八代祐司が物語序盤で死んでるということ。

まあそんなことはどうでもよくて、肝心なのは集中できなかったということ。

自分の今の状況や将来の不安が脳裏をよぎるのです。

このあいだ本屋に行ったとき、映画にもなっている「告白」という小説が置いてありました。

実は前からちょっと興味がありました。

私の好きなレディオヘッドのラストフラワーという曲が起用されているということで映画公開のだいぶ前から存在を知っていたのですが、どうやらそれとは別にストーリーも面白そうで、ちゃんとした興味も持つようになりました。

映画より小説の方がはるかに好きなので興味は小説に向かいます。

ストーリーがおもしろいとなればなおさらです。

でも職がなくお金もないので、図書館を利用。

予約多いな。

とりあえず予約しました。

未読の本だから多少は集中して読めるでしょうか。


今日が初日だとおもえ

2010年06月15日 16時06分57秒 | Weblog
今日が初日だとおもえ。

これは「初心を忘れるべからず」という意味ではありません。

初日から無理をする人はいません。

初日だもんで気持ちが熱くて勢いがあるのはいいことです。

しかし初日からハードなことをこなす必要もありません。

日々を重ねて成長して、昨日の自分に負けたくない意識で、どんどんハードに、どんどんタイトになっていく。

そしていつか破綻をきたす。

昨日の自分に負けたくないという心構えは立派ですが、その姿勢に足元をすくわれ転んで怪我して立ち上がれなくなる。

初日のあの頃ならよしとされていたことが、「明日はさらに」と思うがゆえに、いつの間にか許せなくなっている。

それは気持ちの焦りにつながる。

焦りは破綻へと続く。

「明日は今日より」を続けるなんてのは無駄な努力です。

「どうしようもない自然の原理」に背くのですから。

一歩を踏み出したあの初日、それをただ積み重ねるだけでいい。

日々を重ねることが何ものにも代えがたい前進になる。

いつだって昨日の自分に勝とうだなんて下等なことするから駄目になるのです。


太陽は昇り続けない。

だけど日々は永久に続く。

だから許せないことは何もない。

あの日からさらに前へ。

胸を張って生きていける。

だって転ばず日々を重ねたから。

今日が初日だとおもえ。

そうだ本屋に行こう

2010年06月14日 19時04分43秒 | Weblog
近くの本屋に行ってきました。

わりと大きめの、店内が客で賑わってる本屋です。

本屋に入るとテンションが1,5倍上がります。

調子が良ければ2倍のときだって。

でも今日は久しぶりの本屋だったにもかかわらず1,2倍ほど。

本が好きだから、あれもほしいこれもほしいってなる。

でも職がないからお金もない。

結局そこに行きつく罠。

人が多いから人間観察なんてのもいい。

でも人見知りで内向的なのでよう見れんのです。

向こうもこっちを見て目が合おうもんなら、もう最悪です。

でも見たい。

人に餓えてるなって思いました。

まあ若くてきれいな女性を見たくなるのがおもですが。

人の多いとこに身を置くとなんとなく楽しく感じるのはなぜでしょう。

人に餓えてるからかもしれませんが、寂しさがまぎれるからでしょうか。

ある人に言わせれば人ごみのなかを誰も連れずに一人でいることはつらいと感じるかもしれませんが、本屋なんかはみんなたいてい一人ですし。

本屋は知識の宝庫です。

あれもほしいこれもほしいと思う。

それは今の自分に満足してないから。

その足りてない自分が周囲にいる人たちの、ただそこにいるだけという刺激で触発されてる感じ。

強くなりたい。

天才になりたい。

でも何も変わらない。

何も変わらない。

ややともすると不安

2010年06月14日 17時08分40秒 | Weblog
突然ですが私は無能です。

だから誰かの上々な人生を勝手に羨んでは勝手にへこみます。

無職の身なんで毎日ぼけーっとしています。

幸せなことですね。

働きに出たいのですが今はまだ不安定な時期ですし、刺激を与えず平穏にいきたい。

でも先々を想うと不安になるのです。

その不安が心に忍び込むと、平穏なはずの毎日が崩れるんじゃないかって思う。

でも不安です。

隙あらば不安です。

消費税が上がるとか言い出すから不安です。

梅雨だって言うのに今日は雨降ってませんし、ちょっと久しぶりに外に出てみようかな。

足枷オンライン

2010年06月05日 17時06分50秒 | Weblog
部屋を掃除しているとアマゾンでファイナルファンタジーXIを買った時の領収書がでてきました。

注文日が2009年7月4日になってました。

ギリギリ一年未満ですね。


ゲームをやめる際に足かせとなったことが二つあります。

一つは人とのつながりです。

みんなと別れるのがつらいというのではありません。

ゲームをやめてもとの暮らしに戻ると相変わらずの希薄な人間関係が予想されます。

寂しく感じるんじゃないかと予想すると、このゲーム内での人間関係がそれを紛らわすに丁度いいんじゃないかなと思えたのです。

寂しさが私を狂わせるとしたらまあありかなと。

もう一つはそのゲーム内で築いた人間関係の対処です。

自分の中でやめると確信していればキッパリと言い出せるのでしょうが、そういうわけではなかったので、なかなか言いだせませんでした。

やめてすぐに戻ってくる可能性だってありました。

定期的に集まってコンテンツをこなす会にも参加していたりして、どうしたもんかと。

あるコンテンツなんかは参加したくてもあまり参加機会がなく、貴重な集まりであるだけに抜けるのがもったいなく感じました。

何より、確信していたとしてもいざ「辞める」とは言い出しにくいもんですね。

これはリアルの場合と似たものがあります。

相手のリアクションが気になって踏み出せない症候群です。

ゲームの世界にログインしなくてもメッセージを送れる人がいるので、それで今から伝達することにします。

音信不通で消えるなんてもうごめんです。

でもログインしなくてもメッセージを送れるのは限られた人だけです。

多くのそうでない人の方が実はゲーム内でよく一緒に遊んだりしました。

辞めるかどうか微妙だったことなどのせいで一切挨拶してないことが悔やまれますが、月額料金払ってまでゲーム内へ挨拶しに行く気にもなれないしょうもない人間です、はい。

思いやりオンライン

2010年06月01日 22時48分01秒 | Weblog

ここんとこずっと家に閉じこもってオンラインゲームをしていました。

昔やったことのあるファイナルファンタジーXIです。

現実逃避にちょうどいいのがそれでした。

眠くなったら仕方なく寝ますが、それ以外はオンラインゲーム。

1年くらい続いたでしょうか。

ある日、家のテレビが壊れたんです。

画面が急にプツーンっと真っ暗になってそれっきり。

テレビも見れませんが、ゲームができません。

五日間くらいゲームをせずにすごしました。

五日たってテレビを買いに行きました。

都会の真ん中の家電量販店。

人が多い。

リアルの人が。

オンラインゲームをしてるとはいっても、普通に買い物とかは行きますし、外には出ます。

でもその日はいつもと違いました。

それはただ単に、近所のスーパーとは違って都会で人が多いってことだけかもしれません。

刺激的?

なんかもう別にいいやって思えてきました。

人通りの多い街を歩きながら、こんなのも悪くないって思えてきました。

探り探りなんですがオンラインゲームの興味がそがれてる感じがしました。

そして昨日、オンラインゲームをやめました。

月々のゲーム料金も払う気になれず、月が変わるタイミングでやめました。

なんでやめたの?って訊かれたらなんて答えたらいいんだろう。

そんな急激につまらなく感じるようになったわけでもないのに。

慧眼?

もともと敢えて自分から飛び込んだ現実逃避です。

もといた世界が見えたときにとるべき当然の行為といえば当然の行為です。


意味のない時間を過ごしたかと訊かれれば、決してそういった要素ばかりとも言えません。

ゲームの中では一人でできないことがたくさんあります。

いい武器をとったり、ミッションやクエストを進めたり。

何かにつけて他者の力が必要になります。

同じ目的の人とともにやるパターン。

それを目的としていない他者に単純に協力してもらうパターン。

そのどちらかのパターンで目的を達成。

いずれにしても一人じゃできない。

ゲームの中の世界で、あれをしたい、これがほしい、などの欲求がうまれます。

ゲームの中で私もそれなりにコミュニティを築きました。

そこで感じたのは人に協力を乞うことの難しさです。

断られるんじゃないだろうか。

断られたって別に何を失うわけじゃないし、乞うだけ乞えばいいのです。

でもそう簡単にできない。

そもそもなんで武器をほしくなったりミッションやクエストを進めたくなるのでしょうか。

そうすることで劇的にゲームがおもしろくなるわけでもありません。

それは単純に他者との比較です。

あの人が持っている武器を私も持ちたい。

あの人がクリアしたミッションを私もクリアしたい。

誰かが手に入れた武器や誰かがクリアしたミッションを、自分が持てていなかったりクリアできていないことに拒絶反応が生じてくる。

ねたみってやつです。

そして入手した武器やクリアしたミッションをまだそうでない人に自慢したい。

それが結果、他者のそういった目的への協力を疎ましく感じさせたりする。

自分はいつも協力してるのに、だれも協力してくれないと感じたりする。

ゲームの中ではせめていい人でありたいと思いました。

でも、ゲームの中くらいせめて自分中心であらせてくれとも思いました。

ゲームを始めたばかりの入門者にはいろいろ協力してあげたいという感情は常に偽りなくありました。

それは、その人の力になってあげたいとか、その人の喜びを自分の喜びに感じるからとかではなく、単純に自分の力をその人へ誇示してることの優越感です。

他者への協力は、いつか自分に返ってくるかもしれない借りを作る行為。

心の底から他者のために動けたことなんてなかったかもしれない。

心の奥で競争してました。

他者が成長することを快く思ってなかったり。

超えられるのが嫌だったり。

協力するにしたって、おとなしく自分から協力を乞うたりせずにいる人に対しては前向きになれるのに、ガツガツ協力を乞う人へはそうでなかったり。

またこんなこともありました。

私にとって興味のないことに取り組んでる人へは協力的になれて、私が興味があって、でもまだ発展途上であることに私よりも後から取り組んでる人へは非協力的だったり、その人の動きが妙に気になったり。

すべての人が私に協力的で、私が他者への協力をせずに済むことが理想になってきたりします。

そのくせ、誰かが「手伝ってください」と何度も何度も叫んでるのに、なんでこうもみんな手伝わないんだろうって思ったりもしました。

みんなが協力的であればいいだけの話なのにって。

みんな他者のために時間を割くより自分のために時間を使いたいって思ってる。

それがわかるから、他者へ協力を乞うのが難しかったりするのです。

思いやりってこうも難しいのか。

楽しかったことって実はそんなになかったりして。

うれしい瞬間は全部、他者が私のために協力してくれる、とわかったとき。

まあすべてゲームの中の話です。

今ではそんなしがらみにいなくて済む。

私がいなくなった世界でみんなせっせと時間を費やし成長してる。

リアルにおいて、他者の成功を自分の成功のごとく、心の底から喜んだことが一度でもあっただろうか。

心を通じ合わせることが必要です。

心を通じ合わせることが自分を妬みから解放してくれる。

今のところ、それ以外に手は見つかりません。

ゲームの中で一人だけ、無条件に成功を喜べるかもしれないと思えた人がいました。

その人はとてもいいひとで思いやりのある人でした。

いつの時代もどの世界でも、そういった人が心を通じ合わせるに値する人なのかもしれません。